IPoE接続への切り替え

2020年3月30日

このところ、インターネット接続(ダウンロード)がとても遅くなっていました。以前から速くはないと思っていましたが、最近は夜になると、グーグルのインターネット速度テストでは1Mbps(1メガビット/秒)を下回ります。他の速度測定サイトでは数Mbpsにはなりますが、いずれにせよ、ADSL(アナログ電話回線利用の通信)の時代に戻ったみたいで、画像が多く出るようなページはなかなか表示されません。

回線はNTT西日本のフレッツ光ネクスト隼、インターネット・プロバイダーはBBexciteで、PPPoE(Point-to-Point Protocol over Ethernet)接続の契約です。光回線の入り口はNTTのブロードバンドルータPR-400NEで、BuffaloのWSR-2533DHP3という無線LAN親機をつないでいます。自宅内はスマホやタブレット端末などを除いて、ほとんどをCAT6のLANケーブル(+ハブ)で有線接続しています。

インターネットの速度(超低速)についてネットで情報を検索してみると、いろいろな要因が絡んでいるようです。

一番大きな問題はNTTの光回線の飽和のようです。24時間ずっと遅いわけではなく、午前中は5Mbpsくらいになる(それでも、最大1Gbps対応というNTTの宣伝の百分の一)ことから、利用者数の増加による速度低下だろうと推測できます。

以前にNTT西日本に問い合わせたことがありますが、詳しい状況の説明はもらえませんでした。光回線の終端ブロックでは、どれくらいの契約者数でどれくらいの速度が出せるのかという情報が開示されていないので、どうしようもありません。

最低速度の保証はどこもやっていませし、プロバイダーを替えるという方法も、アクセス回線の飽和がネックになっているのであれば、根本的な問題解決にはならないのでしょうね。しかも、最近はテレワークが多くなっていますしね。

そこで、この状況が改善できる可能性の一つとして、IPoE(IP over Ethernet)接続によるIPv6を試してみたくなりました。現状のIPv4では世界のIPアドレスが枯渇するというグローバルな話題にも関係するので興味がありました。

これまで契約していたPPPoE接続からIPoE接続に切り替えると、IP(Internet Protocol)がIPv4からIPv6に変更となり、また、IPv4 over IPv6という機能で、従来のIPv4利用のサイトも閲覧できるとなっています。認証方式に関して、間接的な通信が直接的な通信になるというような違いなので、回線スピードも少し速くなればいいな、という気分です。

無線LAN親機はIPoE方式(DS-Lite)に対応しています。BBexciteのIPoE方式は月額700円(新規2カ月無料)で、現在契約しているPPPoE方式が月額500円ですから、差額は200円です。まあ、これくらいの金額であれば、IPv6で通信するのもいいかな、という気分になり、BBexciteのIPoEを申し込んで、3月13日に開通確認のメールが届いてからPPPoE契約を解除しました。

BBexciteの説明によると、IPoE接続に替えても設定変更は何も要らないとのことでした。そして、切り替えた結果ですが、速度はまったく向上せず、ダウンロード速度の変化パターン(夕方から遅くなる)にほとんど違いはありません。やっぱりそんなものか、でした。

しかし、あまりに違いがなさ過ぎて、ちょっと心残りがあって、今日(3月30日)あらためて無線LAN親機の取扱説明書を読み返しつつ、ネットを検索しつつ、設定を調べました。

InternetのIPv6の設定が「NTTフレッツ光ネクストを使用する」となっていましたが、Buffalo製品にはNDプロキシ(Neighbor Discovery Proxies)というモードがあって、それなりにセキュリティを高めることができるようなので、それを選びました。

この設定のみを変更した後、念のためにコンピュータを再起動させてから動きをチェックしてみました。Firefoxに出る画像がなんか速い感じで、早速グーグルの速度テストをやってみました。いつも比較的速い昼間(午後2時頃)で、これまで数Mbpsでしたが、なんと3桁が出ています。しかもダウンロードのほうが速いなんて、初めて見る数字です。

午後8時過ぎ、昨日までは1Mbpsを切っていたダウンロード速度は昼間より遅いですが、これまでとは違う(200倍の速度の)インターネット環境になりました。

速度がグーグルの2倍くらいに出るFAST.COMではこれくらいになります。

この差は測定サーバーまでの距離・ルートなのでしょうね。グーグルは東京、FASTは大阪となっています。

この速さがIPoE方式(IPv6)に切り替えた効果だと言えるのかどうか自信はありません。これまでずっと無線LAN親機の設定を間違えていて、以前のIPv4のPPPoEでも設定次第で速くなっていたのかもしれない、という気持ちになってしまうほどの変化でした。まあ、過去に間違えていたかどうかはともかく、満足な結果になったことで一件落着とします。

