みおつくしの鐘

2017年11月16日

最近、昭和の大阪の写真集を眺める機会がありました。昭和30年頃から大阪万博の後くらいまでの写真の多くには見覚えがありました。そのうち、先代の大阪市庁舎の写真では、屋上に「みおつくしの鐘」がありました。昭和30年5月5日に設置されたそうです。設置された直後くらいに、母が勤めていた産経新聞の社屋から双眼鏡で眺めた記憶があって、今はどうなっているんだろうと気になり、ちょっと調べてみました。

みおつくしの鐘は先代の市庁舎高楼に取り付けられたわけですが、その市庁舎は大正10年(1921年)に竣工していて、竣工当時から鐘楼はあったようです。当時の絵はがき(大阪市立図書館公開可能アーカイブ)や写真を眺めても、高楼に鐘が取り付けられているのかどうかはわかりません。

大阪に住んでいたら誰でも知っているのでしょうけど、みおつくしの鐘は今も現在の庁舎の上に置かれているそうで、毎年、新成人が鐘を撞く行事があるようです。来年の募集案内がありました。鐘が置かれている屋上には、「市役所屋上緑化施設の一般公開」という枠で行くことができるようです。6月から11月までの第2・第4金曜日の午後だけです。11月10日の金曜日、ちょっとした用事のついでに上がってきました。

大江橋から眺めた現在の市庁舎です。屋上の鐘楼はグーグルの航空写真には写っていますが、歩いていると見えません。

屋上までエレベーターで昇ったら、係の人がいて、首掛けの緑化施設見学証と案内図を渡されました。緑化施設はこんもりとした茂みを予想していましたが、木々は小さく、時期が時期だけに紅葉が始まっていました。

案内図です。

その横のほうに、秋の草花が咲いていました。名前は知りません。

緑化されている幅は広くはありませんが、外の景色を眺めるには広くて、遠景しか見えないようです。ちょっと中途半端な幅かなと思いつつ、横目に眺めながら歩いたら、お目当ての鐘楼がありました。初めて近くで眺めました。

雰囲気は昔のままのようですね。

鐘楼の柱に説明盤がありました。鐘は高さ1.82m、重さ825kg、口径は約1.26メートル(4尺1寸5分=よいこ)だそうで、相当なサイズです。

こんなレリーフがありました。

反対側には「鳴りひゞけ みおつくしの鐘よ 夜の街々に あまく やさしく ”子らよ帰れ”と 子を思う 母の心をひとつに つくりあげた 愛のこの鐘」という、寄付した大阪市婦人団体協議会による碑文が書かれています。

この碑文、昭和30年頃の大阪市内の状況を思い出せば、当時の母親たちの相当に真剣な思いだったのでしょうね。今でも基本は変わらないでしょうけど。

鐘の真下に入ることができるので、実際にはどんな音がするのか、ちょっと指でノックしてみました。小さな音しか出ないし、御堂筋の雑音が入ったので、聞こえるかどうかわかりませんが、なかなか素直できれいな音でした。

みおつくしの鐘が取り付けられた昭和30年は、ちょうど「ゴジラの逆襲」が公開された年で、大阪市庁舎の前でゴジラとアンギラスが闘っていました。映画製作のほうが早いので、セットの大阪市庁舎にはみおつくしの鐘はなかったでしょう。

今も大阪市内の一部地域で夜10時にチャイム(ウェストミンスターの鐘)に挟まれて、みおつくしの鐘の音が1回だけ流されています。大阪市のサイトで聴くことができます(その後、音は出なくなりました)。前奏チャイムがハ長調、後奏チャイムがト長調になっているようです。設置当初は市役所の上で、時限装置で鐘が鳴らされていたようですが、当初からウェストミンスターの鐘の音を組み合わせていたのかはわかりません。

俳人・橋本多佳子のエッセイに「みをつくしの鐘」(昭和31年)がありますが、当時はラジオでも午後10時の時報でウェストミンスターの鐘と共に流されていたようです。ラジオもNHKだけではなく、民放各社が流していたようですが、いつの間にかすべて消えました。

昔、市庁舎の鐘楼を双眼鏡で眺めた場所、産経新聞の建物(産経会館→大阪サンケイビル)があった梅田二丁目の方向を眺めてみました。

大阪サンケイビル跡にはブリーゼタワーという高層ビルが建っていますが、手前の高層ビルにちょうど隠れて、もう互いに見えなくなっているようです。

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