背割堤と石清水八幡宮

2月20日、春らしい陽気に感じたので、昼過ぎから歩く場所を求めて、淀川の三川合流地点となっている背割堤(せわりてい)までドライブしました。京都府八幡市(やわたし)です。桜の季節にはクルマでは無理な場所です。

昼食をどこかで、と思いながら、沿道で入りたいような店のないまま、45分ほどで目的地である木津川の御幸橋(ごこうばし)に到着してしまいました。ここは京街道です。

去年の春にできた「さくらであい館」という観光施設がありましたが、食事の提供はありません。横に展望タワーがありました。

無料でタワーに上がることができます。歩いて上がってもよかったのですが、目の前にエレベーターがあったので、乗ってしまいました。高さは25mだそうで、展望室の上のほうは網で、風が吹き抜けて寒く感じましたが、いい眺めです。

タワーから眺めた下流の三川合流地点への方向です。中央が背割堤の桜並木で、左が木津川、右が宇治川です。25mの高さでも、灌木があるためか、右端の桂川の水面は見えないようです。

背割堤は男山と天王山に挟まれた山崎地峡に合流する三川を治水のために区分した仕切り堤防です。このあたりはいろいろと治水・水利の歴史があったようで、大昔は宇治川が巨椋池(おぐらいけ)を作っていて、秀吉が宇治川を伏見に回して後、淀城付近で三川が合流していたようです。明治に入って木津川も流路変更されましたが、明治末の淀川大改修で合流地点を下流に移動して背割堤ができました。その後も洪水が多いようで、淀川治水の重要ポイントなのでしょうね。

宇治川と木津川を仕切った背割堤は広く、元々は松並木とされたそうですが、松枯れしてから桜に植え替えられ、現在の桜の季節はとても賑わうようになりました。

普通のイメージは、この三川合流地点から下流が淀川ですね。グーグル地図でも川の名前はそのようになっています。でも、河川法による淀川は琵琶湖、瀬田川、宇治川も含むそうで、宇治川にかかる御幸橋も淀川となっています。三十石舟は伏見からですから、昔は伏見あたりから下流を淀川と呼んでいたのでしょうね。

宇治川と桂川(見えない)の向こう、京都市街地方向です。左の遠くに愛宕山、右端に比叡山が見えています。

木津川上流方向です。ちょうど京阪電車が橋を渡っていました。

背割堤を先まで歩くつもりでしたが、先ずは食事をと、クルマを置いて、京阪八幡市駅まで歩きました。10分ほどで京阪の踏切にやって来ました。男山の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)がすぐそこです。

駅前です。

鯖の棒寿司でもと思ったら改装工事中、せめて走井餅でもと思ったら今日は閉店でした。仕方がないので、近くの喫茶店ランチになりました。「はちまんさんのお参りですか?」と聞かれましたが、そういう呼び方は「すみよしさん」と同じですね。食事中に、今から背割堤に戻るより、ここも初めてなので、石清水八幡宮を見物することに決めました。

ケーブルカーもありましたが、大した高さではない(120mくらい)ので、表参道を歩いて登ります。参道のイラストマップです。

一ノ鳥居です。

しばらく歩くと、左手に木の太鼓橋が見えました。面白そうですが、これは帰りに寄ることにしました。

二ノ鳥居です。ここまではほぼ平坦でした。

二ノ鳥居を過ぎると登りが続きます。

だんだんきつくなってきて、汗ばみ出して、やっと、あそこを右に曲がれば、たぶん、平坦になるだろうという場所に到着です。

曲がると、三ノ鳥居になりました。

一ノ鳥居から三ノ鳥居まで、ちょうど20分でした。ここからは石灯籠が続きます。

入口となる南総門の手前左に降りる道があって、広い場所に茶店とモニュメントがあります。ここはケーブルカーの男山山上駅からのルートのようです。

その奥にエジソン記念碑がありました。このあたりの竹を使って電球のフィラメントを作ったという、小学校で習った話題ですね。

記念碑敷地の端っこに猫がいました。右耳の先を切った地域猫のようですが、山の中なので、茶店あたりの人が餌をやっているのでしょうか。

元に戻って、南総門です。奥に本殿が見えています。

国宝の本殿楼門です。平等院鳳凰堂を連想しました。

本殿側から見た南総門です。

国宝の本殿を取り囲んで、多くの建物が重要文化財になっているようで、人が少なかったこともあり、落ち着いた雰囲気でした。

本殿をぐるっと回って、帰り道は裏参道を選びました。途中にケーブルカーの駅に別れる道がありましたが、もちろん、歩いて降ります。

裏参道沿いには多くの史跡があります。石清水という名前から、どこかに清水が湧き出している場所があるのだろうな、と思っていたら、ありました。本殿よりかなり下ですが、石清水社です。

説明には、この社では現在も水が湧き出ているそうで、水が溜められていました。

明治初期まで石清水八幡宮(護国寺)は神仏混淆の地だったわけですから、多くの仏塔や宿坊があったものの、廃仏毀釈によって、それらがほとんど消されています。今は少し平坦な土地のみになっている坊跡が多いですね。

そのうち、特に有名な松花堂の庵跡がありました。この泉坊の奥にあったようです。

松花堂弁当は昭和になってからの創作だそうですが、八幡市立松花堂庭園・美術館が少し南のほうにあるようです。

少し下で表参道と合流して、下に小さな社があったので、ここから参道を離れて、下に降りました。

この社(三條小鍛治相槌神社)は東高野街道に面しているのですね。歴史は古いらしく、名前のように、刀剣鍛造の神様のようです。関係があるのかどうかわかりませんが、三條小鍛治は奈良にも京都にも関係があるようですね。

ここから先は旧街道らしい家並みです。

奈良街道の案内がありました。

そして、往き道で見つけた木橋に到着です。安居橋(あんごばし)という名前で、典型的な撮影スポットの雰囲気です。

橋を渡ったところに川原に降りる階段があり、遊歩道が続いているので、降りてみました。そこで見つけた光景です。

なんと、木橋と思えた安居橋の裏は鉄骨で、コンクリートの橋脚に乗っていました。これはこれで悪くないアイディアだとは思いますが、どれくらいの人が裏を知っているのかに興味を持ちました。

もう4時を過ぎていて、クルマを置いてきた「さくらであい館」は5時で閉館なので、トットトットと戻りました。木津川にかかる御幸橋から眺めた京阪電車は夕陽の中を走っています。

クルマに戻ったら4時半で、係員が展望塔の入口を施錠していました。

クルマに乗り込んでから、男山から三川合流地点を見なかったことに気がつきました。ケーブルカーの山上駅のほうに男山展望台があったそうで、少し残念でした。帰路は眩しい夕陽に向かい、枚方市駅近くがいつもの混雑で、1時間以上かかりました。