DCCブースターの活用

2020年3月25日

最近、1・Gゲージの車両を走らせていると、分岐器などのステーショナリー・デコーダーが動かないことがあったので、接触不良をチェックしてみました。これらのステーショナリー・デコーダーへのDCC入力は近くのレール(ジョイナー部)からハンダ付けで配線していました。

そのハンダ付けがゆるんでいたり、デコーダーの端子ネジがゆるんでいたりしていました。レールに密着端子をネジ止めする方法もありますが、見た目がわざとらしくなります。重い機関車が走行してたわむレール部分から配線しないのがベストでしょう。

愛用しているESU ECoS 50200の使い方とレイアウトは5年以上何も変えていません。50200の左側に1・GとHOのDCC出力配線を切り替えるスイッチボックスを置いています。

赤いシールがDCC出力切り替えスイッチで、下げていると1・Gのレールへ、上げるとHOのレールへと50200からの行き先が変わります。左の黄色シールはDC電源(主に照明用)の行き先切り替えスイッチです。

50200の後に4Aのブースター(ECoSBoost)をつないでいます。

このブースター出力は、HOでは転車台とラウンドハウスに供給されていて、スイッチボックスの右上にある小さなスイッチでオン・オフを切り替えています。HOでこのような切り替え方式にした理由は、50200からのDCC電源供給が始まった途端にラウンドハウスに置いている機関車たちのサウンドが一斉に鳴り始めるからです。転車台へのアプローチに唯一のギャップを入れています。

すべての車両のデコーダー・アドレスを異なったものにして、電源オンでは静かにしているように設定することは可能かもしれません。でも、デコーダーのメーカーはバラバラだし、すべて別アドレスに設定していくのが面倒で、1・GとHOで同じアドレスになっている場合がほとんどです。

その一方で、1・Gは機関車が同時に何両も走行するようなレイアウトではありませんし、ヤード部分の分岐器は選択式(選んだ線路にのみ通電)にしていますし、自動運転にも興味はないので、50200の4A電源だけで十分で、ブースターを使う必要がなく、つないでいませんでした。

今さらながらですが、ブースターを使わないのはもったいないではないかと思い、ステーショナリー・デコーダー用に活用することにしました。配線の系統を分けることで、接触不良などのトラブル・シューティングが楽になります

配線切り替えスイッチボックスの裏です。

スイッチボックスからレイアウトの下にある配線振り分け盤につないでいます。

振り分け盤(背面)からのブースター配線(上から4番目)はレイアウトの基板(路盤)下に回していき、ステーショナリー・デコーダー(分岐器など)の近くにジョイント・ボックスを設置していきました。合計4カ所で、次の写真はそのうちの一つです。

1・Gレイアウトの路盤裏で、逆さまに取り付けていて、ゴチャゴチャしています。奥にあるのが新設のDCCジョイント・ボックスです。手前左がステーショナリー・デコーダー(DigitraxのDS52)、その右は以前に配線したDC電源(照明用)です。これらの小電力接続には抜き差しの楽なRCA端子を使っています。奥に輪にしているケーブルはレールから取っていたDCC配線の名残です。

延べ3日の作業が終わり、すべての動作を確認できました。一般的には、ステーショナリー・デコーダーなどは瞬間的に意外と大きな電流が流れるため、走行用電源(レール)とは別回路にしておくことが望ましいと言われています。まあ、その効果はわかりませんが、1・Gでもブースターが活躍できるようになりました。

「日本茜 伝承と未来」展

2020年3月6日

服飾デザイナーの友人が協力した展示会「日本茜 伝承と未来」が知恩院の和順会館で開催されているので、久々(1年ぶり)に京都に出かけました。

案内パンフレットです。

現在の状況を反映して、四条通はとても歩きやすい人通りです。

八坂神社も閑散と言うほどではなく、記憶にあるかつての平日という雰囲気です。去年の人混みとはかなり違います。

境内でも多く見かける着物姿の若い人たちはみなさん中国語を話していました。

本殿を眺めて気がついたのですが、鈴緒(すずお:鈴を鳴らす綱)が使えないようになっていました。賽銭箱は使えるようです。

知恩院へはいつも八坂神社を通り抜けて南門から入ります。和順会館は南門を入ってすぐ左です。

知り合いにちょっと挨拶をしてから、展示を眺めていきました。

今回の展示会は京都府南丹市美山町で行われている「日本茜伝承プロジェクト」の一環で、美山町で見つけた日本茜を3年かけて増やし、やっと染料として使える量を生産できたので、それを使って開発した商品の発表会だそうです。

