心中宵庚申

11月6日、11月文楽公演の第2部、近松門左衛門の「心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)」を観てきました。実際に起こった事件だそうですが、夫婦の心中事件を題材にしています。

チラシは2枚あって、1枚は第1部の鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)でしたが、こちらのチラシは心中宵庚申の女房・お千代です。

いつものプログラムとミニ床本です。

プログラムにはいつも太夫、三味線、人形遣いの人たちの顔写真が掲載されていますが、今回、人形遣いの写真ページには、7月に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された吉田和生が吉田簑助の隣、最上段に二人並んで掲載されていました。

今回の楽しみは、半兵衛(人形=吉田玉男)と女房・お千代(桐竹勘十郎)、お千代の父・平右衛門(吉田和生)、お千代の姉・おかる(吉田簑助)の4人が同時共演する「上田村の段」です。

ストーリー(文化デジタルライブラリーにあります)は省略しますが、上田村の段で、勘十郎の遣うお千代が実家に戻ってから、簑助のおかる、和生の平右衛門らといろいろあって、みんなが舞台から消えたところに玉男の半兵衛がやって来ます。そこで奥から出てきた「おかる」が吉田簑二郎に遣われていたので、びっくりしました。

最初は誰が出てきたのかわからず、人形遣いの担当を眺め直しました。でも、おかる以外にはあり得ないので、先ほどまでの簑助に何か事故でもあったのかと思い、この段が終わった休憩時に案内の人に確認しました。「簑助さん、途中で簑二郎さんに交代しましたけど、何かあったんですか?」「実は足を怪我されていまして、今日は大事を取って途中交代となりました」ということでした。明日からは足の状態を眺めてから決めるとのことでした。

ということで、4人の人気人形遣いの同時共演は実現しない日となりました。吉田簑助は20年ほど前に脳出血で倒れてからのリハビリで復帰して、今は84歳ですから、わりあい短い登場時間の人形を担当しているように思います。早く回復してもらって、次の機会を楽しみに待つこととしました。

心中宵庚申の結末は、元武士だった半兵衛が身重のお千代を刺し殺し、自害するのですが、まあ、現代から眺めていると納得はできないため、共感の涙は出ません。心中物(世話物)は道ならぬ恋と罪の精算が多いのですが、この二人、お千代の実家に戻ることはできなかったのかと考えてしまいます。そういう現代風の眺め方をしてしまうのが、いいのか、悪いのか、古典劇の鑑賞態度の問題ですね。

この演目だけでは時間不足なのか、気分替えのためなのか、30分の休憩(席で食事します)の後、短い演目「紅葉狩」が追加されていました。能の紅葉狩は好きな演目ですが、文楽は初めてです。能から歌舞伎に移植されて、さらにそれを文楽に移植したという感じが濃厚で、なかなか派手な演出になっています。

紅葉狩で気がついたことは、太夫5人が並んだ末席に、今年1月に文楽研修生修了発表会に出ていた太夫の卵が裃姿で出演していたことです。もう舞台でがんばっている、というのを眺めて喜んでいました。人形遣いの新人2人は出演していても黒衣だし、名前は出ないので、わかりませんでした。

夏祭浪花鑑

7月24日、第三部のサマーレイトショー「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」を観てきました。

舞台となっているのは高津宮の夏祭ですが、今日はちょうど天神祭の宵宮で、時節はぴったりです。

天神橋筋六丁目で乗り換えた地下鉄堺筋線で、ドアがヒョウ柄になっているのに気がつきました。「大阪名物」のデザインかと思いましたが、天王寺動物園のPR列車だそうですね。

いつものプログラムとミニ床本です。

夏祭浪花鑑は、大坂歌舞伎の「宿無団七」を元に、並木千柳、三好松洛、竹田小出雲の合作で、1745年に竹本座での初演です。当時実際に起こった殺人事件を取り上げて作られたとされていて、大阪(語りでは大坂:おおざか)の暑い夏を描いています。

元来は全九段という長編のようですが、今回のように、「住吉鳥居前の段」、「釣船三婦内(つりふねさぶうち)の段」、「長町裏の段」の三段だけが上演されるのが普通だそうです。解説を読むと、かなり複雑な人間関係なので、1/3だけで理解できるかな、と思っていましたが、まあ、語りだけでそれなりにわかりました。でも、文脈がわからないまま、山場だけを観るのは、面白いものの、気分はすっきりしません。結局、観劇後に文脈を調べることになります。

