淀川の鳥たち

2023年2月28日

2月に入ると淀川河川敷では鳥の鳴き声が多くなり、ウグイスの鳴き声も混じってきました。2月24日のウグイスのさえずりです。

ウグイスの鳴き声を聴くと春の気分になります。この1年もさまざまな鳥たちと出会いました。これまでほとんど知らなかった世界です。

淀川に多くあるワンド(湾処)の中が釣り堀状態になっています。河川敷内には構造物設置禁止の立て札を多く見かけますが、こういう釣り場はいいのかな?

ともかく、このワンド周辺では多くの鳥たちと出会います。
去年の今頃(2022年2月22日)、キジが藪から出てきました。

以前は少し下流の藪でキジを見かけましたが、そこは樹木が伐採され、藪が刈り込まれてしまいました。動画です。左側がワンドの釣り場です。

2022年5月、カモのカップルが散歩を先導してくれました。

ワンド入り口にオオサギとアオサギが一羽ずついて、魚を狙っている姿をよく見かけます。カメラを向けたら、オオサギが逃げていきました。

こういう組み合わせの場合もあります。ワンドの入り口付近はゴミがいっぱいです。

アオサギはこの付近でいつも一羽でじっと立っています。ここは単なる水溜まりですが、魚がいるのでしょうか。

先週(2月24日)、ワンドと茂みの境あたりに、アオサギのような配色の鳥がいました。体長は40cm以上あるようです。

望遠にしてみたら、なかなか精悍なタカ類でした。足下に黒っぽい羽毛が落ちていて、獲物を食べているようです。

グーグルの写真検索をかけてみたら、オオタカと出てきました。以前にチョウゲンボウが河川敷テニスコートのフェンスにとまっているのを見たことがありますが、サイズは倍以上あるように見えました。
2017年7月に写したチョウゲンボウです。

もっとびっくりしたのはカワセミを見つけたときです。2022年11月9日でした。

遊歩道横の岸辺あたりから飛び上がった小さな鳥が見えて、それが青く光ってホバリングをしていました。カワセミでした。何とかカメラを向けて撮影しました。

こんな小さなきれいな鳥はとても魅力的です。30年ほど前にサンタバーバラでハチドリを見たときを思い出しました。

一方、オオバンは最近一番多いポピュラーな鳥です。正面顔は「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」のように見えます。

1年中、毎日の散歩コース(河口から12kmあたり)でお目にかかります。豊里大橋近くでは100羽くらいの集団でいることが多いですね。ここは餌やりさんが高水敷にパンくずを播いているからでしょう。

岸辺に人がいなくなると、その集団が大挙して高水敷に上陸してきます。(撮影:2023年2月23日)

オオバンはけっこう怖がりで、人が近づくと大挙して川へ避難します。(撮影:2023年2月23日)

この10年の淀川河川敷散歩では、これまで知らなかった野生動物や植物と出会うことができてとても楽しく、体力維持とあわせて、あきない日課になっています。

淀川市民マラソン2022

2022年11月6日

今年は3年ぶりに第24回大阪・淀川市民マラソンが11月6日(日)に開催されました。第23回は記事にしていなかったのですが、2019年11月3日、パスカルJrと一緒に見ていました。

久しぶりのマラソン大会の準備のためでしょうか、今年10月にはスタート/ゴール会場周辺の整備が始まりました。堤防の草刈りが終わり、最後は高水敷のグラウンドと道路を分ける樹木の伐採です。

11月1日には低く刈り揃えられました。

11月4日からはテントや舞台などの設置が始まりました。

前日5日にはほぼ準備完了のようです。

その夜の淀川散歩では作業が続いていました。上空を伊丹発羽田行き最終便が飛んでいきます。

11月6日の当日、河川敷に着いたのは9時半で、すでにハーフマラソン(エントリーは7千人)は9時にスタートしていました。ハーフマラソンは川下に向かいます。

9時40分からフルマラソン(エントリーは6千人)がスタートするので、近くに移動しました。フルマラソンは川上に向かってスタートし、枚方から戻って、ハーフマラソンの川下のコースに向かいます。