日本茜(美山茜)の実物展示です。

日本茜で染めた糸と組紐などの小物製品です。絹を使ったものが多かったように思います。

すべてが薄いピンク色に染まっています。

正倉院に残っている緋色は日本に古来からある日本茜を使っていますが、染めが容易なセイヨウアカネやインドアカネが入ってからは、ほとんど使われなくなったそうです。

うまくコントロールすると、次のようにきれいなカラー・バリエーションができるようです。

さて、友人の作品です。木糸(もくいと)を使った服地を茜で染めて、デザインしています。右から2つめは不要となった端布を集めて作っています。面白いアイディアです。

木糸は杉や檜の間伐材などの木質部分をチップ化し、繊維を抽出して和紙にして、それを細く糸状に切って、撚り合わせてから織って布地になります。

手触りもざっくりした感じで、雰囲気のいい仕上がりでした。

こちらは友人の師匠であり、梅染友禅で有名な山本晃氏の作品(絹)です。

1時間ほど眺めていて、午後2時から「木糸」についてのトークが始まりました。

友人と木糸製作会社(大阪府阪南市の「和紙の布」)社長である阿部氏との対談の予定でした。でも、阿部氏が風邪気味で、時節柄遠慮して欠席なさったので、友人が一人でがんばりました。服飾デザイナーとして、糸と染料の生産とも関わってきた興味深く楽しいエピソードが満載でした。最後に山本氏も解説に加わりました。

新型コロナウィルス感染でざわついている外界から離れて、手作り世界の面白さを楽しませてもらいました。

2024年4月4日追記
山本晃氏は2024年1月に逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。

波板の交換

2階バルコニーの一部が物干し場で、その屋根材は波板です。

パスカルと朝の散歩の後、夏以外はこの下で一緒に日向ぼっこをしていて快適です。

問題は波板が無色の半透明なので、重なっている部分がかなり汚れてきて気になること、前面の雨樋が詰まること、そして、夏場の強い太陽を遮る効果がほとんどないことです。

8年前のリフォームで交換してもらっていて、ポリカ(ポリカーボネート)波板そのものに劣化があるようには見えませんが、雨樋を掃除するにしても波板全体を取り外す必要があります。

そんな状態が続いていましたが、屋根の葺き替えが終わったのを機会に波板の交換をやってみることにしました。2020年2月に入った頃でした。

初めて経験する取り替え作業ですから、念入りに準備を整えます。波板の寸法取り、波板の注文、必要部材の購入、作業道具の取り揃えです。YouTubeの動画解説も参考になりました。今はネット上にほとんどの情報が出ているので準備がはかどります。

現在の波板に貼られているシールです。2012年の製品で、表裏の違いがあります。

長さは6尺で、6枚が使われています。取り替えるポリカ波板をネットでいろいろと調べてみました。1週間ほどの調査で、タキロンの熱線カットという商品(色はブロンズ)が希望の性能のようでした。近所の建築資材ショップも含めると、価格は1枚2,700円で送料無料から1,500円で送料2,000円までという範囲です。最終的には10枚で送料込みの16,000円弱という会社を見つけて通販となりました。10枚というのが多すぎるようで、実は結果的に初心者にとっていい数でした。

2月19日に波板が届きました。

シールです。もう表裏の違いはなくなっています。

作業用に準備した部材と工具です。波板カッターとネジ穴開けは新規に購入しました。波板と合わせた総費用は2万円ほどでした。

上の真ん中にある釘は使いませんが、他はすべて使いました。中央の箱は波板を桟に止めるワンタッチフックです。長さが重要なポイントのようです。

これまでのフック(つまみが割れていたもの)と新しいフックの比較です。フックは5年程度で交換する必要があるかもしれません。

波板カッターは手持ちの板金用ハサミがあれば不要だったかもしれません。専用のネジ穴開けは2階の屋根の下部分が狭いので必要でした。下の大型カッターはステンレスのフックボルトを切り取るときに使いました。

写真の右上にある板は波板の穴開け補助具として手作りしました。余っていた波板を3枚重ねて板に取り付け、ドリル刃を通す穴を開けています。

フックを取り付ける際に、波板の山に穴を開けるので、これを波板の上からかぶせて、穴にドリル刃を入れます。これがないと、ドリル刃が滑って横に穴が開いたりしてしまいます。

この他に、幅の狭い場所に使う波板を縦に切る必要がありましたが、プラスチック用の溝切りカッターが有効でした。

さて、波板の交換作業は2月20日の朝から開始しました。
右端から外していきました。

予想通り、前の雨樋にゴミが溜まっています。すべての波板を外したら、雨樋は苔の繁茂地になっていました。

端にある水落しのプラスチック・チェーン留め具もゴミで詰まっています。

この原因は屋根の作りにあります。6尺(1,820mm)の波板の長さに合わせて前後が袋となっていて、波板をはめ込む仕組みです。交換が簡単で、両端がバタバタと風にあおられない工夫と言えます。しかし、上側はいいのですが、下の雨樋が波板に遮られて、ゴミが溜まっても掃除ができない構造です。

雨樋の掃除をしたら、アルミの腐食などはなく、きれいになりました。

夜は雨の予報だったので、フックを外したまま元の波板をそのまま敷いておきました。

ここが思案のしどころでした。今までと同じように波板をそのままはめ込むか、雨樋部分の長さ(約4cm)を切るか、です。そのままはめ込めば簡単ですが、掃除ができません。掃除ができずに苔の繁茂地になっても、躯体のアルミは問題なさそうです。切れば、前の部分が風にあおられるので、別の留め具が必要になります。

