ポップサーカス

2025年12月14日

9月に入って、いつも通っている大阪府立中央図書館(東大阪市)の横の広い空き地(大阪モノレール駅予定地)に巨大なテントができて、ポップサーカス(POP CIRCUS)と書かれていました。

サーカスは幼稚園時代に一度だけ観たことがあり、大きな鉄網の球体の中を2台のオートバイが走り回る映像だけが記憶に残っています。

ポップサーカスは大阪府吹田市に本部があるそうです。今回の東大阪公演は9月20日から来年の1月12日までの開催で、図書館に行くたびにテントを眺めていたら、観てみたくなり、12月6日に翌7日(日)のインターネット予約をしました。席は自動的に決められる方式でした。日曜日にしたのは、観客が多いほうがいいと思ったからです。

12月7日、前日に図書館で返却と借り出しをしておいたので、図書館に寄らずに広い駐車場に入って、入口に回りました。クリスマスの飾り付けです。

テントの入口です。

入場から演技中は撮影禁止でした。座った場所はSS席で、演技だけではなく、子供も多い観客の盛り上がりがよく見えました。

すべて人の訓練の賜という演技で、小さめのテントいっぱいを使って、とても迫力がありました。体操やダンスの競技とは別世界でした。一つだけ、奇術のトリック演技が入っていましたが、これは不要でしょうかね。

フィナーレだけは撮影OKになりました。

休憩を挟んで2時間足らずでしたが、世界の大道芸の粋を集めたような楽しい世界でした。いずれテントが無くなると、さみしく感じるのでしょう。

大阪・関西万博テストラン

2025年4月5日

4月13日から開催される大阪・関西万博のテストラン募集に応募したら当選し、今日、12時の枠で行ってきました。

3日にわたるテストランでは、大人数を(入場無料で)実際に会場に入れて、いろいろなチェックをするそうで、昨日は数千人、今日の11時までの入場が約8千人、12時が1万人、明日は11時までが1万人、12時が1万人で、全当選者は4万人ほどです。倍率は8.5倍くらいだったそうです。

今日は2万人弱の入場者ということですが、1人の当選で4人まで入場できるので、実際は今日も明日もそれぞれ3万人以上が入場することになるようです。

会場にレストランなどはたくさんあるそうですが、とても高いし混むと聞いて、自宅近くのコンビニで飲み物と昼ご飯を買って、地下鉄を乗り継いで、11時半に夢洲(ゆめしま)駅に到着しました。初めて降りる駅です。長大(3m✕55m)な夢洲LEDビジョンがすごいですが、まだ利用広告主が限られているようですね。

地上に出ると、広大な待機場所があって、それほど多くの人数がいるようには見えません。

しかし、行列に並んでいると、後からどんどんと人がやって来ました。行列が動き始めたのは並んでから30分後の12時でした。このころは2万人くらいは並んでいたような気がします。

東ゲートは1/3の入口を閉じていて、持ち物検査(これがボトルネック)を受けて、ゲートを通り抜けたのは、12時40分でした。2/3だけが開いているゲートで並んでいたのは1時間10分ほどだったので、まあまあだったと思います。でも、会期中は数倍の人数が並ぶような気がします。ニュースでは開幕日には予約だけで14万人いるそうです。

問題は、この広大な待機場所に日陰がまったくないことです。今日は18℃で曇りという春らしい気候で、待つのは苦にならなかったのですが、大阪の夏に、ここで1時間以上待つのはつらいでしょうね。日傘や濡れタオル、ミニ扇風機などは必携でしょう。

入場すると、最初にミャクミャクと記念撮影する舞台に行列があり、その向こうに大屋根リングがそびえています。ちょっと「進撃の巨人」を連想しました。

テストランでのパビリオン事前予約日程を失念していたので、唯一予約できたオランダ館(パビリオン)に向かいます。オランダ館は入場した東ゲートからリングの反対側あたりなので、リングを歩いて行く予定だったのですが、ちょっと予約時間1時に間に合わないようなので、リングの下をくぐって、会場の真ん中を通っていきました。

途中に多くのパビリオンがありますが、オープンしているところはほとんどありません。4月13日の開幕までの1週間が貴重な時間なのでしょうね。写真に見えるフランス、アメリカなどの主要国パビリオンはすべて閉まっています。

オランダ館に到着しましたが、予約している人たちが100人以上並んでいました。隣には予約無しの行列もありました。入場に際しては、予約したほうが速いようでしたが、係員の誘導で、予約無しの人たちもそれなりに入ることができていました。この誘導は予定通りという雰囲気はなかったので、実際の開催時の多数の待ち行列の処理がどうなるのかわかりません。

オランダ館では球体(orb)を渡されて、入場者同士で協同作業をしていきました。

さて、オランダ館を出て、次のパビリオン予約(パビリオンを出ると次を1つ予約できる)を試みましたが、パビリオンはごくわずかしか開館していないので、2つめの予約は無理でした。仕方がないので、一番の目標であるリングに登って一周することにしました。