10秒前から、エントリーした全員がゲートを過ぎるまで動画を撮ってみました。3分20秒ほどで、音が出ます。ゲート横でQちゃん(高橋尚子さん)がマイクで励ましながら、ずっと手を振っていました。

Qちゃんは全員が走り去ってから、数人と一緒に後を追って走り出しました。どこまで走ってくれるのでしょうね。

夏も終わりに

2022年8月17日

淀川堤防の上は7月半ば以降、午後8時過ぎでも30℃を下回らないことが多く、風のない夜もけっこうあります。早足で歩くと汗が流れる暑さですが、夏の夜の淀川は光と音の変化に富んでいます。

8月1日、西空に沈んでいく三日月、高水敷で花火遊びをしているのが見えます。伊丹空港を離陸した羽田行き最終便が頭上に回ってきます。

8月6日、堤防に上がる前から吹奏楽が風に乗って聞こえていました。有名な淀川工科高校吹奏楽部が高校近くの淀川高水敷で夜間練習をしていました。指揮者の後方から照明が一つ当てられているだけで、真っ暗です。みんな暗譜しているのですね。後ろは内環状線の豊里大橋です。羽田行き最終便と伊丹着陸便が飛んでいます。この動画は音が出ます。

あとで調べると、大阪府吹奏楽コンクールが8月13日だったそうです。見事に淀工は金賞で関西大会出場となりました。

終戦の日、8月15日の夜には虫の音がとてもたくさん広がっていました。この動画も音が出ます。

暑さは続いていますが、立秋から1週間が過ぎると、自然世界は秋に入っているようです。でも、遠くに見えるEXPOCITYの観覧車(OSAKA WHEEL)は新型コロナ新規感染者高止まりで赤にライトアップされ続けています。

京街道5:淀-伏見

淀川散歩の拡大版、京街道歩きも5回目になりました。
4月9日(土)12時、少し遅くなりましたが、京阪淀駅に到着しました。淀城跡を見学してから伏見に向かいます。

いつも京阪電車から眺めている淀城跡ですが、これまで訪ねたことはありませんでした。

競馬場と反対側の駅前には淀城シンボルの水車のモニュメントが置かれています。

本丸の石垣がほとんど残っていて、木々の茂る公園のようです。

絵図が置かれていました。元来はけっこう複雑な堀で囲まれていたのですね。現在は内堀が半回り残っているという状態です。

淀駅と反対側(桂川方面)から城跡を出ると、道路の向こうに水車跡の石標がありました。ここが上の絵図の一番手前あたりということになるようです。

さて、京街道歩きですが、淀から先はいくつか選択肢が出てきます。京街道を京に向かう街道として考えるか、東海道五十四次~五十七次の部分街道として考えるかの違いです。

この水車跡碑のある道路を少し進むと納所(のうそ)という交差点があり、そこから桂川に沿った千本通につながります。千本通はかつての朱雀大路であり、羅城門から洛中に入って北に行きます。この道は鳥羽街道(あるいは大坂街道、京街道)と呼ばれていて、大坂と京を結ぶ基本となる街道です。

一方、東海道として、京を避けて大津に進む場合は、京街道は伏見(東海道五十四次)に進みます。淀や伏見を京(広い京)とみなして京街道と呼ぶか、洛中を京(狭い京)とみなして京街道と呼ぶか、少々混乱します。今回は淀川散歩の拡大版として歩いていますので、淀川の三川合流地点の上流としては、淀川水系のメインストリームである宇治川沿いの伏見に進むことにしました。

ただ、グーグルのストビューで確認したら、淀から伏見への街道は現在、人家も歩道もない自動車道が長く続くようなので、納所から少し千本通を歩いて、伏見の手前で東海道に入ることにしました。