業者であれば、以前と同様に、波板のはめ込みしか選択肢はないでしょうね。でも結局、少し手間をかけても掃除ができる方法を選びました。気分の問題です。波板を切って、次のようなフックボルトで固定することにして、通販で注文しました。到着まで数日かかるようです。

翌2月21日、波板を切る長さを正確に決めました。古い波板を切った左側が決定版です。

所定の長さを切った波板をどんどんと貼っていきます。

以前の波板は重ね部分が一山半しかなかったのですが、今回は調べたセオリー通り、二山半で重ねます。結果として7枚となり、ちょっと穴開けを間違えた箇所があって、結局、トータルで8枚使いました。10枚セットを買っておいて正解でした。2枚は予備に残しておきます。

最後の穴開けとフック止め(一番奥)が残っています。

これはどうしても上に登らないとできない作業です。用心しながら桟の上に足を置きました。へっぴり腰のスパイダーマンです。

半日の作業が終わって、あとはフックボルトの到着待ちです。

2月26日、フックボルトが届いたので、取り付けました。前に雨樋が見えていて、掃除が簡単にできます。

下から見た写真です。

ボルトがちょっと長すぎて上にニョッキリ見えるので、いったん外して、大型カッターで2cmほど切り取りました。

夕方前に作業完了です。葺き替えた屋根と色がマッチしています。

実質3日の作業で、手順を間違わなければ、それほどむずかしいところはありませんでした。作業をしていた1週間ほどで数回雨が降って、すでに雨樋に黒い汚れが溜まっていますが、雨樋の掃除が簡単にできるようにしたので気分は悪くありません。

波板を手で持って直射日光の受け比べをしてみると、熱線カットの波板は以前の波板とかなり違います。大阪の酷暑を少し和らげてくれるでしょう。

TRIX 22576 CC40100 (Étoile du Nord)

TRIX製のフランス国鉄(SNCF)の電気機関車CC40100形(車番は40105)です。TRIXの型番は22576で、DCC・SXサウンドを搭載しています。TEE(Trans-Europ-Express)50周年記念モデルの1つとして2007年に発売されたものです。

CC40100形は1964年から1970年まで製造され、1996年に引退したそうです。CCという名前のように、3軸の動力台車2つを駆動させていたフランス国鉄自慢の大型電気機関車でした。フランスからベルギー、オランダ、西ドイツを走っていたので、4カ国の電源に対応していました。そのため、パンタグラフは二対で4基もあります。

この機関車が牽引する列車(Étoile du Nord:エトワール・デュ・ノール)に乗ったのは1991年の5月でした。ちょうど日本では和名の「北斗星」(上野-札幌間の寝台特急)が走っていました。Étoile du Nordの編成をレイアウトで走らせたくて、TRIXから発売されたのを知って、客車セットと併せて購入(ドイツからの通販)しました。Étoile du Nordは昼間だけの短距離運行なので寝台車はなく、座席車(コンパートメントとコーチ)のみです。

購入したCC40100はDCC仕様ですが、今や旧式のSXサウンド搭載で、サウンドは貧弱です。DCCで制御できるのは次の通りです。音が出ます。

警笛を鳴らすとモーター音が途切れます。これがSXサウンドの限界です。でも、走行中は気になりません。

TRIXは2017年にあらためてCC40100をDCC・mfxサウンド搭載(型番22574)で再発売しています。TEE60周年のタイミングですね。TRIXが採用していたSelectrixからメルクリンのmfxにデコーダーを変更したようで、YouTubeでモデル紹介動画をチェックすると、型取りの精密さが増していて、サウンド内容が一新されているようです。この10年ほどで、HOサイズ以下の模型に使われるサウンドは大きく変貌したようです。

さて、いつものように、購入したら少しテスト走行させてから内部を覗いてみます。機関車には何も手を加えません。

灯火はすべてLEDです。

客車セットです。

2つのセットで7両、個別売りの1両を購入しましたが、号車番号から見ると、
2+3+4+5+6+7+10+電源客車(号車表示なし)
という編成になっています。

客車セットで残念なことがありました。箱には「Étoile du Nord」と印刷されているのに、車名行き先表示がすべて「Ille de France」で「パリ-ブリュッセル」になっていることです。箱詰めを間違えたのでしょうか。気がついたのは数年後に下の写真を撮った時でした。この表示を変える方法はなさそうですが、同じ客車だし、文字が小さいので拡大しないと読めませんので、Étoile du Nordとみなしておきます。

客車にはすべて室内灯を取り付けました。TRIXの専用室内灯は高いので、別のLED製品(Hufing-Tronic:ドイツ)です。今ならはるかに安いLEDテープを使うでしょうね。