リングの内径は615メートル、幅30m、一周は2kmで、高さ12~20mの空中散歩はとても楽しいものでした。今日は、遠方は少し煙っていましたが、360度の眺望は予想以上でした。期待したけど見えなかったのは関西空港くらいでした。

以下はリングからの写真です。

リング一周後、ガンダムを下から眺めに行ったら、手前に吉本の野外劇場があり、スッチーらが観客と一緒に「なんでやねんコント」をやっていました。

ガンダムです。いいポーズです。ガンダム館は終了していました。

開いていた少数のパビリオンも午後3時過ぎにはすべて当日予約は終了していたので、3つほど共同館(多くの国が小さく展示している)を覗いてから、これも行列無しの大阪ヘルスケアパビリオンで「人間洗濯機」を眺めました。70年万博を覚えているので、これは陳腐な印象でした。

以上で、テストラン参加は終了にしました。最後に東ゲート近くにある満員のオフィシャル・ストアでお土産をチェックしましたが、残念ながら、気に入ったものは見つかりませんでした。

東ゲートを出たのは午後4時半でした。多くの人と一緒に地下鉄夢洲駅に向かいました。

駅構内はそれほど混雑しておらず、列車も次々と来るので、帰りは楽でした。5時間の滞在で1万7千歩、少し疲れたけどまあまあ満足(無料だし!)、という心境で帰宅しました。

テストラン参加者としての不満は、主要パビリオンがほとんどオープンしていなかった、会場での当日予約もスマホを大慌てで操作しないと予約できない、予約していても100人以上の行列があって予約時間より30分以上は待つ、案内表示が少ない、などでしょうか。

今回の万博はスマホ駆使前提の世界ですね。ともかく、チケットを買うにも万博IDの登録にPCかスマホが必要だし、スマホ無しの場合は印刷したQRコードを持ち歩き、スマホ無しの当日予約は無理なので、予約無しの行列に並ぶしかないようです。

会場内では現金が使えないし、スマホの有無で受けるサービスに大きな違いを生じます。これが高齢者には厳しい状況と考えるかどうかは、万博テーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」をどう解釈するかによるのでしょう。

係員の人たち(接客・警備)はまだ不慣れだけど丁寧で、がんばっていたと思います。ただ、開催中には20万人前後の入場が見込まれているそうですから、いろいろ、どうしようもない状況が発生するような気がします。

さて、開催してから、あらためて行くか?、と自問すれば、入りたいパビリオンはいくつかあるので、気候が良ければ、そして、来場者が少ないという報道に接したら、可能性は残っています。

大阪城 豊臣石垣館 完成

2025年3月19日

発見された豊臣時代の石垣を公開するための施設建設工事見学会に行ったのは4年前(大坂城の豊臣石垣見学)でした。その施設が完成したそうで、今日、内覧会に行ってきました。

今日はとても寒く、ときどき小雨が降っていました。寒さ対策の服装で地下鉄「谷町四丁目」から大阪管区気象台横を歩いて行きます。「大阪の気象」を観測するアメダス施設です。

大阪歴史博物館と法円坂遺跡を通り過ぎます。

寒い平日ですが、4年ぶりの大阪城はインバウンドの観光客でとても賑わっていました。さまざまな言語が聞こえてきます。

完成した「大阪城 豊臣石垣館」です。一般公開は4月1日からです。

隣の「金蔵」との間を置き石で飾る仕上げ作業でしょうか。

施設の内部は、入口ホールがガラスで囲まれていて、内部に入ると何もない広いカーペット部屋(ガイダンスルーム)の壁が巨大スクリーンで、豊臣期の石垣発見ストーリーが映写されていました。この部屋は撮影禁止でした。

フロアマップです。

ガイダンスルームから階段で(エレベーターもあるようです)地下に降りると、石垣が目の前に現れました。

この石垣部分は4年前の工事中にチェックしていて、見覚えがありました。

この右手に階段があって、その上(地上レベル)からも眺めることができます。
4年前に撮った工事中の写真(左)と階段上からの写真(右)を並べてみました。細かなところでちょっと異なっているような個所もあるような気がするのですが・・・?

公開されてる石垣はこの部分だけです。もう少し広く見せてもいいような気もしますが、400年も土中にあったので、石の状態維持保存なども考えているようでした。見えている石垣にはいくつかのセンサーが取り付けられていました。

1階に上がると、玄関部分とは別の大きな部屋(シアタールーム)があり、ここも壁一面のスクリーンに大坂城の歴史が流されていました。この部屋も撮影禁止でした。

出口は東側で、玄関とは分かれていました。そのあたりからの写真です。背景に現在の天守閣が見えています。

訪問した感想は、すっきりした展示館で、ちょっと石垣展示部分が小さいとは言え、そもそも豊臣期の野面積(のづらづみ)の石垣が発掘されたことが「大発見」だったわけですから、目的に合っているように思いました。

徳川家康が攻めあぐねた豊臣期の大坂城、奪取後は完璧に破壊され埋められた大坂城、そして威信をかけて巨大な石を集めた徳川期の大坂城、これらの変遷がよくわかった気分です。

