1982 N1CKL

N1CKLとは、アメリカでもらったアマチュア無線局のコールサインです。

ボストンの隣町ケンブリッジには一年ちょっとの滞在でしたが、当時の趣味であったアマチュア無線まで楽しめたのは幸運でした。
アメリカのアマチュア無線の状況に興味があったので、1982年9月8日にボストンで試験を受けました。General Classという中間レベルの資格です。日本での免許も2級アマチュア無線技士という中間レベルなので、順当なところです。

当時のメモを見ると、9:45 試験室入室、9:55 コード・テスト(モールス聴き取り)、10:15 答案提出、その場で採点してもらって合格すれば次へ、10:20 選択式テスト(70問)、11:45 答案提出、その場で採点してもらって合否判定で終了、となっています。同じ試験を受けたのは13人でした。

下は採点結果が付いた応募用紙のコピーですが、普通はもらえないものです。これは9月23日に届いたFCC(連邦通信委員会)からの封筒に入っていて、届いたときは免許証が早く着いたと喜びましたが、当日の記入漏れがあったので、チェックを入れて返送するように、とのことでした。こういうことをしてくれるのは、さすがアメリカのおおらかさと感心しました。ともかく、いい機会だったので、コピーしておきました。

FCC exam

上の記入漏れ・返送があって遅れましたが、免許証は10月20日に届き、コールサインはN1CKLとなりました。アメリカの無線局コールサインは頭文字がW、K、N、A(Aは一部)となるのですが、慣れ親しんでいたWもKもGeneral Class (国の頭文字1文字+地域の数字+3文字)は品切れだったようです。でも、みなさんにNickel(ニックル)と読んでもらって、覚えやすく、気に入っていました。ニックルは5セント硬貨です。

年末にはク ルマのライセンス・プレートを作ってもらいました。
アメリカでは好みの文字・数字をプレート(Vanity Plate:見栄のプレート)にできますが、けっこう高い料金が毎年かかります。その点、アマチュア無線局のプレート(Ham Plate)は年間10ドルで、2枚もらえます。日本とは違って、車種の違いはないので気楽です。

プレートを取り付けた愛車のポンコツ、マーキュリー・モナーク’75です。しょっちゅう修理工場に持って行きましたが、ガソリンが安かったので、何とか、だましだまし、カナダ往復や大陸片道横断を含めて、13カ月で1万5千マイル(2万4千キロ)くらい走ってくれました。

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1983年6月、帰国旅行間近になって、W1AF局内でARRL(アメリカ無線連盟)が実施しているモールス聴き取りテストを受けて、20 WPM(Words Per Minute)の認定証をもらいました。これは一斉に無線放送されるコードを受信して回答を送るだけの簡易テストです。W1AFメンバーでは最低レベルですが、記念になりました。左下の20と書かれた部分はシールで、10~35WPMがあり、追加で認定されるとシールを横に貼っていくようになっています。

1983年7月1日、ケンブリッジを離れて、サンフランシスコまでの大陸片道横断ドライブの初日、南下して、コネティカット州ニューウィントンにあるARRLの本部に寄りました。ボストンから2時間ほどです。時間があれば、ARRLの無線局W1AWを運用できるのですが、帰りのない旅の始まりなので、あきらめました。
私の局名を聞いて、ARRL会員名簿を出してきてくれました。日本の局名と併記されていました。

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出発の前に、W1AW局の建物と並んで、N1CKL号の記念写真を撮りました。

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帰国時には、このクルマをサンフランシスコで廃車し、プレートは廃止手続きをして、持ち帰りました。

ham_plate

アメリカのコールサインは、5年ごとの更新をしないと失効し、すぐに別の人に与えられます。帰国後も友人の住所でしばらく更新していましたが、自宅の引っ越しが続いたのをきっかけに無線をやめてしまいましたので、N1CKLも15年後には別の人のものとなりました。でも、その人はすぐに上位の資格を取得して、コールサインが変わったようです。アメリカでは資格に応じてコールサインの文字構成が変わるので、こういうことはよくあります。今はまた別の人がN1CKLとなっています。