開幕で、太夫、三味線、人形遣いは夏らしい薄青の着物姿です。
住吉鳥居前の段は、よく知っている住吉大社が舞台で、今は阪堺電車の住吉鳥居前停留所のある道路あたりです。舞台上手に反橋(そりばし)が描かれ、中央に髪結床があります。髪結床の両側に立て札が1本ずつ立っています。夏の御田植と大祓の案内です。その横には「曾根崎心中」と書かれた札(浄瑠璃公演のCM?)が置かれています。こういう細かな設定が楽しいですね。

この段で、多くの情報が与えられ、記憶するのが大変でした。
妻のお梶と子供、親しい老侠客・釣船三婦(つりふねさぶ)がやって来て、主人公・団七九郎兵衛(だんしちくろべえ)が牢から釈放される日であることがわかります。団七が恩を受けた武家がいて、その放蕩息子・磯之丞が駕籠に乗ってきて降ろされ、駕籠かきにいたぶられますが、三婦に救われ、お梶らが休憩している昆布屋へ会いに行きます。

団七が縛られたまま連れてこられて、鳥居前で縄を解かれます。三婦から着物をもらって髪結床に入ると、磯之丞が入れ揚げている遊女・琴浦がやって来ます。横恋慕している大鳥佐賀右衛門に連れ去られそうになったところに、団七が有名な柿色の格子「団七縞」の姿で現れて、琴浦を助けます。

その後、佐賀右衛門の指図で、三婦にやっつけられた駕籠かきの助っ人として現れた一寸徳兵衛(いっすんとくべえ)と団七は、どちらも例の立て札を引き抜いて実力伯仲の取っ組み合いをしますが、お梶が曾根崎心中の札を取って、仲裁に入ります。お梶の説明で事情が分かった徳兵衛は団七と義兄弟になります。

釣船三婦内の段で面白かったのは、三婦の女房が夏祭の食事を準備しているのですが、それが焼き魚だということでした。鱧(はも)かと思っていましたが、そうではなく、あじの焼きものが大阪の夏祭料理のメインだと知りました。

最後の長町裏の段が有名ですね。
長町というのは、堺筋(紀州街道)の日本橋から南側の旧地名で、日本橋も高津宮も現在の文楽劇場のすぐ近くです。団七の義父(お梶の父)義平次が大鳥佐賀右衛門のために、団七に頼まれたと嘘をついて、三婦の家から琴浦を駕籠で連れ出し、それを追いかけた団七が最後に長町裏で義平次を殺し、逃げていくというストーリーです。

以前から、「団七走る」というキャッチコピー?は聞いていましたが、なぜ走るのかは知りませんでした。この段の最後の語りが「八丁目(さして)」で、団七が走って逃げて下手に消えますが、ここが「団七走る」のようですね。しかし、八丁目がよくわかりませんでした。なぜか、地獄の八丁目か(そんなところがあるのか?)と思ってしまいましたが、省略された次の段「田島町団七内の段」を調べると、上本町あたり(の昔の地名)に団七の家があったんですね。

観終わった感想は、団七の動きは人形とは思えない迫力で、桐竹勘十郎の実力を堪能したという気分です。歌舞伎役者の所作との相互作用が大きいと感じました。長町裏の段は特に、太夫が二人で掛け合い、囃子方による祭の鉦・太鼓の洗練された背景音がとても効果的で、すばらしい演出でした。

このストーリーは、庶民の生活情景の中での悲劇ではなく、いわゆる渡世人・侠客の事件物語です。最初の二段が省略されているために、団七が牢から釈放される日から始まります。やくざ映画の雰囲気で、三婦は「江戸を知らぬ者と牢へ入らぬ者とは男の中の男ぢゃないと言ふ」と言っています。

団七が殺した義父の義平次は強欲で、敵味方関係なく単純な儲け話に乗ってしまうようですが、長町裏の段で、団七が義平次に琴浦を戻してほしいと懇願する場面では、浮浪児だった団七の若い頃から、義平次がいかに団七を世話したかを伝えながらなじります。

このなじった内容はすべて事実のようで、団七は「サアそれは皆、お前様のお世話」、「段々の仰せ、一つとして返す詞もござりませぬ」と認めています。でも、どうしても恩義ある人の放蕩息子の女を取り戻したいため、「ここに三十両ござりますれば」と嘘をついて、琴浦を三婦の家に帰させます。