帰る前に、記念に天守閣に登っておくことにしました。現在の天守閣は1931年(昭和6年)建築の鉄骨鉄筋コンクリートで、外見だけのモニュメント(博物館)です。小学生の頃に登った記憶があるくらいで、今回が最後の登城になるでしょう。

というのも、こういう予定(城内の看板)になっているからです。

現在は天守閣入館料が600円ですが、看板の下のほうに小さく書いてあるように、4月から豊臣石垣館の入場をセットにして、1,200円になるのです。豊臣石垣館だけの料金は無いようです。

冷たい霧雨の中、20分ほど並んで、入場できました。

多くの人が並んで待っていたエレベーターもありますが、階段で、窓のない各階の展示を観ながら、8階の最上階まで登ると、やっと外が見える回廊になっています。

天守閣から見える豊臣石垣館(白い屋根)です。豊臣石垣館の出口あたりから撮影した写真の逆方向になっています。少し太陽が出てきていました。

前回の工事見学の時と同様に北側の極楽橋を渡って帰ります。

「天満橋」から地下鉄で帰宅しました。

大坂城の豊臣石垣見学

2021年2月22日

徳川が豊臣時代の痕跡を残さないようにすべてを埋めて作った大阪城の本丸から豊臣時代の石垣が発見されたのは昭和34年(1959)だったそうです。昭和59年(1984)には別の浅い場所(金蔵の横)からも発見されました。調査後に埋め戻されたようですが、石垣を公開するプロジェクトのためにあらためて金蔵横を大きく発掘しています。この話題は40年ぶりに大阪に戻ってきてから、大坂城豊臣石垣公開プロジェクトという寄付集めで知りました。

2月19日から発掘現場の特別公開があるということで、一般枠で申し込みましたが落選、少し寄付をしていたので、寄付者枠で当選し、見学してきました。

午後3時からの見学ですが、少し早め、2時頃に行きました。久しぶりに電車に乗り、京阪・天満橋から大手門まで歩きました。2月とは思えない暖かさで汗をかきました。
このあたりは何十年ぶりかわからない久しぶりです。

大手門を抜けると、横の塀に狭間が並んでいます。

狭間から歩いた道を覗いてみました。よく見えるものですね。

城内にはイルミネーションがいくつか置かれていました。

梅の見頃なので、本丸への楼門を横目に通り過ぎて、先ずは東側の梅林に向かいました。梅は満開のようで、それなりの人出です。下には降りませんでした。

楼門に戻って、本丸に入ります。

天守閣の手前、旧第四師団司令部が2017年に改装されて、複合施設「ミライザ大阪城」になっています。

この建物は昭和初期の優雅さがありますね。ずっと大阪市立博物館として使われていました。

中に入ったら、新婚さん二人だけの前撮りでしょうか、数人だけで撮影していました。店舗は半分くらいが閉まっています。

奥に「大坂城跡」という展示室がありました。

こういう説明がずらっと並んでいて、瓦が2枚展示されているだけでした。

ミライザ大阪城の横のベンチでしばらく休憩してから、すぐ横の発掘現場を訪れました。この写真の中央が重要文化財の金蔵で、発掘現場は右側です。

受付をしてもらって、5人ほどが集まって柵の中に入りました。発掘現場です。

小さなビルの建設現場みたいです。地下に鉄骨が張り巡らされています。これが見学施設になる骨組なのでしょう。下に降りて見ることができるのかと期待していましたが、それはできず、上から眺めるだけでした。

逆光の時間だったので下が暗く、どこに石垣があるのかすぐにはわかりませんが、覗き込んだら見えました。

近くでズームアップしました。底面にいくつか穴があります。柱跡でしょうか。

徳川が作った立派な石垣とは比べものになりませんが、古い野面積(のづらづみ)と聞いて予想していたよりは大きな石が使われているように思いました。この場所は豊臣時代の本丸の上にあった「詰ノ丸」の角だそうです。残念ながら、天守閣の石垣ではありません。10分だけの見学で短いなと思っていましたが、まあそれくらいで十分でした。

実際に見せてもらって感動は湧きませんが、歴史的事実を確認した気分にはなりました。徳川が攻めあぐねた大坂城の全容を感じるほどの想像力が働かないので仕方ありません。いずれ、寄付による公開用施設が完成したら、上からではなく、正面から眺めてみたいという気持ちで去りました。寄付はまだまだ受け付ける必要があるようです。

帰りは北側の極楽橋を渡って、京橋口から天満橋まで歩きました。こちらのほうが少し近いようですね。

能勢のドライブでサプライズ

2020年12月6日

紅葉の中をドライブしたくなって、能勢まで行ってきました。午後に出発して、近畿自動車道・中国自動車道は空いていたので早く着けそうと思った後に、池田市では日曜らしい混雑がありました。国道173号線で川西市に入って以降は紅葉の山中ドライブで、札幌から支笏湖や中山峠に向かう道を思い出す感じでした。

