とても見応えのある、楽しい演目でした。でも、ちょっぴり文句も・・・。
文楽劇場4月公演は「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の通し狂言で、第一部(午前11時開始)と第二部(午後4時開始)に分かれています。もちろん、観たことはありませんが、数年前に自炊本、司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談集「日本人と日本文化(中公新書 1972)」を読み返していて、キーンがシーボルトの妹背山婦女庭訓の観劇後日談について語っている部分で、キーンの博識に感心したこと、シーボルトが帰国後にオペラにしたいと思った演目はどんな内容なのかが気になったこと、などは覚えていました。
ということで、がんばって通しで観ることにしましたが、体力と日常生活に差し障りがあるので、4月19日に第一部を、20日に第二部を観ました。文楽劇場へは地下鉄乗り継ぎで行きます。谷町線から堺筋線に乗り換え、文楽劇場のある日本橋に間もなく到着というとき、相互乗り入れ阪急電車の車内表示がとても見やすいことに気がついて、つい写真を撮りました。配色とフォントの選び方が上手ですねえ、
今回の公演のチラシは2枚ありました。
予習としては、岩波の人形浄瑠璃集を読みましたが、「山の段」しか載っていなかったので、舞台の上に出る字幕表示を読むことにしました。いつも通り、ミニ床本付きの解説書も買いましたが、間に合いません。
座席はいつも床(ゆか:太夫と三味線の座るところ)に近い上手ブロックの中央寄りの席を選ぶようにしています。太夫の声と三味線が迫力を持って聞こえますし、人形がよく見えます。今回は予約が遅くなって、19日の第一部は11列目になりました。11列目は人形が小さくなって、少し遠い気分でした。20日の第二部は6列目で、これはちょうどいい、あるいはもうちょっと近くでもいい、という好みです。
妹背山婦女庭訓は近松半二らの合作で、1771年に竹本座で初演だそうですが、蘇我入鹿が出生からの怪物で悪役になっていて、天智天皇を排斥して玉座に着き、悪政を働くのを打倒する物語になっていますので、頃は飛鳥時代です。なかなか大胆な設定です。
第一部(小松原、蝦夷子館、猿沢池、太宰館、妹山背山)は、蘇我入鹿の台頭と、天智帝を擁護する人たちの苦難の始まりを描いていますが、やはり山の段(妹山背山)がハイライトですね。その前の太宰館が終わって休憩していたら、これまでの観劇では気がつかなかった下手にも床があり、そこに見台と三味線が並べられました。もちろん、上手の床にも並べられています。おお、これはステレオだ、と気がつきました。知らなかったけれど、とても面白い趣向です。この段は中央の座席が最高なのですね。山の段の舞台の模型が展示室に置いてありました。
山の段は吉野川(紀ノ川)をはさんで、相思相愛の久我之助(こがのすけ)が上手・背山で切腹、雛鳥(ひなとり)が下手・妹山で首を切られるわけですが、左右の床の掛け合い、桐竹勘十郎の久我之助、吉田玉男の大判事清澄(久我之助の父)、吉田簑助の雛鳥、吉田和生の定高(雛鳥の母)という豪華な組み合わせで、三味線と語りに合わせた人形の動きがすばらしいものでした。
紀ノ川に行ったとき、上流から妹山(左側)と背山(右側)を写しました。川幅はけっこうあります。
飛鳥時代に切腹はあり得ない、なんてこととは別に、背山で久我之助が刃を腹に突き刺してから、妹山で雛鳥の切望で母親に首を切られ、その首が川を越えて目の前に置かれて父親に介錯されるまで、文楽の決まり事とは言え、とても長かったので、久我之助はさぞや苦しかろうと考えていました。