納所の六叉路交差点に来ました。明治22年測量の地図(三川合流工事の前)を見ると、このあたりに宇治川の本流が来ていて、桂川が加わったようですが、明治末の淀川改修工事(流路変更)で宇治川は淀の町の南側になって、町の様子は大きく変化しました。
千本通は行き先表示のない細い左斜めになります。

ここが千本通の始まりです。

曲がるとすぐに唐人雁木旧跡という説明板がありました。

納所は倉庫で、このあたりが宇治川舟運の荷物の集結地だったそうです。唐人は朝鮮通信使で、ここから上陸したという場所のようです。

しばらく歩けば、千本通は桂川の堤防下になり、堤防に上がると爽やかな初夏の雰囲気でした。

このあたりは三川合流地点から3.2kmだそうです。

桂川の左岸堤防を2キロほど歩いてから伏見に向かいます。午後1時過ぎになり、このあたりからとても暑くなってきました。途中のコンビニでマンゴー・アイスを食べて一息、休憩しました。

東海道に戻るためには通らなければならない国道1号線(京阪国道)を歩き始めると温度計がありました。LEDなのでうまく撮影できなかったのですが、28℃の表示でした。

宇治川の右岸堤防にたどり着きました。かつての巨椋池(おぐらいけ)が広大だったとわかります。こういう景色を見ながらの日陰の休憩(第二京阪道路の橋の下)が一番です。

有名な三栖(みす)の閘門に行くために東高瀬川を渡るのですが、人道橋が通行止めになっています。

遠回り(30分近く)をして対岸を戻ってきたら、人が通行止の橋を渡っていました。よく見たら、柵の隙間から入りこめば、”at your own risk”で渡れましたね。

おしゃれなデザインの三栖閘門は昭和初期の完成なので、東海道とは無関係の時代の産物ですが、淀川のライブカメラでいつも眺めているので、前々から見たいと思っていました。

大正時代の淀川改修増補工事で伏見の濠川と宇治川との水位差ができたので閘門を建設したようですが、1964年に天ヶ瀬ダムが完成してからはさらに4mくらい宇治川の水位が下がって、閘門も役に立たなくなり、舟運の需要も減って、閉鎖したままになったそうです。それでも、2010年に土木遺産に選奨されています。

内側の水門は開かれていて、濠川の水位で観光舟が出入りしています。

ここを見学してからは、濠川に沿って歩きます。伏見の城はすべて消えていますが、濠川は初代の指月城の堀だったそうです。伏見も秀吉の命によってかなりの治水工事が行われたようですね。

東海道の街道筋ではないようですが、寺田屋の前は通りました。

伏見の街は広く、しかも何度も来ているので、そのまま京阪伏見桃山駅に向かい、駅に近いうどん屋で今日もカレーうどんを食べて帰りました。

淀駅を降りて伏見桃山駅に着くまで約4時間、1万6千歩ほどで約11キロでした。今日は夏日で、太陽が厳しく、かなり疲れました。

京街道(東海道五十四次~五十七次)を5回に分けて、延べ56kmほど(周囲の見物を含む)歩いて、淀川筋の街道周辺の全体が見えたような気がします。京阪電鉄が京街道に沿った路線としたことがよくわかりました。現在、全体の半分は旧街道らしい雰囲気のある狭い道、1/4は淀川堤防(文禄堤)、1/4は交通量の多い広い道路、という印象でした。

10年前に八軒家から枚方までの観光舟旅をしましたが、両側の高い堤防と橋の裏を眺めるばかりで、退屈でした。せめて伏見まで舟で行けたら面白いと思っていましたが、三栖閘門での水位差を見て、それは無理だとわかりました。稼働が続いている大阪の毛馬閘門(2007年に土木遺産)は今後も存続維持してほしいですね。