この嘘がばれて、義平次は団七を打擲し、団七は額を割られたことに逆上し、それから後は「はずみ」で義平次を斬ってしまいますが、最後には「ム、コリヤモウ是非に及ばぬ。毒食はゞ皿」と言いつつ、とどめを刺します。

粋な着物で喧嘩して、仲間内の男だて・女だてを大事にし、男が立つかどうかで是非を判断するので、一見、「カッコええなあ」と言いそうです。釣船三婦内の段で、徳兵衛の女房・辰が磯之丞を預かるという場面で、三婦が辰に色気を感じるので問題が起こるのではと言うと、辰は顔に火鉢の焼き金を当てて、火傷で色気を無くし、それで三婦は安心して磯之丞を預けるのが象徴的です。

でも、挙げ句の果て、団七は義父を殺めてしまい、その後、(省略された段では)団七は仲間たちにかばわれるというストーリーになっています。

三婦、徳兵衛、それぞれの女房たちの強さに対して、団七だけは強がりと裏腹な弱さを見せているように感じます。あまりすんなりとわからない渡世人の世界でしたが、舞台は圧倒される迫力でした。

染模様妹背門松

2017年2月4日

1月23日、文楽劇場新春公演の「染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)」を観てきました。お染久松の心中話は昔から知っていましたが、人形浄瑠璃として三作もあるとは知りませんでした。

お染久松と言えば「野崎村」という短絡連想で、切符を予約した11月下旬に初めて野崎観音(慈眼寺)を訪ねました。

ウィークデイの夕方という時間帯で誰もいませんでした。
お染久松の墓があります。

誰もいない茶店風の床几の上に猫が数匹ゆっくり休んでいました。

この2匹が親子かどうかはわかりません。この子猫は他の猫にも受け入れられているようで、すべて同系統の雰囲気がありました。門の前にもいます。左側の灯籠の下です。

後で調べたら、お染久松を題材にした浄瑠璃は、最初が紀海音による「お染久松袂の白しぼり(おそめひさまつたもとのしらしぼり)」で1710年、二作目が今回観た菅専助による「染模様妹背門松」で1767年、三作目が近松半二による「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)」で1780年となっています。1710年には歌舞伎でも上演されているそうです。

事件の真相はよくわかりませんでした。1710年の正月に大坂の油問屋・質店の娘・染と野崎村出身の奉公人・久松との道ならぬ恋の情死があったのは事実のようですが、詳しいことは分からず、文化デジタルライブラリーには、当時の尾張藩士の日記に「主人の娘そめと主の油細工所にて心中刃死」とある、とのことが同時代記録として最も信憑性が高い、という程度でした。

染模様妹背門松には野崎が出てきません。すべて大坂の油店・質店での場面です。ちょっと残念でした。それに、空席が目立ちました。後ろのほうはあまり座っていない状態でした。たぶん、もう新春公演も終わる時期だし、午前から始まる第一部が楽しそうで、そちらが中心になったのでしょうね。

「油店の段」は序章らしい構成でした。この段はチャリ場と呼ばれているそうで、太夫が即興?で最近の話題を取り入れながら、おもしろおかしく語ります。まあ、PPAPとか、広島-阪神とか、あまり旬とは言えないな、という話題もありましたけど。

それより、善六という悪玉の人形を操る桐竹勘十郎のなかなかの役者振りの顔を見ているのが楽しいものでした。吉田簑助、吉田玉男、桐竹勘十郎らのベテランが登場するとかなりの拍手が湧きます。でも、太夫がくるりと回って出て来た時や、担当が終わった時の拍手はいい感じですが、悪役の人形が登場してきて拍手というのは合わない気はします。

最後の「蔵前の段」は原作では心中に進む舞台です。しかし、今回の公演では、昭和35年に三味線の野澤松之輔(多才な人だったそうです)が改変した結末すなわち、蔵の内外で縊死するのではなく、蔵の鍵が開けられて、二人が逃げていくという話になっています。これは新春公演で心中物を上演することによる選択なのでしょうが、どんなものでしょうね。

お染久松は16歳くらいとされています。今なら高校2年生です。浄瑠璃を聴きながら、宮本輝の「夢見通りの人々」を思い出していました。夢見通りの人々では、同じ年頃の哲太郎と理恵による「道ならぬ?」恋の道行がありますが、さすがに現代の結末は心中などにはならず、理恵のなかなか見事な処世の姿が描かれています。