北海道と違うのは道路の端に蓋のない側溝があるという点でしょうか。積雪を考える必要がないからと推測しますが、なかなか怖いものです。

1時間ほどで「道の駅 能勢(くりの郷)」に着いたら、駐車場はほぼ満車でした。ライダーたちも多く休憩していました。周りは紅葉がきれいです。

買い物休憩で、栗の食品を中心にごちゃごちゃと買いました。能勢町産品をチェックしたつもりでしたが、帰宅してから確認したら、マロングラッセは中国産の栗でした。他はおおむね能勢町関連品でした。

道の駅での休憩が終わった午後3時過ぎに、もう少し紅葉ドライブを楽しみたいなと思って調べてみたら、「野間の大けやき」が近くだとわかり、眺めに行くことにしました。それがなかなかのサプライズになりました。

カーナビとスマホのグーグルマップで確認したら、すぐ先に大阪府道4号線(茨木能勢線)があり、それがルートの第一候補になっていました。173号線から府道4号線に入り、空いたワインディング・ロードをすいすいと進んでいきました。

途中、田尻という交差点から「野間の大けやき」到着までのドライブレコーダーの動画を入れておきます。7分ほどで、音は出ません。動画の最初で、前を横切る府道106号線の往来はあり、こちらに入ってくる車はありますが、直進する正面の往来はありません。この交差点で左右どちらかに迂回するのが正解でした。

知らなかったのですが、帰宅後に調べてみたら、田尻から猪ノ子峠を越す4号線がとっても狭隘で未舗装(簡易舗装が剥がれている)部分もあり、そのことで有名な道路だそうですね。

西日が正面になることが多く、途中にいくつか道路脇の看板がありましたが、読んでいる余裕はありませんでした。「ポツンと一軒家」への林道みたいになっていきます。人が歩いていたのにはびっくりしましたが、対向車が来なかったのが幸いで、面白かったものの、また通りたいとは思わない道でした。

5分ほどの峠道ドライブの興奮の後に到着した樹齢千年の大けやきは葉が散っていましたが、むしろ枝の複雑な造形がよくわかって魅力的でした。隣に資料館もあります。能勢には室町時代から山城が多くありましたが、このけやきはその頃から立派だと言われていたそうです。

十分に紅葉ドライブを楽しんだので、帰路のルートをナビに入れました。大けやきのすぐ近くに国道477号線があります。途中、豊能町のときわ台で、左折すると箕面有料道路という標識があったので、ナビのルートではなかったのですが、そちらを選びました。しばらくして、ナビには出ていない右折する道路があり、道路案内標識に箕面バイパスと書かれています。この案内はグーグルのストビューにはまだ写っていません。

右折すると、ナビ(2019年版)の地図から道路が消えました。ずっと先の新名神・箕面バイパスのところだけが浮いて示されています。つい最近の開通道路のようです。

これが2つめのサプライズでした。この道路は最後の快適紅葉ドライブとなりました。

箕面バイパスは長いトンネルで新御堂筋(国道423号線)につながっており、大けやきから1時間足らずで帰宅できました。

北海道では旧道というのは少ないので、あまりナビを重視していませんでした。大阪(本州)では狭い旧道・路地、一方通行が多く、どこに行くのでもナビは不可欠です。でも、ナビだけを頼りにしていると変なルート(狭い道路)になることも多いですね。もっと道路の案内標識に注意しないといけない、あるいは事前にルートを調べておかないといけない、そんな教訓になる面白いドライブでした。

 

太陽の塔と民博

2018年5月31日

5月29日、48年ぶりに万博会場(万博記念公園)に行ってきました。

今年になって太陽の塔の内部公開が始まりましたが、1ヶ月くらい経って予約サイトを眺めてみたら、もう4ヶ月先まで満杯でした。来年あたりだったら行けるかな、という気持ちでした。ところが、5月に入ってからのTVニュースで、予約者が当日に現れない率が20%にもなることがあるという報道がありました。予約もキャンセルも無料だからだそうです。そういうニュースが出ると、ちゃんとキャンセル手続きをする人が多くなっているかもしれないと思い、ニュースの数日後(5月6日)に予約サイトを眺めたら、2週間ほど先からポツポツと空きが出ていました。

予約サイトでの確認は少々手間でした。カレンダーに空きを示す「○」が出るのですが、○を押してから予約手続きを始めないと、その空きが何時かがわかりません。今回はラッキーにも都合のよい午後3時でした。

この記事を書いている5月31日に眺めた予約サイト画面です。かなりの空きが出ていますので、平日なら行きたい直前にチェックするのでよさそうですが、時間帯はわかりません。なお、予約手続きの前にメールアドレスや電話番号などを登録する必要があります。

せっかく万博記念公園に行くのだから、予約時間の3時まで、以前から行きたかった民族学博物館を訪れることにして、昼頃にモノレールに乗りました。鳥飼基地はやはり写真を撮りたくなります。

万博記念公園駅で降りると、駅構内に面白いオブジェが置かれていました。

丸太を束にして球形に加工してあります。説明板には「大阪モノレール美術館」と書かれ、大阪トリエンナーレ1998 グランプリ受賞作品(作者は韓国の李 在孝)とあります。ガンバ大阪のスタジアムがある場所柄、サッカーボールかなと思いましたが、「無題」となっていました。