最後尾の電源・客車です。ここにはスピーカーが取り付けられるようになっています。ディーゼルエンジンのサウンド用でしょうか。

電源車の尾灯にはLEDを装着しました。

すべての台車には車軸からの集電パーツを取り付けました。

こういう感じです。

カプラー(連結器)については、Kadeeに替えたり戻したり、いろいろと試しています。TRIXはメルクリンと共通のクロースカプラーを付けていて、カプラー構造が複雑すぎて、連結・開放がやりにくいのです。NEM 362のポケットを採用しているので、Kadeeのナックル式NEMカプラーに取り替えるようにしています。メルクリンのRelex カプラーは構造が単純なので、この列車もすべて交換するかもしれません。でも、ナックル式に慣れると、手による連結・開放がとても楽なので、悩むところです。

3種類のNEMポケット用カプラーです。左端が今回のセットに使われているタイプ、中央が簡単なループタイプのRelex、右端はKadeeのナックル式カプラー18番(medium)です。客車の幌を太いほうに変更するとどのカプラーでも連結がむずかしく、Kadeeの19番を選ぶ必要が出る場合があります。

8輌の客車を牽引している動画です。音が出ます。

別角度からの映像です。

Étoile du Nordは1924年に走り始め、1957年から1984年まではTEE(Trans Europ Express)として運用されていました。この機関車を初めて見た記憶はアラン・ロブ=グリエの映画で、タイトルがそのままの「ヨーロッパ横断特急 (Trans-Europ-Express)」(1966年)でした。機関車はロングショットで映っていたわけではありませんが、こういうデザインの機関車があるのかと、ちょっとした驚きでした。

その後に、前面の逆傾斜が特徴的なこの機関車はPaul Arzens(ポール・アルザン)がデザインしたと知りました。ポール・アルザンはアメリカに移ったレイモンド・ローウィと同世代の工業デザイナーで、鯨や卵をイメージした自動車など、とても興味深いデザインをしていました。この前面デザインはCC6500、BB7200などに引き継がれ、BB 7200の系統はオランダで1600形~1800形として使われていました。

オランダでよく見かけた1600形です。

ヨーロッパの鉄道に乗ることができたのは1991年以降で、もうTEEではなく、EC(EuroCity)という区分名になっていました。ECとなる前に一時期IC(InterCity)に格下げされていたようです。

1991年に買ったCook時刻表6月号の表紙です。

この時期のEC(82と87)にはÉtoile du Nordという名前が使われていました。パリ北駅とアムステルダム駅区間の時刻表で、上の段にパリ行き、下の段にアムステルダム行きを一段ずつ合成しました。下の脚注に、アムステルダム-パリ間のA(EC82)とN(EC87)がÉtoile du Nordとなっています。その他にも、TEEだったIlle de France(ブリュッセルからパリ)などが記されています。初めて乗ったのはブリュッセルからパリまでのEC82で、パリからの帰りはアムステルダムまでEC87に乗りました。

乗った列車の外観写真はありませんが、パリからのEC87のコンパートメントで一緒になったモンペリエのおじさんとブリュッセルまでずっとおしゃべり(英語で話してくれました)をしていたことを思い出します。遊びにおいでと住所メモをいただきましたが、機会はありませんでした。お元気でしょうか。30年も前なので、顔を出させてもらっていいでしょうね。赤いシートが印象的でした。

オランダ滞在中にもう一往復しましたが、その後、1996年以降は列車名のないタリスが走るようになりました。オランダの友人から、アムステルダム-パリ間はタリスになってほんの少しだけ乗車時間は短くなったものの、料金は2倍以上になった、という文句を聞いたことがあります。

Windows 7 の最後

2020年2月3日

模型室で使っているPC(ミニタワー)は第4世代のi7-4790搭載のWindows 7 ですが、1月14日にWindows 7のサポートが終了してしまいました。いくつか重要なソフトが 7 でしか動かないとされていたので、これまで延ばしていましたが、そろそろ無料アップグレードが終わるかもしれないと思う今日、決着を付けました。

Windows 7から10 への無料アップグレードは別のコンピュータで2年前(2018年)にやっていますが、その時も無料アップグレードの期限は2016年だったのに、どうしてできるのか、嬉しい疑問がありました。その後に聞いた話では、MicrosoftはWindows 10の売り上げを伸ばすよりも、広く普及するほうが重要だと経営的に判断したそうですね。でもそれは表には出なかったようで、2016年の期限しか公表されていませんでした。

認証されているWindows 7搭載機であれば手順は簡単で、Microsoftのサイトにある「Windows 10 のダウンロード」からツールをダウンロードして、それを実行するだけです。以前は、一度でも10にして、その後に戻した場合は無償という話でしたが、一度も10を試していない場合でも無償でした。