逃避行に改変されたお染久松の行く末はどうなるのでしょうか。

妹背山婦女庭訓

とても見応えのある、楽しい演目でした。でも、ちょっぴり文句も・・・。

文楽劇場4月公演は「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の通し狂言で、第一部(午前11時開始)と第二部(午後4時開始)に分かれています。もちろん、観たことはありませんが、数年前に自炊本、司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談集「日本人と日本文化(中公新書 1972)」を読み返していて、キーンがシーボルトの妹背山婦女庭訓の観劇後日談について語っている部分で、キーンの博識に感心したこと、シーボルトが帰国後にオペラにしたいと思った演目はどんな内容なのかが気になったこと、などは覚えていました。

ということで、がんばって通しで観ることにしましたが、体力と日常生活に差し障りがあるので、4月19日に第一部を、20日に第二部を観ました。文楽劇場へは地下鉄乗り継ぎで行きます。谷町線から堺筋線に乗り換え、文楽劇場のある日本橋に間もなく到着というとき、相互乗り入れ阪急電車の車内表示がとても見やすいことに気がついて、つい写真を撮りました。配色とフォントの選び方が上手ですねえ、

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今回の公演のチラシは2枚ありました。

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予習としては、岩波の人形浄瑠璃集を読みましたが、「山の段」しか載っていなかったので、舞台の上に出る字幕表示を読むことにしました。いつも通り、ミニ床本付きの解説書も買いましたが、間に合いません。

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座席はいつも床(ゆか:太夫と三味線の座るところ)に近い上手ブロックの中央寄りの席を選ぶようにしています。太夫の声と三味線が迫力を持って聞こえますし、人形がよく見えます。今回は予約が遅くなって、19日の第一部は11列目になりました。11列目は人形が小さくなって、少し遠い気分でした。20日の第二部は6列目で、これはちょうどいい、あるいはもうちょっと近くでもいい、という好みです。

妹背山婦女庭訓は近松半二らの合作で、1771年に竹本座で初演だそうですが、蘇我入鹿が出生からの怪物で悪役になっていて、天智天皇を排斥して玉座に着き、悪政を働くのを打倒する物語になっていますので、頃は飛鳥時代です。なかなか大胆な設定です。

第一部(小松原、蝦夷子館、猿沢池、太宰館、妹山背山)は、蘇我入鹿の台頭と、天智帝を擁護する人たちの苦難の始まりを描いていますが、やはり山の段(妹山背山)がハイライトですね。その前の太宰館が終わって休憩していたら、これまでの観劇では気がつかなかった下手にも床があり、そこに見台と三味線が並べられました。もちろん、上手の床にも並べられています。おお、これはステレオだ、と気がつきました。知らなかったけれど、とても面白い趣向です。この段は中央の座席が最高なのですね。山の段の舞台の模型が展示室に置いてありました。

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山の段は吉野川(紀ノ川)をはさんで、相思相愛の久我之助(こがのすけ)が上手・背山で切腹、雛鳥(ひなとり)が下手・妹山で首を切られるわけですが、左右の床の掛け合い、桐竹勘十郎の久我之助、吉田玉男の大判事清澄(久我之助の父)、吉田簑助の雛鳥、吉田和生の定高(雛鳥の母)という豪華な組み合わせで、三味線と語りに合わせた人形の動きがすばらしいものでした。

紀ノ川に行ったとき、上流から妹山(左側)と背山(右側)を写しました。川幅はけっこうあります。

飛鳥時代に切腹はあり得ない、なんてこととは別に、背山で久我之助が刃を腹に突き刺してから、妹山で雛鳥の切望で母親に首を切られ、その首が川を越えて目の前に置かれて父親に介錯されるまで、文楽の決まり事とは言え、とても長かったので、久我之助はさぞや苦しかろうと考えていました。

山の段ではウグイスの鳴き声が時々聞こえてきます。それで驚いたのは、囃子方のウグイス笛の吹き方が「ホー・ホケキョ」ではなく、「ケ」が一つ多い、幼鳥風の「ホー・ホケケキョ」だったことです。淀川でよく聴いている鳴き方です。

2日目に観た第二部(鹿殺し、掛乞、万歳、芝六忠義、杉酒屋、道行恋苧環、鱶七上使、姫戻り、金殿)では、猟師芝六を吉田玉男、お三輪を桐竹勘十郎が担当です。同じ公演の中で、人形の男と女の所作を遣い分けるというのは、当たり前なのかもしれませんが、熟達とはすごいものですね。玉男さんが女(玉女)から男になったのは最近でした。