構内の端にも置かれていました。

こちらは細い丸太を組み合わせて球体に切り取っています。興味深く眺めていたら、ツバメが飛んできて、ガンバ大阪2018シーズンスローガン『奪還』へのファンの寄せ書きの上に2羽とまりました。

この駅の構内は広くて、ツバメが飛び回っています。改札を出るときに駅員さんに聞いたら、放っておくと巣を作るんですよ、と笑いながらも困り顔でした。楽しい風景ですが、乗降客への落とし物があると困るんでしょうね。むずかしいところです。

さて、万博記念公園の入口まで駅から10分くらい歩きました。蒸し暑くなってきています。48年前に来たときも同じ時期で同じような暑さの記憶があります。当時のアクセスは地下鉄御堂筋線の延長(北大阪急行)で「万国博中央口駅」でした。大阪モノレールは1990年の開通ですが、別のモノレールが会場内輸送として走っていました。

万博の時は樹木がほとんどなかった記憶ですが、今は森になっていて、太陽の塔は森より高く聳えています。でもこの景色はモノレールから何度も見ています。

しかし、近くで眺めると、周りには木がないので、地面からそそり立っています。地上高70mだそうで、大きいと言うより巨大ですね。

48年前に見たときはトラス構造の巨大な屋根が周りにあったので、野原に立っている姿は初めて見ました。いろんな角度から写真を撮りながら、3時までの2時間ほどを過ごす民族学博物館に向かいました。塔の後ろは大きな広場になっていて、その端に当時のトラス屋根の一部が置かれていました。

太陽の塔から10分ほど歩いて、国立民族学博物館に到着です。

万博当時の収集資料品の特別展示が今日まででした。まずは1階のレストランでカレーのランチをとって、2階の本館展示場に向かいました。とても膨大なコレクションですね。撮った写真は多かったのですが、ここでは2点だけ。

入口の手前にいくつか「対比あるいは類似」の展示がありました。「ガーナのエビ形の棺桶」と「オーストラリアの筒状の骨箱」です。

オーストラリアの木彫「ディンゴの一家」。これは1991年のリン・オナスの作品です。

1時間半歩いて1/3くらいしか観ることができませんでした。常設展はここまでで、続きは次回以降として、今日までの特別展を覗いておきます。70年万博のために収集された資料品の展示です。ここも素通りに近い観覧で20分ほどかかりました。

午後2時40分に太陽の塔の裏側に戻ってきました。とても蒸し暑くなっていました。樹木は多いものの、歩くところには日蔭が全くありません。

すでに3時からの入場者受付は始まっており、QRコードを示して入場券とパンフレットをもらって入りました。

ここから先は撮影禁止です。フラッシュ禁止くらいでいいのにと思いますが、立ち止まらないようにしているのでしょうか。

地下から始まって、16人単位でゆっくり階段を上っていきました。昔はエスカレーターを行列で上りましたね。耐震の観点からエスカレーターは取り外されたそうです。内部の記憶は進化の木と恐竜くらいです。再製作や補修された展示物が多いようですが、恐竜などはそのままでした。

万博当時の出口は右腕の先から大屋根に移る方法でした。今は腕の出口は封鎖されていますが、腕の内部がパイプのトラス構造で曲面がきれいに作られている様子がよくわかりました。

現在の出口は別の閉鎖階段で11階から地下まで降りていきます。ここから先は撮影禁止ではありません。写真を撮ったのは10階に降りた時からです。こんな写真でも、一応は太陽の塔の内部写真です。

8階からは回っていく廊下に展示がありました。最初は岡本太郎の言葉です。ライトが強すぎて上の文字が写りませんでした。爆発ではなく呪術だそうです。

7階には製作時の記録写真がありました。

6階は展示の説明です。

5階は今回の公開に至るまでの工事の説明です。

入口の横の出口に出たのは3時半少し前でした。30分足らずで短かったと言えるでしょうが、内部展示品は今となっては上野の国立科学博物館と比較にならないようなものですから、時間はそんなものですね。

お土産は海洋堂の1/350の太陽の塔です。海洋堂は近所だし、通販でも売っている製品ですが、前から欲しかったので、太陽の塔再訪記念にしました。

いずれ、目にLEDを入れる加工をするかもしれません。

モノレール駅までの帰り道は暑く、駅に着いた時には熱中症のような感じ(なった記憶はありませんが)でした。次回は涼しい時期にクルマで来るのが良さそうです。

造幣局 通り抜け

4月12日、午後から造幣局の桜を眺めに出かけました。前日に行こうとしましたが、かなりの強風で今日になりました。

地下鉄天満橋駅を降りた時から大勢の人が造幣局方面に歩いていました。天満橋の歩道は通り抜けに向かう人たちが続いていて、追い越すのはあきらめました。

天満橋から見る八軒家の船着き場です。曇り空ですが暖かく穏やかです。

天満橋を渡り切って振り返ったところです。橋の歩道は向かって右が来た道、左が帰り道になっています。

南門に到着です。ここから一方通行の通り抜けが始まります。平日の午後でこれだけの人出というのは驚きですが、外国からの団体客が多いようでした。

ここからはいろいろな八重桜を楽しむことになります。もらったパンフレットには桜の説明が「あいうえお」順でわんさと書かれていますが、人混みの中でじっくり読む気にはなりませんし、どれが貴重なのか、有名なのかもわかりませんので、ただただ現在満開の桜を眺めることになります。一応、それぞれの桜の横に説明が記されています。これは妹背。

