国性爺合戦

1月18日、昨日の京都観世会に続いて、大阪文楽劇場で「国性爺合戦」を観てきました。

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連日の観劇はしんどいのですが、昨年末、観世会例会の日程を確認せずに、文楽劇場のネット予約で席選びをしていて、いい席を見つけて決めたら、それが18日だったという始末です。
午後4時開演なので、淀川散歩はお昼になりました。雨上がりです。

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今回は自炊してあった岩波の日本古典文学大系「近松浄瑠璃集 下」を読んでから出かけました。一夜漬けならぬ、「朝」漬けです。
一応、解説書も買いました。

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浄瑠璃本を読んでから観ると、どこが省略されているかがわかって、ちょっと落ち着かない気持ちになるものだとわかりました。玉藻前でもそうでしたが、全般的な知識がないので、個別の演目についてのみに注意が集中してしまいます。
予習したことによる、もう一つの効果は、舞台の上にあるスクリーンに出る本文を時々読みながら観劇していると、当たり前のことでしょうが、300年前の原典通りに床本が書かれていて、それを太夫が語っていて、それを観客の我々が理解して楽しんでいる、という世界にあらためて驚きを感じたことです。
これは、さらに古い歴史のある能でも同じですが、伝統芸能の伝承世界に感心するだけではなく、現在の観客が数百年前と同じような舞台の前にいて、同じように楽しんでいることへの素直な驚きです。

さて、「国性爺合戦」は、ちょうど300年前(1715年)、竹本義太夫亡きあと、近松と竹田出雲のコンビでロングラン公演を果たして有名です。日本に亡命した中国人を父に、日本 人を母に持ち、日本生まれ・育ちの和唐内(わとうない:和でも唐でもナイ)が中国に渡って大活躍するストーリーで、かなり脚色しているとは言え、「国姓爺」の史実に基づいているので、 当時の庶民にとってワクワクするものになったのでしょう。日本に関係した人が国際的に活躍すると現代でも話題になりますし、和唐内はハーフですし、でもまあ、現代人から見れば、ナショナリズムの昂揚と言うほどではありません。

結論を言えば、観ていて楽しいものではありましたが、観劇後に感情の余韻はありませんでした。これはストーリーと和唐内のスーパーマンぶりの問題でしょうね。観劇後、ドナルド・キーン著作集(第6巻 能・文楽・歌舞伎)の序文を読んでいたら、彼の博士学位論文のテーマが国性爺合戦だったそうで、彼も感情移入ができなかったと書いていて、やっぱりね、と思いました。

一番興味を持ったのは、和唐内の人形です。歌舞伎の見得(みえ)をきる、という寄り眼をします。これは珍しいものではありませんが、はたして、こういう仕掛けがいつ頃からできたのかに興味を覚えました。

人形の頭には胴串という棒が付いていて、その後ろに「小ザル」と呼ぶ、指で動かすレバーがあります。こういう仕掛けの中には、玉藻前が狐に変わるようなものもあります。子供の頃に観ていた「ひょっこりひょうたん島」という人形劇で、パトラ・ペラ・ルナという3人の魔女が出てきますが、突然に怖い顔に変わるのを見て、驚き感心していました。

調べてみると、正保(1645~1648)・慶安(1648~1651)ころに、人形の首が動くようになったようです。それまでは頭と胴は一体で、くるくると回す程度だったそうです。今でも脇役は一人使いで、同様の構造のようです。享保(1716~1735)ころには胴串に小ザルが付いた絵がありますが、目玉を動かすような仕掛けはなさそうです。

ということは、近松が国性爺合戦を書いて大人気となった当初は、見得をきる仕草などは無理だったのでしょうね。こういう仕掛けを開発しつつ、歌舞伎と文楽で相互に所作・仕掛を取り入れてきた歴史も含めて、伝統芸能というわけでしょうか。