芝六忠義の段では、三味線で驚きました。竹澤宗助が弾く低音弦のスローな調子がまるでブルースでした。

道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)が彩りを添えています。杉酒屋の娘・お三輪と入鹿の妹・橘姫が苧環を使って男(求馬)に恋の糸をつなげます。なかなか情感のある楽しい場面ですが、どうも世話物(心中物)の道行のような悲痛さ・理不尽さの奥行きがないのが趣味としてはちょっと物足りない気分でした。

姫戻りの段あたりからクライマックスが始まります。宮殿に戻った橘姫が愛しの求馬から、兄の入鹿が盗んだ剣を取り戻したら夫婦になると言われて、喜んで、取り戻しに行きます。最後、金殿の段では、お三輪が宮殿で求馬を探しているうちに、女官たちに弄ばれ、嫉妬と辱めを受けて逆上した状態で鱶七に刺されます。鱶七から、求馬が鎌足の息子・淡海であることを知らされ、入鹿を征伐するためには、爪黒の鹿の血と、疑着(=疑って、それに固執、執着すること<日本国語大辞典>)の相ある女の生き血を使う必要があることを聞いて、喜悦の最後となります。なかなか複雑な気持ちの変化をもたらす場面でした。

これで終幕になるのですが、えー!、これで終わるの?と、びっくりしました。蘇我入鹿を討ってしまう場面がなければ、多くの人たちが犠牲になりながら続いてきた話のエンディングが、鱶七によるお三輪への説明だけとなり、終幕の解放感が得られません。

後で調べてみたら、オリジナルの五段の内容から、かなり省略されていたようです。購入した解説書付属のミニ床本も省略したバージョンでした。図書館で借りた「新編 日本古典文学全集77 浄瑠璃集」によると、四段目の「金殿」には、蘇我入鹿を討つ場面が続いていて、五段目では都を志賀に移し、忠臣たちへの恩賞、久我之助と雛鳥の供養などがあります。

解説書の「鑑賞ガイド」には、「通し狂言としては、初段から順を追って上演する形もありますが、今回は第一部を初段と三段目、・・・略・・・、第二部では蘇我入鹿打倒に動く人々を描いた二段目、四段目を取り上げ、本作の中の二つの大きな流れをそれぞれお楽しみいただく趣向としました。」とあります。

見せ場的に取捨選択しているようですが、大きな流れの劇の結末を省略されてしまうと、完全通し狂言を観たことがある人はともかく、初めて鑑賞する立場としては中途半端な気持ちのまま劇場を去らなくてはなりません。以前に、玉藻前でも省略があって、話の流れについていくのが大変なところがありました。もちろん、完全通し狂言となると10時間以上かかるのかもしれませんが、それでも今回は延べ8時間近くある二部仕立てなので、もう少し構成の工夫をしてほしかった気がします。

今回の演目は確かに、シーボルトがオペラにしたいと思ったのがわかるくらい、語り、三味線、人形、囃子、大道具すべてで楽しませてくれました。でも、帰宅するときの気持ちは落ち着きませんでした。

PS その後、DVDを借りて、「入鹿誅伐の段」を観ました。20分足らずですが、やはり、この段があるのとないのとは大違いです。文楽劇場で観てから1カ月以上経ちましたが、やっと気持ちがすっきりしました。

 

国性爺合戦

1月18日、昨日の京都観世会に続いて、大阪文楽劇場で「国性爺合戦」を観てきました。

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連日の観劇はしんどいのですが、昨年末、観世会例会の日程を確認せずに、文楽劇場のネット予約で席選びをしていて、いい席を見つけて決めたら、それが18日だったという始末です。
午後4時開演なので、淀川散歩はお昼になりました。雨上がりです。

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今回は自炊してあった岩波の日本古典文学大系「近松浄瑠璃集 下」を読んでから出かけました。一夜漬けならぬ、「朝」漬けです。
一応、解説書も買いました。