前回はクリーン・インストールでしたが、今回は、できれば残しておきたいソフトがあったので、「個人用ファイルとアプリを引き継ぐ」を選びました。

インストールが始まりました。

個人用ファイルとアプリを引き継ぐためでしょうか、かなり(2時間以上)かかったような気がしますが、途中で放っていたら何度か入力場面になっていたのでよくわかりません。何のトラブルもなく、四角いWindows 10のマークが出てきました。認証もできていました。

残しておきたいアプリがWindows 10では動かないと伝えられていましたが、ほとんどが動くことがわかり、期待していなかった大きな収穫になりました。まあ、使っていると不具合が出るのかもしれませんが。これで Windows 7のOSはなくなりましたが、i7-4790はWindows 10でまだまだ十分に使えそうです。この段階で前回Windows 10にアップグレードしたi7-870のPCは廃棄処分としました。

まだ、仕事で愛用していたWindows XPで動くPanasonicのLet’s NOTE LIGHT(CF-W4)という15年前のモバイルが残っていますが、これはクルマのコーディング・アプリを使うために必要なので、クルマが変わるまでは残しておきます。

太陽光発電 3 運用開始

2020年1月27日

設置工事が終わってから、経産省による認定と電力会社によるメーター取り付けまでに、小さな工作をしておきました。運転状態をモニターするディスプレイはキッチン横に内外温度計と並べて置きますので、その取り付けベースを板材の切れ端でチャチャチャと作りました。

取り付けた姿です。モニターはタッチパネルなので、指で押してもベースが動かないように固定しました。

これで気温と発電をいつでもチェックできます。

1月20日には経産省による発電所(再生可能エネルギー発電事業計画)の認定がなされました。双方向の電力メーターが取り付けられるまで、しばらく自立運転を試します。自立運転とは、電力会社からの系統電力を遮断して、太陽光発電による電力のみを利用するモードで、停電時の利用と言えます。

残念ながら、自立運転では1500Wまでしか使えません。この設定には少々疑問がありますが、最近の自動車の100Vコンセント仕様も1500Wで、いつの頃かにどこかで定格を決めてしまったのでしょうね。

自立運転専用の100Vコンセントに延長コードをつないで使います。発電量が多くても、このコンセントでの消費が1500Wを超えると供給が停止されます。冬至は過ぎた1月ですが、快晴であれば、朝は9時頃から、夕方は4時頃まで、650Wのファンヒーターを2台動かすことができました。

その時の消費電力表示です。

掃除機も「強」(0.9kw)にして掃除ができました。曇ってくるとファンヒーター2台は無理で、1台がぎりぎりくらいです。

自立運転モードでは発電量を超えた消費の場合も停止します。一応、自動復帰機能はありますが、何度も停止が連続するとエラーコードが出て完全停止になります。

最初の数日は楽しかったのですが、現実の停電ではないためか、曇って、消費オーバーで切れてしまうと残念な気持ちが強くなってしまいます。発電・自家消費・買電・売電が自動的に案配される電力系統連系運転が待ち遠しくなりました。系統連系になると、このコンセントからの100Vは途絶えます。

1月27日、待望の双方向メーターへの取り替え工事がありました。事前に聞いていたのは、作業は30分くらいで、その間は停電する、というので自宅待機していたのですが、停電はしません、すぐ終わります、と言われて拍子抜けでした。

ネット上では太陽光発電システム用に買電と売電の2台のメーターが並んでいる写真を多く見かけましたが、すでにスマートメーターに変わっていたので、メーターの下側のブロックを双方向用のブロックに取り替えるだけで、配線はそのままです。作業中に停電しないようにバイパス回路をはめ込み、10分ほどで工事完了となりました。

取り替えた後にカバーをしたので、何も変わったようには見えません。左が以前のメーター、右が取り替えられたメーターです。

これで系統連系運転を始めることができます。思ったよりも早く実現できました。

さっそく、モニター用ディスプレイに記録用SDカードを挿入して電源をつなぎ、室内の連系ブレーカーを入れました。ディスプレイに初期表示されるまで数分かかりましたが、発電・買電・消費電力の表示が出ました。系統連系運転最初の映像です。

午後3時で雨なので、発電量は100wくらいのようです。

このモニターは応答が遅いのですが、発電検出ユニットはApacheサーバーで動いているようで、PCのブラウザーでもモニターと同じ画面が出て、ほとんどの設定が可能です。PCでは応答も速いし、専用ディスプレイが無くてもかまわない気がしますが、まあでも、キッチン横でチラッと眺めるのは便利です。それに、メイン画面の背景を好みの写真に取り替えることもできます。

電力系統連系運転は気楽ですね。停電のときは自立運転開始の手間が必要ですが、普段の生活では太陽光発電が自動的に自家消費に回され、不足分は買電となります。発電量が消費を上回れば売電(24円/kw)となります。

発電状況については今後の実測データで調べます。太陽光発電による余剰売電と買電の電気料金がどれくらいになるか、設置費用が回収できるか、などはこれからの運用でわかるでしょう。