いずれ、伏見から京へか、あるいは追分・大津へか、それともどこかの街道へ歩きに行くか、どうなるかわかりませんが、当面、これからの暑い夏は普段の短い淀川散歩も朝か夜になるでしょう。

京街道4:樟葉-淀

京街道散歩の4回目は4月4日(月)、樟葉(=楠葉:くずは)から背割堤の桜見物を挟んで淀までの予定です。10:50に京阪樟葉駅から歩き始めました。

今日は最高気温が20℃になる予報です。先ずは、京阪の次の駅、橋本を目指します。しばらくだけ旧街道らしい道になっています。

その後は橋本の集落まで京街道は文禄堤の上で、それは現在の淀川堤防上の府道13号になります。でも、このあたりの府道13号には歩道がなく、交通量も多いので、堤防に上がらず、下の道を選びました。それが面白い発見になりました。知らなかった楠葉台場跡の公園です。

このあたりは幕末の鳥羽伏見戦の激戦地だったそうで、ここには幕府方の砲台が置かれていたそうです。向かいは大山崎です。戊辰戦争の初戦で幕府軍の遁走の始まりでした。

京阪電車が横を通過している雰囲気は近鉄が走っている平城京跡の縮小版のように感じました。

京阪橋本駅の手前で街道にたどり着きました。
橋本は明治から昭和の戦後にかけて賑わった遊郭で、今でも街道沿いにそういう建物が残っています。

橋本を過ぎてから堤防上の府道13号を横断し、淀川(三川合流地点の上流なので木津川)の高水敷に降りて歩きます。なかなか開放的で明るい道になっています。正面遠くに御幸橋、近くは菜の花の黄色、左手遠方に背割堤の桜並木が見えます。この景色を眺めながら土手で休憩しました。昔はこのあたりに山崎橋があったそうで、橋本の地名になりました。

このあたりの水際は夜になると谷崎潤一郎の「蘆刈」の雰囲気が出てくるのでしょうか。

御幸橋の手前にある距離標には三川合流地点から1.0kmの木津川となっています。

木津川を御幸橋で渡ります。石清水八幡宮駅方面からかなりの人出です。

背割堤の桜並木の下を大勢の見物客に交じって先端まで歩きました。

ここは40年ほど前までは松(アカマツ)並木で、嵯峨野と合わせて時代劇の舞台としてよく使われていたことを覚えています。

背割堤の途中で、右側に淀川(宇治川)の距離標がありました。河口から36.0kmです。

ここが桜並木の先端で、この先は灌木が茂っていて、立ち入るのはむずかしそうです。

先端部横の広場に養生中の大きな樹木がありました。

後で調べたら、橋本の堤防斜面にあった有名なクスノキを4年ほど前に移植したそうです。橋本で見ることができなかったのが残念だったのですが、ホッとしました。いずれはシンボルツリーになるのでしょう。

桜並木を往復すると3km、休憩なしに宇治川を渡りました。午後2時前です。

ここから20分ほどは京阪の物流センターの横など、愛想なしの道でしたが、それから先は落ち着いた古い町並みを楽しめました。

京阪淀駅・京都競馬場前に到着しました。午後2時40分でした。

暑い中を4時間歩いたので、かなり疲れて、淀城跡見物などは次回に回しました。駅前の喫茶店で遅い昼食のカレーライスを食べて休憩し、淀駅から京阪で帰ります。

京都競馬場は来年3月まで改築工事が続くそうで、淀駅の高架ホームからたくさんのクレーンが見えています。

今日は1万9千歩、約13km、約4時間でした。

京街道3:枚方-樟葉

京街道散歩の3回目は3月29日(火)、枚方(ひらかた)から樟葉(くずは)までの少し短い区間にしました。短くしたのは、次回の散歩で背割堤の桜並木見物を入れるためです。淀川の三川合流地点の背割堤の桜が満開になったら樟葉から淀まで歩く予定です。