山の段ではウグイスの鳴き声が時々聞こえてきます。それで驚いたのは、囃子方のウグイス笛の吹き方が「ホー・ホケキョ」ではなく、「ケ」が一つ多い、幼鳥風の「ホー・ホケケキョ」だったことです。淀川でよく聴いている鳴き方です。
2日目に観た第二部(鹿殺し、掛乞、万歳、芝六忠義、杉酒屋、道行恋苧環、鱶七上使、姫戻り、金殿)では、猟師芝六を吉田玉男、お三輪を桐竹勘十郎が担当です。同じ公演の中で、人形の男と女の所作を遣い分けるというのは、当たり前なのかもしれませんが、熟達とはすごいものですね。玉男さんが女(玉女)から男になったのは最近でした。
芝六忠義の段では、三味線で驚きました。竹澤宗助が弾く低音弦のスローな調子がまるでブルースでした。
道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)が彩りを添えています。杉酒屋の娘・お三輪と入鹿の妹・橘姫が苧環を使って男(求馬)に恋の糸をつなげます。なかなか情感のある楽しい場面ですが、どうも世話物(心中物)の道行のような悲痛さ・理不尽さの奥行きがないのが趣味としてはちょっと物足りない気分でした。
姫戻りの段あたりからクライマックスが始まります。宮殿に戻った橘姫が愛しの求馬から、兄の入鹿が盗んだ剣を取り戻したら夫婦になると言われて、喜んで、取り戻しに行きます。最後、金殿の段では、お三輪が宮殿で求馬を探しているうちに、女官たちに弄ばれ、嫉妬と辱めを受けて逆上した状態で鱶七に刺されます。鱶七から、求馬が鎌足の息子・淡海であることを知らされ、入鹿を征伐するためには、爪黒の鹿の血と、疑着(=疑って、それに固執、執着すること<日本国語大辞典>)の相ある女の生き血を使う必要があることを聞いて、喜悦の最後となります。なかなか複雑な気持ちの変化をもたらす場面でした。
これで終幕になるのですが、えー!、これで終わるの?と、びっくりしました。蘇我入鹿を討ってしまう場面がなければ、多くの人たちが犠牲になりながら続いてきた話のエンディングが、鱶七によるお三輪への説明だけとなり、終幕の解放感が得られません。
後で調べてみたら、オリジナルの五段の内容から、かなり省略されていたようです。購入した解説書付属のミニ床本も省略したバージョンでした。図書館で借りた「新編 日本古典文学全集77 浄瑠璃集」によると、四段目の「金殿」には、蘇我入鹿を討つ場面が続いていて、五段目では都を志賀に移し、忠臣たちへの恩賞、久我之助と雛鳥の供養などがあります。
解説書の「鑑賞ガイド」には、「通し狂言としては、初段から順を追って上演する形もありますが、今回は第一部を初段と三段目、・・・略・・・、第二部では蘇我入鹿打倒に動く人々を描いた二段目、四段目を取り上げ、本作の中の二つの大きな流れをそれぞれお楽しみいただく趣向としました。」とあります。
見せ場的に取捨選択しているようですが、大きな流れの劇の結末を省略されてしまうと、完全通し狂言を観たことがある人はともかく、初めて鑑賞する立場としては中途半端な気持ちのまま劇場を去らなくてはなりません。以前に、玉藻前でも省略があって、話の流れについていくのが大変なところがありました。もちろん、完全通し狂言となると10時間以上かかるのかもしれませんが、それでも今回は延べ8時間近くある二部仕立てなので、もう少し構成の工夫をしてほしかった気がします。
今回の演目は確かに、シーボルトがオペラにしたいと思ったのがわかるくらい、語り、三味線、人形、囃子、大道具すべてで楽しませてくれました。でも、帰宅するときの気持ちは落ち着きませんでした。
PS その後、DVDを借りて、「入鹿誅伐の段」を観ました。20分足らずですが、やはり、この段があるのとないのとは大違いです。文楽劇場で観てから1カ月以上経ちましたが、やっと気持ちがすっきりしました。