これは長州緋桜。

これは園里黄桜。

昨日の強風のせいでしょうか、満開が6~7割、ほぼ散ったのが3~4割といった感じです。

15分ほどで中門に到着です。

左側には造幣博物館がありますが、通り抜けの期間は休館しています。

その先に、わかりやすい桜がありました。「いにしへの奈良の都の」八重桜です。

通り抜け通路横に洪水碑がありました。明治18年の淀川洪水で碑の横線まで浸水したようです。

明治3年(1871年)造幣局創設当時のガス燈が置かれていました。

その先に、藤棚と見える白い花が見えました。

百年を超える藤の古木だそうです。明治天皇行幸の際の生け花に使った藤を挿し木して育ったそうです。根の近くは芯が無くなっているようですが、見事に咲いています。

次いで、雰囲気のある鉄のゲートがありました。

欽明門となっています。これも明治天皇がらみのようです。

桜が人よりも背が高かったので、多くの人がいることはあまり気になりませんでした。

通り抜けは子供の頃に連れて来てもらったことがありますが、桜や記念物などの記憶はまったくありません。大川の土手との間に柵がありますが、昔はなかったような気もして、土手あたりで朝鮮の人たちが音曲と踊りを楽しんでいたのを眺めていたような記憶があります。とってもあいまいな記憶です。

人の波が動く速度で、ほぼ30分で北門(出口)に到着しました。

造幣局の外塀には桜の灯火が取り付けられています。

帰りは南森町駅まで歩きました。

おみやげは、造幣局の記念品ショップで、鋳造品ではなく、ゴーフルを買いました。右はチェックに来たパスカルの鼻です。

 

パナソニック ミュージアム

2018年3月31日

桜が散り始めた3月30日、新装なった(3月7日オープン)パナソニックミュージアムを訪ねてみました。京阪守口市駅から門真市方向に高架横の通りを歩いて5分ほどです。

パナソニック本社の一部で、隣には安藤忠雄設計の「さくら広場」があります。

さくら広場は後で休憩がてらとし、松下本社の入り口に続く通りを渡ると「ものづくりイズム館」ですが、ここも後から見学で、通り過ぎました。

この建物は、実は以前の「松下電器歴史館」でした。昨年の2月に訪ねたことがあります。その時の写真です。

改装されたのですが、違いがわかるでしょうか。手前の銅像が今はなくなり、モニュメントに変わっていますが、建物のほうで、玄関あたりが違っています。

以前の玄関周りにあった丸いステンドグラスが外されて壁になり、ステンドグラスは新築された「松下幸之助歴史館」に移されています。

ものづくりイズム館を通り越して、新築された「松下幸之助歴史館」に行きます。よく似た新しい建物です。どちらにも屋根に舵輪が飾られていますが、白と黒に塗り分けられています。

外の道路から見たミュージアムの入口です。

「松下幸之助歴史館」と「ものづくりイズム館」の2つの名前があります。すぐ後ろに見えているのが松下幸之助歴史館です。この歴史館が新しく建てられて、玄関周りのステンドグラスが移されています。銅像もこちらに置かれていますので、ここに立つと、以前の松下電器歴史館のように感じます。

中に入ります。入場無料です。

玄関の内側には、新築開館祝いの蘭の花が並んでいて、オープン記念・スタンプラリー(4月10日まで)の案内が置かれていました。

中は広いスペースに松下幸之助の人生がよくわかる配置になっています。

多くの展示品は以前の松下電器歴史館に置かれていたものでしたが、広くなっても、相当な量の展示です。初期の松下製品なども置いているからでしょうね。

パネル展示も多くなっていますが、不思議な現象がありました。パネルを照らしている照明で、目で眺めていると普通の昼光色のように見えるのですが、カメラを通すといろんな色になります。これは赤紫です。

続いてシャッターを切ると、薄い黄色になっています。

多色のLEDを切り替えているのでしょうか。早く切り替えるから、目では昼光色しか見えないのかもしれません。

次は「ものづくりイズム館」です。

初期の松下からの製品が所狭しと並べられている一方、ゆったりとした展示もありました。ここでは「ものづくり」のイベントが時々あるそうです。

この館で楽しかったのが巨大パネルスクリーンに写される動画です。パナソニック製品が右から左へと流れます。

巨大パネルの手前にLED照明のあるポールが立っていて、その上に空気センサーが付いています。そのセンサーに風を送ると画面が動きます。
動画を撮ってみました。音が入っています。

