淀川上り船クルーズ

2012年11月22日

大阪に戻って半年、11月も終わりに近い22日、淀川を枚方(ひらかた)まで遡上するクルーズがあると聞いたので行ってきました。お弁当(握り飯2つ)とお茶付きで4,800円は安くはありませんが、大阪再発見の一環です。

午前9時30分、天満橋駅近く、大川(旧淀川)の八軒家の浜から出発です。昔の三十石船の乗降地なので結構な場所柄です。

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船は水上タクシーに使われているようなもので、三十石船のような情緒はありません。まあ、寒くて曇りで雨が降るかもしれない天気だったので、こちらのほうが快適でしょう。

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岸壁から離れてUターンすると、八軒家浜後ろの京阪天満橋駅ビルとOMMビルが天満橋を挟んで並んでいます。

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天満橋をくぐると、京阪電車の後ろに大阪城がちょっとだけ見えます。

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船内で案内が始まりました。右端の座席だったので、写真は左岸のみになりました。

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大阪環状線の鉄橋が近づきました。

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一番楽しみにしていたのはここ、毛馬の閘門(けまのこうもん)です。明治期の淀川改良工事で新淀川(新規開削部分)と旧淀川(大川)の水位を変えたことにより設けられ、今は三代目くらいが稼働しています。レンガ造りの古いものは保存されています。

入っていきます。

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閘門に入ってから、水が淀川本流の水位になるまで待っています。

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ここが大川の水位です。

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本流の水位になりました。この日の水位差は2mくらいありそうです。

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みんな外に出て周りを見渡しています。

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閘門を抜けると、波もない茫洋とした淀川本流です。

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最初の鉄橋は柴島(くにじま)浄水場からの水道橋です。

上にカワウがたくさん寛いでいました。

次はJR城東貨物線の淀川橋梁(通称、赤川鉄橋)です。複線幅で単線なので、横を自転車や徒歩で渡ることができます。あと1年ほどで旅客用の「おおさか東線」に向けて複線化する工事が始まるため、歩けなくなるそうです。

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菅原城北大橋をくぐります。ここはまだ渡ったことがありません。

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次は見慣れている豊里大橋をくぐります。

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いつもパスカルと散歩している守口・旭区太子橋地区の河川敷公園が見えてきました。

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鳥飼大橋をくぐります。近畿自動車道、一般道、モノレールの橋が並んでいます。古い橋脚がそのまま残っています。

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砂を満載した砂利船とすれ違いました。

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枚方近くの川辺は灌木がよく茂っています。

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ひらかたパークの観覧車が見えてきました。

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枚方大橋をくぐったら、もう枚方の浜です。

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枚方の浜に着いたのは11時45分、2時間少しの船旅でした。船を下りて、定番の鍵屋(資料館)で休憩です。このあたりは堤防が高くなったくらいで、淀川の流路は大きく変わっていないため、鍵屋の二階から淀川が見えました。

このクルーズは、天気も悪く、橋の裏側ばかりを眺めていた気がします。
枚方までの淀川は広く、堤防は高く、川辺に灌木はありますが変化に乏しく、大きなマンションがところどころにあるという印象でした。右岸の河川敷を自転車で走ったことがありますが、眺めに違いはありません。面白かったのは毛馬の閘門くらいでした。

明治期に流路を変更した淀川は、それまでの度重なる洪水から大阪を守ることになりましたが、水面から眺める景色はとても退屈になりました。若冲の「乗興舟」(文化遺産オンライン)や應挙の「淀川両岸図鑑」、また「淀川両岸一覧」(早稲田大学古典籍総合データベース)などの風情はありません。

守口近辺の淀川流路変更については別記事としましたが、淀川改修工事の全容が見える地図があります。内務省土木局が大正2年(1913年)に発行した報告書「淀川改良工事」の付属地図です。赤い線で描かれているのが変更後の流路です。
2つに分けました。まずは枚方の手前あたりからの下流部分です。毛馬から先は新淀川と呼ばれることになった、ほぼ直線状の広い新規開削の川が大阪湾に向かっています。

淀川改修地図A

次は上流部分です。桂川、宇治川、木津川の三川合流が設けられました。大池と表記されているのは、今はなくなった巨椋池(おぐらいけ)です。枚方から上流は三川合流の他には大きな流路変更はありません。元の地図では琵琶湖からの瀬田川改良を含めて載っていますが、省略しました。

淀川改修地図B

その後の淀川整備工事報告書が土木学会附属土木図書館「内務省河川改修関係書籍」の中に「淀川改修増補工事概要 大阪土木出張所 昭和5年10月(1930)」としてアップされており、PDFで閲覧できます。その中にある「淀川改修増補工事竣功平面図」はベースの地図が少し新しいですが、上記と同じ流路変更地図です。

新流路の全体を眺めると、枚方までの下流よりも枚方から上流のクルーズのほうが楽しそうです。淀川水路の実際を知らないで空想すると、せめて鵜殿から三川合流を越えた淀か伏見まで往き来できれば、昔の三十石船の航路なので、とても魅力的です。伏見では観光小舟(十石船、三十石船)が運行されていますので、これが淀川方面とつながると面白いですが、実際には途中に水門や堰があるのかもしれません。

その後、図書館で見つけた「大阪春秋」という雑誌の第50号(昭和62年7月号:特集 淀川とその周辺)に「当世淀川下り 京伏見~大阪城」という写真入り記事を見つけました。観月橋近くにある旅館から屋形船のような船で下る遊びの同行取材記事で、舟から写した写真と「宇治川両岸一覧」・「淀川両岸一覧」の絵を並べながら書かれています。ここにも、「その景観、三十石舟唄に唄われたかつての風情はもちろん今はない。鳥飼大橋が見え、大阪市内の展望が開けてくるまでは、どこにでもある土手が単調に続く。」と記されています。

次の機会では、大川から道頓堀などを巡る大阪街中クルーズを選ぶことにします。