京街道5:淀-伏見

2022年4月18日

淀川散歩の拡大版、京街道歩きも5回目になりました。
4月9日(土)12時、少し遅くなりましたが、京阪淀駅に到着しました。淀城跡を見学してから伏見に向かいます。

いつも京阪電車から眺めている淀城跡ですが、これまで訪ねたことはありませんでした。

競馬場と反対側の駅前には淀城シンボルの水車のモニュメントが置かれています。

本丸の石垣がほとんど残っていて、木々の茂る公園のようです。

絵図が置かれていました。元来はけっこう複雑な堀で囲まれていたのですね。現在は内堀が半回り残っているという状態です。

淀駅と反対側(桂川方面)から城跡を出ると、道路の向こうに水車跡の石標がありました。ここが上の絵図の一番手前あたりということになるようです。

さて、京街道歩きですが、淀から先はいくつか選択肢が出てきます。京街道を京に向かう街道として考えるか、東海道五十四次~五十七次の部分街道として考えるかの違いです。

この水車跡碑のある道路を少し進むと納所(のうそ)という交差点があり、そこから桂川に沿った千本通につながります。千本通はかつての朱雀大路であり、羅城門から洛中に入って北に行きます。この道は鳥羽街道(あるいは大坂街道、京街道)と呼ばれていて、大坂と京を結ぶ基本となる街道です。

一方、東海道として、京を避けて大津に進む場合は、京街道は伏見(東海道五十四次)に進みます。淀や伏見を京(広い京)とみなして京街道と呼ぶか、洛中を京(狭い京)とみなして京街道と呼ぶか、少々混乱します。今回は淀川散歩の拡大版として歩いていますので、淀川の三川合流地点の上流としては、淀川水系のメインストリームである宇治川沿いの伏見に進むことにしました。

ただ、グーグルのストビューで確認したら、淀から伏見への街道は現在、人家も歩道もない自動車道が長く続くようなので、納所から少し千本通を歩いて、伏見の手前で東海道に入ることにしました。

納所の六叉路交差点に来ました。明治22年測量の地図(三川合流工事の前)を見ると、このあたりに宇治川の本流が来ていて、桂川が加わったようですが、明治末の淀川改修工事(流路変更)で宇治川は淀の町の南側になって、町の様子は大きく変化しました。
千本通は行き先表示のない細い左斜めになります。

ここが千本通の始まりです。

曲がるとすぐに唐人雁木旧跡という説明板がありました。

納所は倉庫で、このあたりが宇治川舟運の荷物の集結地だったそうです。唐人は朝鮮通信使で、ここから上陸したという場所のようです。

しばらく歩けば、千本通は桂川の堤防下になり、堤防に上がると爽やかな初夏の雰囲気でした。

このあたりは三川合流地点から3.2kmだそうです。

桂川の左岸堤防を2キロほど歩いてから伏見に向かいます。午後1時過ぎになり、このあたりからとても暑くなってきました。途中のコンビニでマンゴー・アイスを食べて一息、休憩しました。

東海道に戻るためには通らなければならない国道1号線(京阪国道)を歩き始めると温度計がありました。LEDなのでうまく撮影できなかったのですが、28℃の表示でした。

宇治川の右岸堤防にたどり着きました。かつての巨椋池(おぐらいけ)が広大だったとわかります。こういう景色を見ながらの日陰の休憩(第二京阪道路の橋の下)が一番です。

有名な三栖(みす)の閘門に行くために東高瀬川を渡るのですが、人道橋が通行止めになっています。

遠回り(30分近く)をして対岸を戻ってきたら、人が通行止の橋を渡っていました。よく見たら、柵の隙間から入りこめば、”at your own risk”で渡れましたね。

おしゃれなデザインの三栖閘門は昭和初期の完成なので、東海道とは無関係の時代の産物ですが、淀川のライブカメラでいつも眺めているので、前々から見たいと思っていました。

大正時代の淀川改修増補工事で伏見の濠川と宇治川との水位差ができたので閘門を建設したようですが、1964年に天ヶ瀬ダムが完成してからはさらに4mくらい宇治川の水位が下がって、閘門も役に立たなくなり、舟運の需要も減って、閉鎖したままになったそうです。それでも、2010年に土木遺産に選奨されています。

内側の水門は開かれていて、濠川の水位で観光舟が出入りしています。

ここを見学してからは、濠川に沿って歩きます。伏見の城はすべて消えていますが、濠川は初代の指月城の堀だったそうです。伏見も秀吉の命によってかなりの治水工事が行われたようですね。

東海道の街道筋ではないようですが、寺田屋の前は通りました。

伏見の街は広く、しかも何度も来ているので、そのまま京阪伏見桃山駅に向かい、駅に近いうどん屋で今日もカレーうどんを食べて帰りました。

淀駅を降りて伏見桃山駅に着くまで約4時間、1万6千歩ほどで約11キロでした。今日は夏日で、太陽が厳しく、かなり疲れました。

京街道(東海道五十四次~五十七次)を5回に分けて、延べ56kmほど(周囲の見物を含む)歩いて、淀川筋の街道周辺の全体が見えたような気がします。京阪電鉄が京街道に沿った路線としたことがよくわかりました。現在、全体の半分は旧街道らしい雰囲気のある狭い道、1/4は淀川堤防(文禄堤)、1/4は交通量の多い広い道路、という印象でした。

10年前に八軒家から枚方までの観光舟旅をしましたが、両側の高い堤防と橋の裏を眺めるばかりで、退屈でした。せめて伏見まで舟で行けたら面白いと思っていましたが、三栖閘門での水位差を見て、それは無理だとわかりました。稼働が続いている大阪の毛馬閘門(2007年に土木遺産)は今後も存続維持してほしいですね。

いずれ、伏見から京へか、あるいは追分・大津へか、それともどこかの街道へ歩きに行くか、どうなるかわかりませんが、当面、これからの暑い夏は普段の短い淀川散歩も朝か夜になるでしょう。