新春文楽公演 2019

1月3日、初春文楽公演の初日に、第2部の「冥途の飛脚(めいどのひきゃく)」と「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」を楽しんできました。第1部は「二人禿(ににんかむろ)」、「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」。「壺坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)」です。

正月の文楽劇場です。

正面玄関の飾り物。今日はさすがに満員御礼が出ていました。

黒門市場から今朝届いたらしい「にらみ鯛」です。

初春文楽公演の芝居絵です。

資料展示室には傾城の頭と壇浦兜軍記の大正時代の画集が置かれていました。

正月恒例の鯛の飾りが付けられた舞台で、観客もいっぱい、新春公演初日の雰囲気がありました。

冥途の飛脚を観たのは3回目くらいでしょうか。遊女・梅川に入れ込んだ飛脚屋・亀屋忠兵衛の封印切り話で、心中ではなく、捕まって処刑されたという、いかにも三面記事的な世話物です。近松は前年あたりに起こった事件を元にしたそうで、解説書「文楽」(伝統芸能シリーズ 3 山田庄一 ぎょうせい 1990)を読んでいると、忠兵衛だけが処刑されて、梅川はふたたび勤めに出たとありました。

語り・三味線と人形遣いのリズムがなめらかに流れるようで、素晴らしい作品ですが、私としては、筋書きのパンチライン(≒説得力)に欠けるような思いました。でもそれは浄瑠璃世話物の一つのパターンで、真面目な男が恥をかかされたと思い込んで逆上し、死罪間違いなしの、武家の金の封印を切って身請けに使うのは、比喩として心すべきことではあります。

冥途の飛脚と浦兜軍記の幕間に、7日まで「手ぬぐいまき」があります。

うまく一つを受け取ることができました。ラッキー!

実は、手ぬぐいを受け取るのは無理だろうと思っていて、開演前に売店で売っていたので、一枚買っていました。広げてみると、色違いでした。左が買ったものです。これもラッキー!

さて、今回の期待は初めて観る壇浦兜軍記でした。昨年の朝日新聞連載小説の「国宝」(吉田修一)を読んでいて、興味津々でした。頼朝を狙う景清の愛妾である遊女・阿古屋の芸が身を助けるという「阿古屋琴責の段」です。壇浦兜軍記は元来は能の「景清」、近松の「出世景清」で、面白く改作されていますね。

今は浄瑠璃でも歌舞伎でも、この段のみが上演されるようで、琴・三味線・胡弓を演奏させて、乱れのない演奏ができるかを尋問とするという、優雅で楽しい場面です。

歌舞伎では役者が演奏しますが、さすがに人形で演奏するわけにはいかず、床の三味線の横に琴・胡弓の担当者が並んで、その演奏に合わせて人形が動きます。主遣いは桐竹勘十郎で、他の二人も顔を見せる出遣いとなっています。

歌舞伎では阿古屋を演ずるのは女形の頂点と言われるくらいで、今は板東玉三郎だけだそうですね。人形も劣らずむずかしそうで、以前は蓑助、今は勘十郎だけのようです。解説を読んでいると、人形の手を蓑助から借りているとのことで、手も特別仕様のようです。

琴から三味線、そして胡弓へと、なかなかの人形遣いを楽しみました。勘十郎が時々こちらの方(演奏方)を見ながらタイミングを取っているのがよくわかりました。それにつけても、拷問を主張して様子を眺めていた悪役・岩永が阿古屋の演奏に乗ってしまって、胡弓に合わせて火箸で弾く真似をしてしまうのはとても楽しい演出でした。

今回は予約の都合で座席が2列目の右端という、太夫のすぐ下、舞台には首を左に回さないといけない場所で、首が痛くなりました。舞台を見づらかったものの、太夫の語りと三味線を満喫できました。