右の方のセンサーに風を当てると左に動き、すべてが左端に溜まりますが、左の方のセンサーに風を当てると右に動いていきます。すべてのセンサーにみんなが同時に風を当てるとどういう動きになるのでしょうね。

こんな記念撮影スポットもありました。

スタンプラリーの結果です。抽選で白玉(最下位?)を出して、特製メモ帳をもらいました。

帰りがけに「さくら広場」に寄りました。桜はすべて若いですが、よく咲いて、どんどん散っていました。

ここのモビールはなかなかのものですね。音は出ません。

水辺が作られています。

この奥あたりに、松下幸之助 門真旧宅があるそうですが、限定公開だそうです。

すぐ横の京阪電車の高架を見上げると、ちょうどエアセクション(異なる変電所からの架線を区分している場所)の標識が見えました。

これから10年後くらいの桜の成長が楽しみです。

 

月ヶ瀬と海住山寺

2018年3月4日

3月4日、とても暖かく、淀川公園の梅は満開です。

河川敷では寛平マラソンが始まるようです。

そんな陽気なので、今日は昼から京都府唯一の村、相楽郡南山城村の道の駅「お茶の京都 みなみやましろ村」までのドライブを楽しみました。国道163号線をひたすら走ります。

木津川市で少し国道24号線と重複して木津川を渡りますが、それが面白い形のトラス橋でした。後ろに車がいなかったのでスピードを落として写真を撮りました。

あとで調べてみると、1951年に架けられた「泉大橋(いずみおおはし)」で、日本百名橋に選ばれています。その上流にはJR奈良線の区切りのないトラス橋が見えました。

木津川沿いの163号線に戻ってからも、雰囲気のあるトラス橋が続きました。

笠置町で見つけた関西本線木津川橋りょうは明治時代のもので、土木学会の選奨土木遺産になっていました。

このあたりはトラス橋ファンには有名な地域なのでしょうね。

快適なドライブが続き、1時間15分くらいで目的地の南山城村に到着しました。道の駅の駐車場は日曜ということで、ほぼ満車でした。横の予備駐車場に駐めました。さすが、茶の産地だけあって、前には茶畑があります。

ランチに特製カレーを食べて、いつも通り、道の駅での買い物を楽しみました。ここはあまり農産品を置いていないようですね。

近くに月ヶ瀬梅林があるのですが、日曜なので超満員かもしれないと思いつつ、行ってみることにしました。途中に一車線分しかない箇所もあり、なかなかの山道ドライブです。水を眺める場所の駐車場が空いていたので、ちょっと見物です。

現代的な下路アーチ橋がかかっています。梅はと言うと、手前の小さな木は咲いていましたが、他に梅の花らしき色はありません。

上の写真の赤い橋のところ(月ヶ瀬梅渓)まで降りていくと、「奈良市月ケ瀬梅の資料館」があり、前の駐車場はガラ空きです。休憩がてら、中に入りました。係の人にうかがうと、今年は例年になく開花が遅れている、とのことでした。駐車場がすべてガラ空きだった理由ですね。いただいたパンフレットには「梅まつり」が2月18日から3月一杯までとあります。

資料館では、月ヶ瀬で有名な烏梅(うばい)と、それを使う奈良晒(ならざらし)の説明展示がありました。梅の実を燻製して烏梅を作り、紅花などで麻を染める時の媒染剤(酸性液)として使う方法だそうです。烏梅って黒っぽい染料にするのかと思っていましたが、紅花の色を引き立てるためなのですね。

この資料館の周りも2本ほどが三分咲き程度ですが、他はすべて蕾のままです。

この蕾の雰囲気だと開花までしばらく待つ必要がありそうです。

梅林の散策もせず、これで戻ります。南山城村に戻る途中で、ナビが違う道を選んだので、それに従うと、名張川の「高山ダム」に行き着きました。月ヶ瀬梅渓を作っているダムです。

広い駐車場があったので、眺めてみました。

それほど迫力はありませんが、ダムの上を自動車がこちらに走ってきていました。ひょっとしたら、このダムは道路になっているのか、と思いつつ、クルマに戻って先に進むと、確かにダムの上を走ることになりました。ダムの手前に「対向車が来ていないか確かめて」とありましたが、その瞬間にダムの上になり、一車線しかない通路の両側は壁になっていて、先は見えません。

この写真は渡りきる直前です。左右の景色を眺めることができないようになっています。

さて、往路で木津川市のはずれくらいに見つけた海住山寺(かいじゅうせんじ)の「国宝・五重塔」という看板が気になっていました。大阪に戻ってからは「国宝」という言葉にとても魅力を感じます。帰路なので、寄ることにしました。

月ヶ瀬梅渓の往復よりも細い急勾配の参道を登りました。以前に野崎観音に登ったような道が山の中で続きました。対向車が来たらどうしようと考えつつ、登り切りました。

このあたりの平地は恭仁(くに)宮跡で、海住山寺も8世紀に良弁による創建と言われています。本堂(右)と国宝の五重塔(左)です。

本堂の中には重文の十一面観音立像があるそうですが、閉門直前なので遠慮しました。

五重塔は鎌倉期(1214年)建立だそうで、高さは17.7m、とても華奢な感じを受けました。下に裳階(もこし)が付いているからでしょうか。もう夕陽だったので、裏から撮りました。