10:45に京阪電車枚方市駅に到着し、10:50に前回の到着地点である駅近くの新しい道標から京街道を歩きます。

繁華街からすぐに街道っぽい道が続いています。

すぐに天野川の土手、枚方宿の端(東の見附)で、ここでも郷土史勉強会のグループが休憩していました。

京阪電車近くの街道らしい雰囲気のある道路から、京都府道・大阪府道13号京都守口線に入りました。こういう交通量の多い道路の歩道を歩くのは疲れます。

御殿山駅です。

この先からまた街道らしい雰囲気の道に戻りました。

京阪を東へ渡ります。

片埜神社(枚方えびす)の方向です。
桜が満開の公園がありました。阪今池公園というそうです。

桜を見ながら少し休憩しました。起伏のある公園はいいですね。

牧野駅に向かいます。

牧野駅横の踏切を渡って、

線路沿いを歩きます。

古びたお地蔵さん( 上島町地蔵尊 )が土手下にある舟橋川を渡ります。

土手上の無粋なプレハブは川床工事のためでした。

その後の街道らしい道はほんの少しで、最後は淀川堤防上にある府道13号の歩道です。交通量は多く、右横を京阪電車が走っています。

とても大きな橋脚の造成地がありました。新名神高速道路の高架橋だそうです。

淀川の高水敷にはゴルフ場が広がっています。

やっと樟葉駅の裏に到着です。

今日のゴールの京阪樟葉駅です。12:50でした。

昼食は今日も駅ビル内でカレーうどんです。

今日の歩数はおよそ1万4千歩で約9km、寄り道がほとんどなく、所要時間は2時間でした。

京街道2:守口-枚方

2回目の京街道歩きは3月19日(土)になりました。守口から枚方(ひらかた)までです。

10:30に前回の到着地点である守口市八島町の交差点を右に(竜田通へと)曲がります。
竜田通に入ってすぐ右の駐輪場に本陣跡の案内表示があります。

その先の右角に蓮如が創立したとされる浄土真宗の難宗寺(守口西御坊)があります。

その角に石標が4つ集まっています。

守口宿には本陣が一つありましたが、大坂京橋から2里2時間なので、参勤交代で宿泊した大名の話を聞いたことがありません。でも、明治天皇が明治改元直前の大阪行幸で京街道を進み、初日は石清水八幡宮に宿泊、2日目は枚方で休憩し、守口の難宗寺に一泊、3日目以降は大阪の北御堂に滞在となっています。大阪遷都の可能性があった行幸だったようです。大阪からの帰路は八軒家から船だったそうです。

京街道は難宗寺の角を左に曲がって浜町に入ります。すぐ右手に盛泉寺(じょうせんじ)があります。ここも浄土真宗(守口東御坊)で、大阪行幸では賢所となった場所です。すべて浄土真宗の寺院ですね。明治天皇は蓮如に慧燈大師の諡号を贈っています。

国道1号線を渡ると一里塚があります。今日は郷土史勉強会の見学のようで、多くの人がいました。

しばらく歩くと淀川の横にある 守口市の浄水場に出てきます。

このあたりから上流の淀川左岸の堤防は文禄堤=京街道なので、浄水場を迂回して、淀川の堤防に上がってきました。

ここから枚方の手前までひたすら堤防の上を歩くことになります。

現在の淀川堤防は周囲より8~10mくらいの高さですが、文禄堤は半分くらいの高さだったようです。でも、江戸時代の版画などではほとんど堤の高さのない描き方をしています。。たとえば、淀川両岸一覧に出ている佐太天神宮(守口市)の紹介です。

対岸からの構図でしょうが、佐太天神宮の鳥居と参道が低水路の向こうにそのまま見えています。浪花百景にも同じような構図の絵があります。現在の堤防の上から写真を撮ると、鳥居と参道は中央の下奥になっていて、舟や対岸からは見えなくなっています。これは堤の高さが半分くらいでも見えないでしょう。なお、佐太天神宮の石の大鳥居は2018年の地震で笠木などが落ちたままで、柱だけになっています。

