新春文楽公演 2018

1月17日、午前11時開始の第一部を観てきました。大阪に戻って以来、この4年ほど、新春文楽公演を観て正月が終わるという定例の新年行事になりました。

第一部のポスターです。

文楽劇場の天井は正月らしい飾り付けになっています。

パンフレットも正月らしいデザインです。

今回は予約段階で早くから座席が埋まっていたこともあって、いつもの6列目あたりは予約できませんでした。一度、前の方にも座ってみようと思って、前から2列目の席にしました。舞台上の右側の鯛の尻尾あたりの下です。座席から天井の写真を撮ると、天井が壁のような感じになりました。

演目の最初は、花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)で、万才(春)と鷺娘(冬)です。人形浄瑠璃の鷺娘は初めて観ました(ほとんどの演目が初めてです)が、歌舞伎と趣の違う、とてもきれいな鷺でした。

続いて、平家女護島(へいけにょごのしま)「鬼界が島の段」は吉田玉男の俊寛が凄みがあって、いい雰囲気でした。それに、前回途中交代した吉田簑助が千鳥をすんなり遣っていました。回復の様子です。

休憩を挟んで、豊竹咲太夫による八代目竹本綱太夫(咲太夫の父)五十回忌追善の口上と、同じく咲太夫による、豊竹咲甫太夫改め六代目竹本織太夫襲名披露がありました。文楽の口上は堅苦しくなくて楽しいですね。

席でゆっくり昼食の後、追善・襲名披露狂言として、摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)の「合邦住家の段」のみが演じられました。「切」は咲太夫と鶴澤清治で盛り上げ、「後」の六代目竹本織太夫は、これだけの語りを毎日続けて喉を壊さないかと思うほど、いつも以上の大熱演でした。

ただ、摂州合邦辻の観劇中に少し違和感がありました。玉手御前が義理の息子を二人ともに助けるために、身を挺して考えたトリックは特筆すべきものですが、癩病を使うことが気になったのです。

能の「弱法師(よろぼし)」を観ている限り、俊徳丸が失明した原因は云々されませんが、説教節や、江戸期に入ってからの浄瑠璃への移植では、失明に至る原因と経緯が詳細に述べられ、そのことが物語のキーになっています。

俊徳丸と兄の次郎丸の義母となった玉手御前(合邦の娘・辻)が、兄弟の抗争を避けるために俊徳丸に毒を盛るわけですが、その毒が癩病を引き起こすというものです。しかし、その病を本復させるために、いずれ抗争が落ち着いたら、自分自身の生き肝の血を飲ませることを心に決めています。

このあたりは当時、癩病が業、遺伝、あるいは毒素から発症し、毒素の場合は寅年寅月寅日寅刻生まれの(女の)生き肝の血を飲めば本復するという奇想天外な民間伝承に由来しているようです。玉手御前は寅年寅月寅日寅刻生まれです。このような民間伝承が摂州合邦辻という浄瑠璃に使われるようになった歴史は厚生労働省の「ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書 2005」の中(文学史料の分析:p.26 – 43)に詳述されています。

まあ、観劇後に考えてみたら、病因が明確になって治癒する治療法が確立している現代では、こういう古典劇の中でハンセン病が使われたとしても、それはあくまでも当時の発想であって、その枠で眺めることができればいいのでしょうね。

能は短く抽象化されているため、古典劇として眺められるのですが、文楽の場合は具体性が高いため、なかなかむずかしいところです。一方で、平家女護島は能の「俊寛」にはない、葛藤する人間らしさが強く表現されていて、それはそれで十分に納得できるものでした。今回の2つの演目は能と文楽の違いが自分なりによくわかったような気がしました。

それはともかく、今回は2列目で観劇しましたが、確かに人形の表情はよく見えるものの、太夫と三味線が右後ろになってしまい、あまり落ち着きませんでした。やはり、5,6列目あたりが良さそうです。