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浄瑠璃本を読んでから観ると、どこが省略されているかがわかって、ちょっと落ち着かない気持ちになるものだとわかりました。玉藻前でもそうでしたが、全般的な知識がないので、個別の演目についてのみに注意が集中してしまいます。
予習したことによる、もう一つの効果は、舞台の上にあるスクリーンに出る本文を時々読みながら観劇していると、当たり前のことでしょうが、300年前の原典通りに床本が書かれていて、それを太夫が語っていて、それを観客の我々が理解して楽しんでいる、という世界にあらためて驚きを感じたことです。
これは、さらに古い歴史のある能でも同じですが、伝統芸能の伝承世界に感心するだけではなく、現在の観客が数百年前と同じような舞台の前にいて、同じように楽しんでいることへの素直な驚きです。

さて、「国性爺合戦」は、ちょうど300年前(1715年)、竹本義太夫亡きあと、近松と竹田出雲のコンビでロングラン公演を果たして有名です。日本に亡命した中国人を父に、日本 人を母に持ち、日本生まれ・育ちの和唐内(わとうない:和でも唐でもナイ)が中国に渡って大活躍するストーリーで、かなり脚色しているとは言え、「国姓爺」の史実に基づいているので、 当時の庶民にとってワクワクするものになったのでしょう。日本に関係した人が国際的に活躍すると現代でも話題になりますし、和唐内はハーフですし、でもまあ、現代人から見れば、ナショナリズムの昂揚と言うほどではありません。

結論を言えば、観ていて楽しいものではありましたが、観劇後に感情の余韻はありませんでした。これはストーリーと和唐内のスーパーマンぶりの問題でしょうね。観劇後、ドナルド・キーン著作集(第6巻 能・文楽・歌舞伎)の序文を読んでいたら、彼の博士学位論文のテーマが国性爺合戦だったそうで、彼も感情移入ができなかったと書いていて、やっぱりね、と思いました。

一番興味を持ったのは、和唐内の人形です。歌舞伎の見得(みえ)をきる、という寄り眼をします。これは珍しいものではありませんが、はたして、こういう仕掛けがいつ頃からできたのかに興味を覚えました。

人形の頭には胴串という棒が付いていて、その後ろに「小ザル」と呼ぶ、指で動かすレバーがあります。こういう仕掛けの中には、玉藻前が狐に変わるようなものもあります。子供の頃に観ていた「ひょっこりひょうたん島」という人形劇で、パトラ・ペラ・ルナという3人の魔女が出てきますが、突然に怖い顔に変わるのを見て、驚き感心していました。

調べてみると、正保(1645~1648)・慶安(1648~1651)ころに、人形の首が動くようになったようです。それまでは頭と胴は一体で、くるくると回す程度だったそうです。今でも脇役は一人使いで、同様の構造のようです。享保(1716~1735)ころには胴串に小ザルが付いた絵がありますが、目玉を動かすような仕掛けはなさそうです。

ということは、近松が国性爺合戦を書いて大人気となった当初は、見得をきる仕草などは無理だったのでしょうね。こういう仕掛けを開発しつつ、歌舞伎と文楽で相互に所作・仕掛を取り入れてきた歴史も含めて、伝統芸能というわけでしょうか。

玉藻前曦袂

2015年11月28日

11月18日、文楽劇場で玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)を観てきました。文楽を観に行ったのは正月の冥途の飛脚以来です。
人形浄瑠璃は学生時代に朝日座で数回観ただけでしたが、世話物(近松の心中物)が好きで、大阪に戻ってから、曽根崎心中、心中天網島、冥途の飛脚と続けて観ることができて喜んでいます。時代物はあまり食指が動かず、ほとんど観ていませんでしたが、今回の玉藻前曦袂はぜひとも観たかった演目でした。曦袂(旭袂)というのは詳しくは知りませんが、竹田出雲作の大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)をもじっているのでしょうか。

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玉藻前伝説は妖怪好きにとって定番の物語です。ただ、狐好きにとっては、齢を重ねて、双尾や九尾になった狐は悪の世界を象徴していて、残念な気持ちでもあります。ごん狐くらいのイタズラであればともかく、百年とか千年を生きた狐は尾裂(おさき)になり、美女に変身して男(帝)をたぶらかすわけです。

でも、さすがに葛の葉(くずのは)あるいは信太妻(しのだづま)伝説の狐は安倍晴明を産んだとされるだけあって、若い雌狐だった説が多いようですね。異類婚姻譚にもさまざまあるようです。

学生時代から安倍晴明がらみの陰陽道は好みの話題でした。下の写真は高校時代によく訪れた信太森葛葉稲荷(しのだのもりくずのはいなり)神社(大阪府和泉市)です。10年ほど前に、札幌からの出張の帰りに、関空に向かう途中で久しぶりに訪ねてみました。今は住宅地の中になっていますが、私の記憶にある神社は田圃に囲まれていて、横に小さな集落があっただけでした。