太陽光発電 2 設置工事

2020年1月27日

設置作業は屋根の葺き替え工事3日目の1月14日に始まりました。古い瓦はほとんど剥がされて防水シートが貼られている状態です。写真は奥の小屋根で、パネル取り付け金具が下地に固定され、穴を開けた瓦が置かれています。ここには5枚のパネルを設置します。

瓦が貼り終わりました。パネル枠を取り付けるボルトが上に出ています。

上の写真では棟瓦の下地が見えています。以前の土葺きでは瓦を重ねて棟を高くしていましたが、今回の工法は木の梁に棟瓦を釘止めして、その両脇を漆喰で埋めていくそうです。

パネル取り付け枠がボルトに固定されました。

棟瓦の作業も終わって、5枚のパネルが取り付けられました。

全体の写真です。手前がメイン(パネル15枚)で、奥のパネル5枚と合わせて20枚で総計5kwhの最大発電能力になります。パネル屋根面の方角は南西で、屋根の角度は20度です。

発電パネルの設置で1日目の作業が終了しました。

2日目は配線の取り回しと制御機器取り付けの作業です。外壁にパワーコンディショナーが取り付けられました。

これは太陽光発電の直流を交流に変換し、電力会社からの系統電力と自家発電を合わせる装置です。

室内側の作業です。ここは去年の春まで子猫たちがいた部屋です。

既存の分電盤(中央)の両側に箱が取り付けられました。左の電力検出ユニットはオプションで、発電量(売電と買電)を検出して、モニターなどに表示します。

その下にリモコンと「自立運転」の100Vのコンセントが付きました。

自立運転というのは、停電のときなど、電力会社からの系統電力を使わずに、太陽光発電の電力だけを使う機能です。最大で1500Wまでしか使えません。

パワーコンディショナーが本来の機能(電力会社からの系統電力と太陽光発電を組み合わせて消費する)「連系運転」を発揮するには、経産省による発電所の認定、電力会社との契約と双方向(売電・買電)のメーターを取り付けなければなりません。それまで、分電盤の右側にある連系ブレーカーは切ったままです。

最後の作業は電力検出ユニットによって連系運転状態をモニターするディスプレイの動作確認です。これはwi-fiで電力検出ユニットとつながっています。設置直後の試験で、もう夕方だったので、太陽光発電は0.0kwで、買電消費が1.7kwと表示されています。

これで太陽光発電システムの設置工事が終了しました。

「3 運用開始」に続く

太陽光発電 1 イントロ

2020年1月27日

屋根の全面葺き替えを決めた頃から、「屋根」からの連想もあって、太陽光発電システムの資料を集めて集中的に読んでいました。その間、ずっと模型遊びは中断していました。

昔から太陽光による自家発電というのは興味を持っていました。大阪に移ってから夏の暑さと冬の室内の寒さで、エアコンによる冷暖房の電力消費がかなり多いこと、加えて、地震や台風による北海道や千葉県でのブラックアウトのニュースを眺めて、非常時の自家発電が有効であること、などから、太陽光発電を実現するなら今かもしれないと思うようになりました。

太陽光発電システムは大阪の友人が10年くらい前に導入していて、勧められていました。友人が設置した当時は、再生可能エネルギーとしての太陽光発電による売電価格が高く設定されていた(10年間は売電価格が買電価格よりかなり高い)し、設置補助金が出ていたので、導入費用がシステムの耐用年数よりも早く回収できて、その後は利益を享受できると聞いていました。非常時対策や自家消費という側面はあまりなかったような気がします。

最近は売電価格が下がり、補助金もなくなっていますが、その分、設備価格は安くなってきています。面白かったのは、多くあるメーカーの「カタログ定価」が意味を持たないくらい、実売(見積もり)価格が安かったことでした。ただ、海外と比べると、日本で太陽光発電システムを設置する総費用はまだまだ高いようです。

非常時や自家消費を考えると、EV(電気自動車)あるいはPHV(プラグインハイブリッド車)のバッテリーを電力備蓄として使うこともポイントになります。もちろん、バッテリー単体製品で電力備蓄も可能ですが、現状(特に日本)では備蓄専用バッテリーはとても高価なので、EVなどのほうが効率的なようです。この場合は、クルマから自宅内に放電するV2H(VtoH:Vehicle to Home)と呼ばれる設備も必要になりますが、それはクルマを買い換える段階で検討します。

そういう経緯から、次のクルマをEVかPHVにするという可能性を含めて、屋根の葺き替えと併せて太陽光発電システムを設置することに決めました。古い土葺き瓦屋根のままであれば、太陽光発電はあきらめていたでしょうね。