佐太天神宮の境内には与謝蕪村の句碑(「窓の灯の佐太はまだ寝ぬ時雨哉」)があります。下5が「ちどり哉」もあるようで、こちらのほうが好みです。蕪村が京から毛馬に戻る夜舟から眺めた深夜の佐太宿の賑わいだそうですが、この句でも舟から宿の窓の灯が見えていたようですね。当時の淀川の低水路の高さ、堤防(文禄堤)の高さ、家屋の位置などがわかると面白いのですが、そういう資料は知りません。

堤防の上を歩き続けるのに少し飽きてきたので、堤防から高水敷に降りて、川の流れを見ながら歩いてみました。

このあたり(淀川河口から20キロあたり)は毎日歩いている大阪市旭区・守口市あたりの高水敷よりも寂しい、でも悪くない雰囲気になっています。

堤防に戻ると、茨田堤(まんだのつつみ)の碑が置かれていました。

ここは寝屋川市で、仁徳天皇が整備させたと言われている茨田堤があったそうです。北河内が水浸しの時代ですね。

1キロほど先で、堤防から降ります。枚方市に入っています。堤防歩きは約7キロ続きました。

降りていく道の高さが堤防の途中で水平になって住宅が並んでいます。資料によると、この一列の住宅地が文禄堤の高さだったそうです。これくらいの位置に建っている住宅はところどころで見かけました。

京街道はこの先、蓮如が建てた光善寺(出口御坊)に向かっていきます。このあたりの街道はこんな落ち着いた雰囲気になりました。

光善寺です。

枚方市に入ると京街道の案内を多く見かけます。観光案内に力を入れているようです。

枚方宿に到着し、何度か来ている鍵屋の前を通ります。すぐ裏が淀川の堤防です。

京阪枚方市駅近くの石標を今日の終点としました。

今日の歩数は1万8千歩ほど、およそ12キロ、3時間半でした。遅めの昼食は枚方市駅でカレーうどんとなりました。

京街道1:高麗橋-守口

今年3月に入って、季候が良くなってきたので、毎日の淀川散歩を延長してみたくなり、淀川筋の京街道(大阪から伏見)を歩いてみることにしました。

京街道は秀吉によって整備された淀川左岸の堤(文禄堤)を通る街道ですが、江戸時代には江戸方面から京を通らずに大坂に向かう東海道とされ、五十四次が伏見、五十五次が淀、五十六次が枚方、五十七次が守口となっています。地元を通っているのですが、街道だった道路は1kmくらいの範囲しか歩いたことがないので、街道全体を何回かに分けて歩いてみることにしました。

最初の試みは3月12日(土)、地下鉄で北浜まで行き、高麗橋から大阪城の京橋を渡って、守口宿(東海道の五十七次)までの10kmほどです。この区間は2011年にママチャリで走っていて、その時の所要時間は1時間半ほどでした。

普段の散歩では歩かない距離なので少し心配でしたが、この区間は京阪電車と地下鉄谷町線の沿線なので、いつでもギブアップして電車で帰宅できます。

スマホに現在地と連動する京街道の地図が出ますので、道を間違えることはありません。以前に自転車で走ったときは、紀州街道・京街道の部分地図を10枚以上印刷して、蛍光ペンで街道を書き込み、前カゴの上に載せていましたが、そういう苦労は不要になりました。

10年ぶりの高麗橋(大阪市中央区)です。11時15分でした。

ここから京橋に向かいます。土佐堀通りを東に歩いていると、途中に熊野街道の案内がありました。平安時代から江戸時代まで流行った熊野詣は京からの淀川舟旅から上町台地を上って南に向かいます。長い旅です。

