1992 サウスウェスト・チーフに乗る旅

サウスウェスト・チーフ(Southwest Chief)というのは、ロサンジェルスとシカゴを結ぶアムトラック(Amtrak:全米鉄道公社)の大陸横断列車の名前です。ロサンジェルスから、フラッグスタッフ、アルバカーキ、ラスベガス、ダッジ・シティ、カンザス・シティ、セント・ルイスなどを通って、シカゴまで2,247マイル(3,616km)を43時間ほどかけて走ります。稚内から鹿児島までが3,000kmくらいですから、さらに600km長い距離です。1936年にサンタ・フェ鉄道のスーパー・チーフとして運用されて以来、現在でも毎日運行されています(Amtrakの紹介ページ:英語)。

1992年のサウスウェスト・チーフの停車駅時刻表です。シカゴが上でロサンジェルスが下になっているのは、アメリカの鉄道の歴史なんでしょう。なぜか、ロサンジェルスを夕方に出発してシカゴには朝に着いた記憶イメージが定着していましたが、あらためて時刻表を眺めると、夜にロサンジェルスを出発して、3日目の午後遅くにシカゴに到着しています。

schedule


はじまりのはじまり
1年前の1991年4月、湾岸戦争が終わった頃合いに、滞在していたサンタ・バーバラからオランダのフローニンゲンへと移動することになりました。その後の日本帰国までの航空券を購入するために旅行代理店で相談すると、世界一周航空券が片道航空券の合計と大して変わらない金額でした。これも一興と、アメリカ西海岸から東回りの世界一周航空券を国際線運航の多かったユナイテッド航空に決めて購入しました。世界一周航空券は事前に連続の搭乗区間(後戻りはできない)を決めたオープンの航空券セットです。路線があれば南半球も回ることができますが、当時は余裕がなくて、ほぼ直行便になりました。格安航空券が多い現在ではメリットはないような気がします。

1991年9月にオランダから帰国して、残る航空券は2枚(日本→ホノルル→西海岸)で、ハワイ経由にしていましたが、忘れていました。元は取っているので、使わなくてもいいのですが、有効期限ぎりぎりの翌1992年3月に思い出し、休暇を取って、シカゴの隣町エバンストンのノースウェスタン大学に移った先生を訪ねようと計画し、西海岸からは列車の旅を楽しむことにしました。帰路の片道切符はユナイテッドのマイレージを使います。

シカゴまでの列車を調べて、3月30日発のサウスウェスト・チーフに決めて、札幌の旅行代理店に切符をとってもらいました。今ならネット予約で簡単ですが、東京へ連絡するなど、けっこう手間でした。

西海岸とシカゴを結ぶ列車は他にも、
カリフォルニア・ゼファー(California Zephyr)サンフランシスコ-シカゴ(毎日運行)
エンパイア・ビルダー(Empire Builder)シアトル-シカゴ(毎日運行)
などがあります。飛行機より時間もお金もかかる長距離列車が現在でも定期運行されている余裕はうらやましいですね。

はじまり
大阪に住む母に、ハワイ経由でアメリカに行くという話をしたら、休暇だったらハワイに連れて行ってほしい、前に行けなかったカウアイ島を見たい、と言い出しました。それで、3月25日に先ずは母と一緒にハワイに向かいました。ハワイではカウアイ島まで日帰りしたり、ダイヤモンドヘッドに登ったりして、のんびり観光を楽しみました。
オアフ島ドライブです。

1992 Hawaii 013

ハワイを満喫して帰国する母を搭乗ゲートで見送ってから、ロサンジェルス行きにチェックインしました。ホノルルからロサンジェルスへ向かうのはアメリカ国内線ですが、チェックイン・カウンターの手前に植物検疫があって、とても厳しくチェックしていて驚きました。国際線にはなかったからです。理由はよくわかりませんが、本土にさえ持ち込まなければいい、というスタンスでしょうか。

乗車前の散歩
ロサンジェルスに着いたのは3月30日でした。これで世界一周航空券は終わりです。
空港からロサンジェルス駅(ユニオン・ステーション)まではバスで行きました。サウスウェスト・チーフの発車は夜なので、駅に荷物を預けて、ぶらっと市庁舎方面まで散歩と食事に出かけました。市庁舎のあたりで、ある方向に大勢の人が歩いていくのを見つけました。何かイベントがあるんだろうかと、暇を持て余していたので、くっついて歩いて行ったら、なんと、アカデミー賞授賞式です。

授賞式がおこなわれるドロシー・チャンドラー・パビリオンの前は人だかりです。人混みの中を進んで、歩道に設けられた柵の前に立っていたら、警官に加えて騎馬警官がやって来ました。それも1騎だけでなく、2~3騎が目の前に立ちはだかりました。とても威圧的で、前が見えなくなったじゃないか、と思って、周りを見渡したら、プラカードを持っている人たちばかりです。

プラカードの意味が最初はわからなかったのですが、どうもゲイの人たちの抗議のようです。突然、気がつきました。この日のオスカーにノミネートされている「羊たちの沈黙」に対する抗議でした。その人たちの一番前にいたのです。ジョディ・フォスターを見たかったのですが、抗議の動きが激しくなりそうだったので駅に戻りました。

このときの写真や動画がyahoo moviesの記事(英語)に出ています。この記事の最初の写真に自分が写っているのではないかと思いましたが、時間がずれていたか、もうちょっと右にいたようです。「羊たちの沈黙」は帰国してから観て、この光景を思い出していました。さすがに、監督のジョナサン・デミは次の作品「フィラデルフィア」できちんとゲイの世界を描きましたね。

