1983 USA横断 3

最終回です。
1983年7月20日、ユタ州を通り抜けます。

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7月21日、昔、TVドラマでよく観た「ルート66」に入ってみました。

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7月22日、カリフォルニア州デス・ヴァレーに入っていきます。

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真夏のデス・ヴァレーは最高気温が摂氏50度を超えます。N1CKL号には危険な場所なので、前夜は近くに宿をとって、午前中には抜けることにしました。エアコンは切ったままです。
デス・ヴァレーの一番低いあたりは海抜マイナス80m以上だそうです。午前9時ですが、38度になっていました。
この写真の後ろの崖に白い四角い表示が見えますが、そこが海抜0mです。

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昼前に、デス・ヴァレーからロサンジェルスに向けて、裏道を走っていたところに、次のような看板を見かけるようになりました。

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ここから25マイルの間、Burroが道を渡るよ、という注意書きです。
Burroって、カタカナ読みで逆に読むとロバになるなあ、と話しながら走っていたら、いました!

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道を渡っている、のではなく、道にたたずんでいます。

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近づいても逃げない、どころか、窓に顔を突っ込んできました。

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どうも、食べ物をねだっているようでした。
昔、このあたりで飼っていたロバが野生化したらしいです。通りかかるクルマから食べ物をもらっているのでしょう。

この原稿を書きながら調べてみたら、1987年までに、デス・ヴァレーに生息していた野生のロバ6,000頭を多額の費用をかけて、どこか別の養育センターに移動させたという記事を見つけました。理由はよくわかりませんが、人には迷惑だったのでしょうね。もう、このような姿を見ることはできなくなったようです。

7月22日、フーバー・ダムを経由して、夜、ロサンジェルスに到着しました。
7月23日、終日、市内見物です。UCLA、美術館・博物館、ハリウッドを巡りました。
7月24日、ロングビーチでクイーン・メリーを眺めてから出発です。

7月25日、セコイア国立公園を訪ねました。

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昔の写真集で眺めた、木の根元の空洞をクルマが通り抜けるトンネルは、ここではなくて、ヨーセミテだったそうですね。でも、樹齢2000年以上の巨大樹が林立していました。

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7月26日17:10、金門橋を渡りました。サンフランシスコ到着です。定番の写真撮影です。

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20:18、無事に友人(右端)の実家に到着して、歓迎を受け、29日の出発まで、泊めていただきました。
中央のクルマは父上の愛車、新車のキャディラック・エルドラドです。少し運転させてもらいましたが、路面の凹凸を感じさせませんでした。いわゆるアメ車の頂点だったクルマです。

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7月28日、N1CKL号は、100ドル+Tシャツ1枚でレッカー会社に売却され、スクラップになることが決まりました。

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このクルマの最終マイレージは、99,004マイルでした。
旅行開始時は、91,156マイルだったので、今回の横断ドライブは、7,848マイル(12,556キロ)でした。
昨年の入手時は、84,063マイルでしたので、1年で1万5千マイル(2万4千キロ)を走ったことになります。
トラブルは多くありましたが、多くの楽しい思い出を作ってくれました。

(完)