一番の問題は設置業者(電気工事)選びでした。信頼できそうな業者さんを選ぶにはネット検索をかなり使いました。瓦の補修をお願いした屋根屋さんも、大阪府の瓦屋根診断技士などの資格者を見つけて電話をかけていました。太陽光発電の設置業者はネット検索でわんさと出てきますが、安ければいい、というのは少々危険に感じていました。

そこで、大阪府の「太陽光パネル設置普及啓発事業」登録業者リストを眺めながら、太陽光パネル設置だけではなく、業者のホームページでV2Hや備蓄用バッテリー、EVの充電器などの設置を経験しているかをチェックし、いくつか選んで、最後はやはり電話で話を聞きました。

決まった業者さんは図らずも屋根屋さんと何度も仕事をしているとのことで、こちらもびっくりしました。まあ、どちらも拙宅までクルマで10分以内の距離で、実績のある方々だから当然なのでしょう。工事日程も両者で打ち合わせてもらって、屋根の葺き替えと太陽光パネル設置が同時進行となりました。屋根工事は延べ5日間なので、3日目と4日目の2日で太陽光発電システムを設置してもらいます。採用したメーカーは地元びいきの気分でPanasonicになりました。

いろいろと話を聞いていて、屋根の葺き替えと同時進行で太陽光パネルを設置する利点がかなり大きいことがわかりました。でも、業者さんはこれまで経験はなかったそうです。

太陽光パネルを設置する金具は防水シートの上から下地のコンパネにネジ止めするのですが、既存の(土葺きではない)瓦屋根の場合は、その位置の瓦を外す必要があります。瓦を外すには、瓦を下地に止めているネジ釘を切り取るそうですが、元に戻すときには瓦が重なるので釘を打つことができません。つまり、その瓦は下地に固定されない状態になります。

葺き替えと同時進行であれば、金具を下地に取り付けてから、瓦を被せて、固定していくことができます。まあ、全体の一部の瓦だけの問題とも言えますが、安心の気持ちはかなり違います。

「2 設置工事」に続く

屋根の葺き替え

2020年1月23日

もう1年半前になりますが、2018年9月4日の台風21号では関空の橋に貨物船が衝突するなど、近畿地方で大きな被害が出ました。拙宅でも屋根の棟瓦が10枚ほど飛ばされ、それが他の瓦に当たって割れるなど、それなりの被害がありました。

その3カ月前(6月18日)に直下型の地震(震度5弱)があって、屋根瓦が全体にゆるんだのでしょうが、拙宅は1995年の阪神・淡路大震災も経験しているし、そもそも、屋根に粘土を乗せて瓦を敷くという昔の土葺き(どぶき)なので、かなり傷んでいるのでしょうね。7年前にリフォームで補修してもらっていたはずなのですが・・・。

台風後、よくわからないままに、自分でビニールシートを粘着テープで貼っておきました。

不動産会社に紹介してもらった工務店に屋根修理を依頼していたのですが、1年近くまったく都合がつかない状態が続いていました。大阪ではまだまだ屋根修理ができていない家が多いと聞きました。自分で貼ったビニールは劣化して、パラパラと庭に落ちてきていました。

2019年8月、近所に瓦屋さんを見つけたので、補修を依頼してみたら、9月に応急処置(割れた瓦の交換と固定の半日作業)をしてもらえました。

その時の話では、もうすべての瓦が緩んでずれてしまっているので、全体を葺き替えるしかないでしょう、ということでした。全体で10トン以上の瓦屋根の重さが半分以下になりますよ、でも、まだまだ予定が詰まっているので、今年は無理だとも言われました。

予約をしておいたら、12月に連絡があって、正月明けから葺き替え工事をしてもらえることになりました。

2020年1月10日の朝から瓦の剥がし作業が始まりました。
眺めていると、とても大変な作業です。気温は10℃くらいですが、30分ほどで皆さんは汗だくになっています。初日は5人での作業でした。

このハシゴには電動ウィンチによるリフトが取り付けられています。

2時間ほどで、これくらいの瓦と土が降ろされてきました。まだまだ序の口です。

きれいに土を掃除して、その上にコンパネを貼っていきます。

その日のうちに、メインの屋根はコンパネの上に防水シートが貼られました。

これで瓦と土剥がしは7割くらいが終わったところでしょうか。

翌11日は3人の作業で、ほぼ全体の瓦降ろしが終わりました。12・13日は日曜・祝日で作業はお休みでした。その間に雨が降りましたが、残っている瓦部分以外は防水シートが貼られているので、気にならないようです。

14日からは、3人の作業が続き、残りの瓦剥がしと、新たな瓦の固定作業が始まりました。これは裏の小屋根ですが、瓦取り付け前の位置決め作業だそうです。

15・16日ですべての瓦が新しくなって工事が終わりました。

1週間足らずの工事で、気分はとてもすっきりして、今後の強風・地震への不安が小さくなりました。それにつけても、屋根屋さんの作業は重労働ですね。冬も大変でしょうが、大阪の炎天下での作業は想像を超えます。ご苦労さまでした。