乗車
歩き疲れて、ユニオン・ステーションの広くて立派な待合室でくつろいでいたら、乗り込み開始のアナウンスがありました。他の乗客と一緒にぞろぞろと線路の間の通路みたいな低いプラットホームを歩いて行くと、かなり暗くなった中に2階建て(ダブルデッカー)の客車が見えてきました。スーパーライナー車両です。実物を間近で見るのは初めてで、とっても巨大!というのが第一印象でした。

実際の写真がないので、HOゲージのKATO製、二代目スーパーライナー(1993年以降)の寝台車の写真です。他に、コーチ(座席車)、食堂車、荷物車などがあります。実際に乗ったのは初代スーパーライナーですが、外観にほとんど違いはありません。模型ではサイズがわかりにくいので、フィギュア(ヨーロッパの駅員です)を置いてみました。

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Amtrakは、1983年にボストン-ニューヨーク往復でメトロライナーに乗ったことがあります。

1983 04 049

この写真のように、メトロライナーは日本の車両とあまりサイズが変わらないので違和感はありませんでした。

しかし、スーパーライナーは高さが4.9m(日本の新幹線車両で4.2m)、ほぼ直方体で、低いプラットホームから眺めるとすごい迫力です。1950年代には、シカゴから西の主要路線での車両限界の高さが5mになった結果(その他は4.4mのままで新幹線とほぼ同じ)で、広大なアメリカの長距離列車でしか使われていないことがうなづけます。

列車で2泊するので、別料金不要のコーチではつらいため、2人用の個室を日本で予約しておきました。1人利用なので割高になり、乗車券と合わせると飛行機運賃より高くなりましたが、食堂車での朝昼晩の食事(ファミレス料理レベル)が付いています。
その時の切符の表紙と控えです。

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車掌から渡されて署名した乗車証です。食堂車の利用などに使います。

pass

乗ったのは最後尾の車両で、2階建てですが、部屋は1階でした。室内は日本の寝台車の2段ベッド個室という感じです。1階には左右に2つずつ、合計4つの個室があり、奥にはトイレが並んでいます。

乗った部屋はフィギュアを置いた右側、ドアに近いところです。近鉄(今もあります)や新幹線(以前はありました)の2階建て車両の1階と似た雰囲気ですが、天井が高いことと、駅のホームが低いので、1階の窓から駅のホームを眺めても、ホームを歩く人の足が目の前に見える奇妙な景色はありません。近鉄では目のやり場に困るときがありました。

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担当の車掌がやって来て、いろいろと説明してくれます。ベッド・メーキングの時間や、シャワーは共同利用なので、時間を予約してほしい、食事も食堂車の時間割が決まっているとのことでした。

食堂車の予約票です。

meal

ともかく、気楽な長旅のはじまりで、船での旅行と似た雰囲気です。
レターセットのお土産が置いてありました。

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翌3月31日の早朝、小さな駅に停車しました。もうアリゾナ州との州境あたりでしょうか。停止位置の近くにパトカーが停まっていて、一人の制服警官がやって来ました。私の乗っていた車両のドアが開いて、警官と車掌がしゃべっているようですが、よく聴き取れません。しばらくして、警官が若い男を連れてパトカーに乗り込んで走り去り、列車も走り出しました。

列車が走り出したので、通路に出て、車掌に話を聞きました。車掌によると、昨日のロサンジェルス出発前に駅で預かったスーツケースの中に麻薬が入っているのを麻薬探知犬が見つけたそうです。すでにスーツケースは警察が押収していて、持ち主を逮捕するために警官が乗り込んできたとのことです。同じフロアの個室に乗っていたようで、おとなしく連行されていったそうです。暴れたり、撃ち合いになってもおかしくなかった状況ではないかと聞いたら、そうかもね、と言っていました。警官も一人だけでしたし、日常茶飯事で、大きな事件ではないようですね。

サウスウェスト・チーフ乗車中の写真は次の2枚だけです。ずっと曇っていたような記憶もあり、この10年前にアメリカ大陸横断ドライブをしていたので、景色を撮る気がなかったような気もします。食堂車に行くついでに、列車全体を歩いてみましたが、コーチ車両はけっこう混んでいました。

1992 US 001 Southwest Chief

1992 US 002

2枚目の写真を拡大してじっくり眺めると、どうも先頭の機関車(重連)はGEのDash 8というディーゼル機関車のようです。なぜか、EMDのF40PHというディーゼル機関車(すっきりした、好みの機関車)だと思い込んでいました。

たぶん、直前に観たロバート・デ・ニーロとチャールズ・グローディンの映画「ミッドナイト・ラン」に出てきた列車の映像と混同していたのでしょう。二人が乗った列車はニューヨーク(ワシントンDC発着と併結)とシカゴを結ぶ「ブロードウェイ・リミテッド」のようで、F40PHの重連で少ない客車を牽引していましたが、1995年に廃止されました。また、映画の後半で二人が乗った貨物列車がフラッグスタッフに向かうので、今回の路線を逆に走っていたようです。

日本の寝台車とは、設備や景色や距離は違いますが、読書したり、景色を眺めたり、居眠りしたりなど、いつもの寝台車の過ごし方で、退屈もせず、ゆったりとした時間を過ごせました。

4月1日の午後、時刻表通り、間もなくシカゴ(ユニオン・ステーション)到着というアナウンスがあって、高架線路になったあたりで列車が停止しました。雪で遅延が起こっているそうで、結局、1時間以上待たされてのシカゴ到着となりました。先生が迎えに来ていただいているはずなので、この時だけはちょっとあせりました。

エバンストンの先生のお宅です。屋根に雪が少し残っています。車の横に立っているのは奥様です。

1992 US 003 Evanston

数日お邪魔して、楽しく過ごしました。

10日ほどの休暇旅行でしたが、いろいろな意味で長旅でした。1年間をかけた長旅だったと言えるかもしれません。