2. CD50とSRX600

2021年3月2日

1980年に札幌に移りました。オートバイには乗っていませんが、好みのオートバイを見かけると近寄ってしまいます。これは1982年、アメリカ滞在中に撮ったスナップです。ボストンPDの白バイで、ハーレーのロードキング(Harley-Davidson Road King)ですね。

1987年、北海道の道路は二輪で走ると楽しそうで、そろそろオートバイを、という気分になっていました。雪解け時期に立ち寄った小さなバイクショップで古いビジネス用オートバイ(ホンダのベンリィ CD50)がありました。古いけど手入れが行き届いていたので、これは売り物ですか、と聞いたら、店主のおじさんが、自分が使っているのだけど、売ってもいいよ、という返事で、昔にスーパーカブを売った値段より安かったので衝動買いしてしまいました。二輪車操縦の基礎を練習しておきたかったのです。

20年ぶりの原チャリ(第一種原動機付自転車)ですが、スーパーカブと違ってCD50にはクラッチがあり、ガソリンタンクも前にあります。クラッチの操作とニーグリップ(ガソリンタンクを膝で挟む)というオートバイの基本を練習できます。スーパーカブと同様にパワーはありませんが、それがかえって気楽なので、解説書を読みながらいろいろな乗り方を練習しました。

自宅が新規宅地造成地にあり、造成区域内には舗装道路があっても住宅のないブロックが多く残っていて、見晴らしが良く、オートバイの練習にはぴったりでした。

CD50を1年(北海道では4月から10月まで)乗り回して慣れると、大きいサイズのオートバイが欲しくなってきます。まあ、大きいサイズに乗りたいから練習したのですけど。翌年の春にいくつか中古バイクショップに入ってみました。

一目で気に入ったのが1年落ちのヤマハSRX600(1985年登場の初期型1JK、車体のロゴ表記はSRX6)でした。単気筒でキックスターターはこれまでの原チャリと同じですが、10倍以上の排気量で、前後とも油圧ディスク・ブレーキ(前はダブル)です。

1988年、CD50(右)は若い後輩に譲ることになって、お別れの日です。SRX600のサイズはCD50より一回り大きいくらいです。

通勤するようになりました。職場で着替えます。

608ccの空冷4バルブOHC単気筒エンジンは独特の音と振動があり、加速も原チャリとは比べものになりません。軽量で取り回しも良く、オートバイに乗っている楽しみを存分に味わうことができました。軽量といっても、車重はCD50の2倍(170kg)あるので、最初の1週間だけですが、数回、車体を支えきれない立ちごけ(エンジン停止中の不注意による転倒)はありました。

この頃に使っていたベルトをレザークラフト入門で取り出してきました。自作スマホホルスターと相性はとても良さそうです。

休日には、自宅からアクセスしやすい石狩川河口へ、国道231号に乗って浜益から山に入り、当別町の山林地帯のワインディング・ロード(現在の道道28号の旧道)を走って、山奥に見つけた喫茶店でコーヒーを飲んで帰るという、150kmほどで4時間程度のコースを定番にしていました。

遠出は一度だけ、夏のある日の午後、「利尻島に沈む夕陽を見たい」と唐突に思い立ち、石狩湾から日本海沿いでサロベツ原野(稚咲内)まで走りました。今は「日本海オロロンライン」と名付けられています。自宅から約270km、5時間ほどのルートです。日差しが強く、薄いジャンパーで爽やかな風を楽しめました。

海岸線を走る国道231-留萌-239-232-天塩町-道道106号線は自動車の往来や信号が少なく、ゆるい起伏やカーブが多く、留萌からは草原のワインディング・ロードの印象です。定番コースの山林地帯と違って見晴らしが良く、長い直線区間では速度に注意しつつも、利尻島に沈む夕陽に間に合いました。でも、カメラを持ってくるのを忘れました。

しばらく夕陽を眺めていましたが、北海道の夏は日の入りが遅く、午後7時を過ぎます。そして、日が沈むと急速に気温が下がってきます。夜にネイキッドのオートバイで30分ほど走ると、薄いジャンパーだけでは寒さで身体がガタガタ震えてきました。耐えられずに、途中の小さな町で雑貨店を見つけて農作業用のビニール合羽上下を買って何とかしのぎました。

寒さに加えて、真っ暗なカントリー・ロードでは、ヘッドライトめがけて大量の羽虫が飛んできます。ヘルメットのシールドスクリーンに当たって前が見えなくなり、何度も停まって拭く必要がありました。留萌からは内陸に入り、疲れ切って帰宅できたのは深夜12時を回った頃でした。

一般道540kmを休憩・食事も含めて12時間ほどで走ることができる北海道でのツーリングは昼間はとても快適ですが、夜の寒さや虫への対策が必要だと身に沁みてわかりました。あるいは、日暮れ前に帰宅することです。

1990年夏から再びアメリカに長期滞在することになり、2年ちょっとしか乗っていませんが、いったんSRX600を手放すことに決めて、バイク好きの学生さんに譲りました。

アメリカでSRXを見かけたことはありませんが、サンフランシスコ近郊で1986年式のSRX600を最近まで乗っていたという動画がYouTubeにアップされていたので、共有リンクさせてもらいました。金門橋が見える夕陽の道です。日本海オロロンラインを思い出しました。音が出ます。

「3. アメリカのM1免許」に続く