本堂の横にある文殊堂も重文だそうです。

今日は近畿の山道ドライブを楽しんだ気分ですが、帰りの木津川市あたりから「けいはんな学研都市」を過ぎるまでは渋滞が続いて、ちょっと疲れました。でも、国道163号線は興味深い道です。

今日のお土産です。

後ろの梅の枝は、月ケ瀬梅の資料館で「お持ちください」と置かれていたので、いただいてきました。

狭山池

2018年2月12日

2月11日、今日も午後からドライブで、大阪狭山市にある狭山池を訪ねてみました。一般道で1時間ちょっとです。昔は狭山遊園がありましたね。

太陽は出ていましたが、土手に上がると風が強く、とても寒く感じました。金剛山、葛城山、PLタワーがよく見えています。写真の左側に狭山池博物館があります。

次の写真は博物館近くの土手から南、西除川(にしよけがわ)上流方向の眺望です。狭山池は日本最古のダム式ため池で、大和川水系の西除川(天野川)を堰き止めています。このあたりは羽曳野丘陵と陶器山丘陵に挟まれていて、ダムの場所として適当だったのですね。陶器山丘陵と呼ばれるだけあって、須恵器が多く出土しているそうです。

現在の土手の周囲は2,850mあるそうです。休日なので、ジョギングを楽しんでいる人はけっこういましたが、この日の土手は殺風景な雰囲気でした。でも、桜並木になっていますので、4月頃は華やかになるのでしょう。

1982年に狭山池下流で豪雨災害があったことから、洪水調節機能を持ったダム化を計画して、1988年から平成の大改修が始まり、工事終了に合わせた2001年に大阪府立狭山池博物館が安藤忠雄の設計で建てられました。博物館の方角(北)が狭山池による灌漑(ならびに治水)の対象地域になっています。

ここが博物館の入口ですが、安藤忠雄の設計らしく、受付のある内部までは、エレベーターに乗って降りて、階段かスロープを上がってと、かなりあります。入館は無料でした。

入口の横には、昔の樋が置かれていました。

奥に進む途中には水が多く配置されていました。隅っこに小さく二上山が見えています。

受付ロビーの背後に、土手を切り取った断面(樹脂で固めて剥がしたのでしょうね)が目を引きます。飛鳥時代の造築以来、天平から平成までの改修工事の跡が地層になっています。これが最初の展示物です。

狭山池博物館では、狭山池は推古天皇時代(7世紀)に作られたとされていますが、これは1988年からの改修工事で出てきた東樋の木材の年代測定で616年の伐採とされたからのようですね。ネットで見つけた1984年の論文(湯川清光 「創設時の狭山池」 農業土木学会誌 Vol.52 )を読むと、4世紀頃に作られたのではないかと書かれていました。いずれにせよ、この地域では重要な施設だったようで、何度も大きな改修工事が行われてきています。

江戸時代の木製の東樋です。

その先の端には飛鳥時代の東樋が置かれています。

手前は石製の樋です。

土手の木製の補強骨組みです。

大正から昭和にかけての改修で設けられた取水塔が室内装飾になっていました。中に入ることはできません。

一番楽しかったのは、先週の竹内街道歴史資料館と同様に、点灯式のジオラマでした。巨大な寝室に置かれたベッドみたいです。

このジオラマには3つの時代のボタンがあって、狭山池からの灌漑範囲が点灯していきます。画面の一番手前が狭山池で、北のほうに流れて行き、各地のため池を潤して、当時はなかった大和川(1704年流路変更)の位置を越えていっています。

大仙陵古墳の水もここから入っているのですね。

このジオラマには、大和川の付け替え部分も作られていました。次の写真で、左下から上に行く川が付け替えられた大和川(左から入っているのは石川)、右側に水の無い川の形が旧大和川です。ちょうど、先週撮影した柏原市役所の前あたりです。

西側の無料駐車場の下に小さな池(副池)があります。大正・昭和の改修で作られたそうです。狭山池の東西にある余水吐(よすいばき)の一つ、西除川が出て行くところですね。このあたり昔は決壊が多かったそうですが、今は雰囲気のいい、池の公園になっています。

大阪に戻ってから、主にドライブ散歩で大阪周辺を巡っていますが、今回の散歩で、古代大阪の全体的なイメージが見えてきたような気がします。難波宮から堺、近つ飛鳥、狭山池、平城宮という範囲、そして淀川の歴史など、古事記や日本書紀に出てくる土地を眺めていると、河内湖(草香江)が淀川と大和川の流入で淡水化した周辺には古代の生活と文化が多くあったのですね。子どもの頃から淀川・大和川の下流を見慣れた風景として眺めていましたが、数百年前までは、そこには淀川・大和川はなかったのだと知ることはとても新鮮な気分です。