京街道1:高麗橋-守口

2022年4月10日

今年3月に入って、季候が良くなってきたので、毎日の淀川散歩を延長してみたくなり、淀川筋の京街道(大阪から伏見)を歩いてみることにしました。

京街道は秀吉によって整備された淀川左岸の堤(文禄堤)を通る街道ですが、江戸時代には江戸方面から京を通らずに大坂に向かう東海道とされ、五十四次が伏見、五十五次が淀、五十六次が枚方、五十七次が守口となっています。地元を通っているのですが、街道だった道路は1kmくらいの範囲しか歩いたことがないので、街道全体を何回かに分けて歩いてみることにしました。

最初の試みは3月12日(土)、地下鉄で北浜まで行き、高麗橋から大阪城の京橋を渡って、守口宿(東海道の五十七次)までの10kmほどです。この区間は2011年にママチャリで走っていて、その時の所要時間は1時間半ほどでした。

普段の散歩では歩かない距離なので少し心配でしたが、この区間は京阪電車と地下鉄谷町線の沿線なので、いつでもギブアップして電車で帰宅できます。

スマホに現在地と連動する京街道の地図が出ますので、道を間違えることはありません。以前に自転車で走ったときは、紀州街道・京街道の部分地図を10枚以上印刷して、蛍光ペンで街道を書き込み、前カゴの上に載せていましたが、そういう苦労は不要になりました。

10年ぶりの高麗橋(大阪市中央区)です。11時15分でした。

ここから京橋に向かいます。土佐堀通りを東に歩いていると、途中に熊野街道の案内がありました。平安時代から江戸時代まで流行った熊野詣は京からの淀川舟旅から上町台地を上って南に向かいます。長い旅です。

近くに八軒家船着場跡がありました。

大阪城の京橋(寝屋川)を渡ります。渡ると都島区になります。ここが江戸期までの京街道(東海道)の起点です。

京阪京橋駅前にある道標です。京街道は写真の左奥のJR陸橋の向こうに続きます。

陸橋の向こうの商店街に進みます。ここから守口まで、京街道は淀川から離れた内陸部を通ります。

この商店街(新京橋商店街)を歩くと、やっと旧街道らしさが出てきました。

こういう立派な案内板がありました。

大阪市は昭和の終わりから平成にかけて、このような地域文化の広報活動が盛んだったようで、その頃に整備された案内板は大阪市内(都島区・旭区)にところどころ置かれていますし、道標も多く立てられています。

また、道路に特殊なパターンで京街道であることを示しているところもありました。

路面の銘板表示です。

街道筋がそのまま商店街になって残っているのは新京橋商店街に次いで、旭区の千林商店街や守口市の土居商店街がありますが、いずれも商店街を横切る感じでした。

昼ご飯は旭区高殿にある鰻の「魚伊」が街道のすぐ横なので、久しぶりに入りました。12時50分でした。2時間歩き続けて少し疲れたので、いい休憩になりました。

午後2時15分には文禄堤らしい雰囲気が少し残っている守口に戻ってきました。

こういう道がしばらく続きます。旧街道らしいですね。

何年か前に模擬再建された高札場です。書かれている内容はマナーみたいなもので、面白くはありません。

こういう日本家屋が建っている狭い道路が旧街道の典型的風景と言えますね。

淀川の流路変更工事(明治の終わり)前までは、街道(文禄堤)の左側が淀川でした。文禄堤らしさが消える八島の交差点(国道1号線)が今日の終点です。江戸時代の高札場はここにありました。

ここを右に曲がると守口宿の陣屋跡や明治天皇の宿泊地などがありますが、今日の散歩はここまでです。今日の散歩は1万4千歩ほどで11キロちょっと、普段の淀川散歩の3倍強、昼食込みで3時間半でした。

この区間は都会に残った旧街道らしく、曲がりくねった道路脇にビルや住宅などが途切れることなく続いていて、楽しそうな外観の店もあり、退屈することはありません。でも、長距離散歩は1時間に1回は休憩が必要なようです。