近くに八軒家船着場跡がありました。

大阪城の京橋(寝屋川)を渡ります。渡ると都島区になります。ここが江戸期までの京街道(東海道)の起点です。

京阪京橋駅前にある道標です。京街道は写真の左奥のJR陸橋の向こうに続きます。

陸橋の向こうの商店街に進みます。ここから守口まで、京街道は淀川から離れた内陸部を通ります。

この商店街(新京橋商店街)を歩くと、やっと旧街道らしさが出てきました。

こういう立派な案内板がありました。

大阪市は昭和の終わりから平成にかけて、このような地域文化の広報活動が盛んだったようで、その頃に整備された案内板は大阪市内(都島区・旭区)にところどころ置かれていますし、道標も多く立てられています。

また、道路に特殊なパターンで京街道であることを示しているところもありました。

路面の銘板表示です。

街道筋がそのまま商店街になって残っているのは新京橋商店街に次いで、旭区の千林商店街や守口市の土居商店街がありますが、いずれも商店街を横切る感じでした。

昼ご飯は旭区高殿にある鰻の「魚伊」が街道のすぐ横なので、久しぶりに入りました。12時50分でした。2時間歩き続けて少し疲れたので、いい休憩になりました。

午後2時15分には文禄堤らしい雰囲気が少し残っている守口に戻ってきました。

こういう道がしばらく続きます。旧街道らしいですね。

何年か前に模擬再建された高札場です。書かれている内容はマナーみたいなもので、面白くはありません。

こういう日本家屋が建っている狭い道路が旧街道の典型的風景と言えますね。

淀川の流路変更工事(明治の終わり)前までは、街道(文禄堤)の左側が淀川でした。文禄堤らしさが消える八島の交差点(国道1号線)が今日の終点です。江戸時代の高札場はここにありました。

ここを右に曲がると守口宿の陣屋跡や明治天皇の宿泊地などがありますが、今日の散歩はここまでです。今日の散歩は1万4千歩ほどで11キロちょっと、普段の淀川散歩の3倍強、昼食込みで3時間半でした。

この区間は都会に残った旧街道らしく、曲がりくねった道路脇にビルや住宅などが途切れることなく続いていて、楽しそうな外観の店もあり、退屈することはありません。でも、長距離散歩は1時間に1回は休憩が必要なようです。

淀川:太陽の塔が見える

2022年2月25日
3月19日 追加訂正

淀川散歩を続けて10年になりました。パスカルとの散歩がなくなって、運動不足解消がメインの散歩になると、よそ見をしながら歩くことが多くなりました。

散歩コースは下流方向の場合は豊里大橋(内環状線)まで、上流方向の場合は鳥飼大橋(中央環状線)までのいずれかの往復です。いずれであっても、左岸を上流に向かって歩いていると左前方の遠くに万博記念公園の観覧車(オオサカホイール、高さ123mで日本一)が見えています。観覧車はライトアップされているので夜の散歩でも見えます。

今年になって、観覧車の左後方には太陽の塔があるけれど、はたして淀川の高水敷あるいは堤防上から見えているのかが気になりました。太陽の塔は高さが70mで、観覧車の半分くらいです。観覧車の上半分が見えているなら、太陽の塔の顔が少し見えている可能性があります。

散歩用歩道や運動施設のある淀川高水敷の標高は3mほど、堤防の上は10mほど、太陽の塔が立っている広場の標高は40mくらいのようです。距離は7kmほどですが、途中にはたくさんの建物があるので、建物の隙間から覗く雰囲気です。

肉眼では観覧車しか見えません。重いですが、300ミリの望遠レンズを付けたカメラで何カ所かで撮影してみました。すると、2か所で太陽の塔を撮影することができました。

河口から14.2km付近(豊里大橋の近く)です。肉眼での風景はこういう感じです。

この方向で、堤防の上から撮影して、トリミングしました。

観覧車の左側のマンション屋上に太陽の塔の顔だけが出ています。
この撮影方向をグーグルマップで調べました。

直線距離は8.2kmくらいです。
その後(3月17日)、同じ方向で、堤防下の高水敷(歩道や運動施設のある河川敷)からも撮影することができました。顔だけが工事用クレーンの下、建物の上に小さく見えています。