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JR北信太駅の近くです。この近所では和泉五社の一つである式内社・聖(ひじり)神社(信太大明神)が葛の葉伝説の本地?として知られていると思います。まあ、昔はこのあたり全体が信太の森の地域だったのでしょう。

JR北信太駅も昔は葛葉稲荷停留場と呼ばれていたそうです。また、住吉大社のそばで生まれ育った私の母は、南海電鉄の高石町(現・高石)駅が葛葉駅だったと聞いたことがあると言っていました。

神木の大きな楠の前にいる狐です。葛の葉と名乗った狐はこの楠から生まれたという説もあります。昔は楠に葛が巻き付いていたのでしょうか。葛の葉が我が子(安倍晴明)に書き残したとされる有名な歌「こひしくばたずねきてみよ和泉なる・・・」については、折口信夫が「信太妻の話」で「なんだかテニヲハのあはぬ、よく世間にある狐の筆跡とひとつで、如何にも狐らしい歌である」と書いていますね。

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本題に戻ります。
京都大学電子図書館がネットで公開していた玉藻前の絵巻のディジタル画像は閲覧したことがありますが、文楽劇場での公演中、展示室にその実物がお披露目されていました。ネット上のディジタル画像よりも鮮やかで、とてもきれいな状態に見えました。江戸期の写本のようです。

この絵巻では、狐は九尾ではなく、双尾です。中国では昔から九尾だったようですが、日本で九尾になったのは江戸期以降だそうですね。中国からの伝わり方も興味深いところがあります。

玉藻前の狐では、「玉藻前草子(常在院本:室町期)」(妖怪絵巻:毎日新聞社 1978所収)の絵が一番好みで、ディスプレイのデスクトップ背景画像(兼スクリーンセーバー)コレクションの一枚です。双尾の先にあるカラー・リングがとてもオシャレです。この場面は討ち取られる寸前で、矢と槍が迫っています。

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さて、観劇後の感想は、こういう文楽もあるんだ、という、とても楽しいものでした。それは最後の化粧殺生石(けわいせっしょうせき)での七変化で、宝塚のレビュー(数度しか観たことはありませんが)のフィナーレのような華やかさがありました。音曲に合わせた桐竹勘十郎による人形遣いのメリハリの良さと言うべきでしょうか。

実は開演するまで、この演目自体の事前の知識はありませんでした。歌舞伎も知りません。開演前に買った解説書には筋書きが書かれていたし、ミニ床本も付いていて、カミさんは読んでから観ていました。

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いつもはそれなりに予習するのですが、今回は時間がなくて、浄瑠璃の筋書きを知らずに、でも玉藻前伝説は知っているという、生半可な知識のままで舞台が始まりました。これが推理小説を読んでいるような観劇経験になりました。以下はあらすじに沿った感想メモです。

いつもの抑えの利いた口上の東西声と拍子木で気分が高まります。清水寺の段が始まりました。最初から玉藻前伝説にはない、鳥羽天皇の兄・薄雲の皇子が謀反の企てを持っている話が出てきて、どういう絡みになっていくのか予想がつきません。次いで、皇子からの誘いを断っている藤原道春の娘・桂姫があらわれます。桂姫は陰陽師・安倍泰成(晴明の子孫でしょう)の弟・采女之助に恋慕していますが、采女之助はつれないようです。桂姫が玉藻になるのであれば、地位の低い若い男に恋しているというのは少し違うような気がします。

次の道春館(みちはるやかた)の段では、桂姫の妹・初花姫がいます。そこに、皇子の命を受けた鷲塚金藤次がやってきて、獅子王の剣か桂姫の首を渡せと問い詰めます。その中で、亡き道春の奥方・萩の方から、実は桂姫は捨て子であったことが明かされます。捨て子の話は玉藻前伝説にあるわけで、やはり、桂姫が玉藻になるのだと考えるしかありません。

剣はすでに皇子の手に渡っていて、二人の姫が双六遊びの勝負で討ち取られる役を決めてよいことになります。初花姫が桂姫のために負けることができた途端に、金藤次は桂姫の首を切ってしまいました。ありゃりゃ、です。頭が混乱してきました。

隠れていた采女之助に金藤次は討たれ、息を引き取る前に、首を切った桂姫が自分の娘であることを明かします。まあこれは、浄瑠璃でよくある、忠義で話をややこしくさせる手管だと思うのですが、それじゃ、道春の実子の初花姫が玉藻になるしかないではありませんか。桂姫は恋が成就せず、父親に首を切られるだけの出番となってしまいました。しかも、父親・金藤次を討ったのが恋慕する采女之助です。究極の悲劇のヒロインと言えそうです。

桂姫が首を切られた直後に、初花姫が歌合わせで詠んだ歌を帝が褒めたことから、玉藻前として入内することになりました。これは玉藻前伝説の一つですが、突然の展開でした。次は、初花姫が九尾の狐とどのように結びつくのかです。ただ、この段で妙に気になったのは、右大臣・道春の家中のみなさんが町人のような言葉遣いだったことです。世話物を観ている気持ちになりましたが、平安期の公卿の家中での会話がどのような言葉遣いだったのか知りませんので、よくわかりません。まあ、これが文楽らしさ、というものでしょう。

神泉苑の段で、九尾の狐はいずこからか宮中に入ってきて、初花姫あらため玉藻前を襲い、玉藻前になりすましました。ちょっと唐突ですが、そうならざるを得ないでしょうね。玉藻前は薄雲の皇子と魔界を作る密約をむすびます。続く、廊下の段では、玉藻前のモデルと言われる皇后・美福門院も出てきて、玉藻前の暗殺を首謀しますが、玉藻前の得意技、光り輝く姿にあっさり負けてしまいます。

玉藻前によって帝は病が重くなりますが、訴訟の段では、なぜか皇子の愛人で、江口の遊女・亀菊が出てきて、皇子の命令によって訴訟を取り仕切ります。こんなんでいいんですかねえ、という組み合わせです。続く祈りの段はややこしく、亀菊が陰陽師・安倍泰成の願いで玉藻前を裁き、玉藻前の弁解を受け入れるものの、泰成の希望で祈祷の幣取りは許します。亀菊は皇子の旧臣の娘だそうで、皇子の謀反を諫めますが、皇子に殺されます。このあたり、別の物語が絡んでいるのだろうな、と感じましたが、話についていくのが精一杯でした。

その後は、安倍泰成の仕事(祈祷や幣取りではなく、獅子王の剣を使うのがポイントでした)で九尾の狐は退散し、那須野に逃げて殺生石になるという、普通の筋書きになりました。那須野へは桐竹勘十郎と狐が宙を飛んでいきました。外連(けれん)の面白さです。

最後に置かれた化粧殺生石は景事(けいごと)と呼ぶそうですが、これも外連で、狐が殺生石の周辺で七変化していく舞台は、語り・三味線・人形・囃子が楽しく、九尾の狐が人をたぶらかすのではなく、無邪気にさまざまな男女に化けながら、一人遊びを楽しんでいるように見えました。観客も拍手の連続で、「守らせ給ふぞめでたけれ」で終わり、玉藻前のストーリーが大団円で終幕した印象になりました。こういう趣向はとても好みです。能会で最後にある附祝言のような感じです。

推理小説を楽しむ気分で観つつ、腑に落ちない箇所はありましたが、最後に気持ちは晴れやかになりました。このような解放感は心中物の観劇後の気分とは違うものでした。

後で調べると、やはり二つの話を結びつけて脚色している作品だそうですね。ただ、最初の数段(中国と天竺での話)と「十作住家(じっさくすみか)の段」などが省略されていたそうで、省略がなかったら、違った印象になったのかもしれません。次回は省略なしの全段ぶっとおしを期待しています。

玉藻前伝説を知らず、観劇前に解説書を読んでいたカミさんは、最初から終わりまですべてが楽しかった文楽は初めてだと喜んでおりました。次は新春の国性爺合戦です。これも観るのは初めてですが、近松は自炊本があるので予習します。

長くなったついでの話ですが、下の狐の面は、文楽劇場の売店に置いてあって、じゃりン子チエでテツがかぶっていたのとそっくりな気がして、安いのでつい買いました。後で比べたら、ちょっと絵が違いました。型押し加工した紙に和紙を一枚貼って絵付けしただけの簡易な造りです。鍛金練習のモデルにするかどうかは未定ですが、作るなら、アルミでしょうか。でも、白面金毛九尾の狐だったら、銅に錫張りか真鍮かも。

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