この場所以外では、2kmほど上流の鳥飼大橋の近くまで行かないと見えません。河口から16km付近で、肉眼による景色はこんな感じです。

この方向で、堤防の上からの撮影です。

建物の間、観覧車のすぐ横に太陽の塔が上半身を見せています。
グーグルマップによる方向です。

直線距離は6kmくらいです。このあたりから上流になると観覧車と太陽の塔が重なってしまいます。

その後、3月19日に京街道を守口から枚方まで歩いた時、鳥飼大橋と鳥飼仁和寺大橋の中間点あたりの堤防の上(文禄堤の想定:淀川河口から18kmくらい)から、太陽の塔と観覧車の位置が逆転した写真を撮ることができました。小さなデジカメのズームなので、画像は粗くなりました。

グーグルマップによる撮影方向です。直線距離は7.1kmほどです。

高水敷からの撮影はむずかしく、これからの季節は対岸の木々が茂ってくるので見えなくなるでしょう。高水敷から堤防の上までの7~8mほどの高さがキーになっているようです。

淀川:2021年末~2022年始

2022年1月3日

謹賀新年

これまで淀川散歩はほとんど夜の堤防歩きでしたが、寒くなってきた12月中旬からは午前中に河川敷を歩くように時間帯とコースを変更しました。歩数は3割以上増えました。

久しぶりに明るい河川敷を眺めると、陸上トラック運動場とテニスコートが朱色のフェンスで囲まれて、重機が動いていました。

看板がありました。

9月末から工事が始まっていたようで、2022年3月10日に完了のようです。河川事務所発行の整備予定(インターネット上の資料)を眺めると、5年後くらいには地下鉄守口駅からの連絡通路を含めて、河川敷を運動公園にしていく計画だそうです。

第一弾として、6面あったテニスコートは1面のみになり、他の部分は遊具などを置くために整地しているそうです。まあ、テニスコートは2013年に河川敷が全面冠水してからは2面だけが使える状態で、他は荒れたままでした。

テニスコートの奥はパスカルといつも歩いていた散歩ルートで、川岸のワンド入口に至ります。ここではほぼ毎日、シラサギとアオサギに会うことができます。餌場になっているようです。

シラサギが魚を捕まえる動画です。音は出ません。

カラスが加わった日もありました。岸辺の漂着ゴミは何とかしたいですね。

2022年元日は曇っていましたが、凧揚げは盛んでした。写真の中央に伊丹への着陸便が写っていますが、他の灰色のシミはカイトです。和凧はほとんど見かけませんでした。

2日は堤防からすぐ外の八雲神社へ初詣に寄りました。何度か訪ねていますが、初詣としては初めてです。

川岸(高水敷)の柵より下(低水路)は2021年1月に大規模な伐木工事がありました。現在も堤防の上から眺めると水面が見えていますが、川岸に近づくと伐採された木々がすでに3mくらいに成長しています。

切り株の周りからいっぱい萌芽(ひこばえ)が伸びています。

1年足らずでこれほどの成長があるようです。

笹原では伐採当時に残された(枯れた)枝葉が押し上げられています。

もっと伸びた雑木がツタ類の枯れ枝葉を持ち上げている姿は象か恐竜のようです。

久しぶりに明るい空の下での散歩は楽しいものです。でも、夜の散歩も、大阪の街灯り、月や星、虫たち、コウモリ、ネコ、時としてキツネ、タヌキ(アライグマかも)などに会い、伊丹への着陸便、羽田行きの最終便を見送るなど、なかなか魅力的に感じます。