仮名手本忠臣蔵

2019年4月30日

4月25日、4月文楽公演で仮名手本忠臣蔵の大序~四段目までを観てきました。

今年は文楽劇場35周年ということで、4月公演では四段目まで、夏休み特別公演では五段目から七段目まで、11月公演で八段目より最終の十一段目までという「通し狂言」となっています。一日で最終段までおこなう本来の通しではなく、変則で、公演の仕方として嬉しいとは思えませんし、忠臣蔵はあまり興味を持っていないし、どうしようかな、と思っていました。でも、文楽の勉強のつもりで観に行きましたら、それはやはり、とても勉強になりました。

4月6日が公演開始で、前日の5日にプレイベントがあり、桂南光の「蔵丁稚」と、南光の司会で、吉田和生、吉田玉男、豊竹咲太夫、鶴澤燕三のトークがありました。特に、四段目・塩谷判官切腹を担当する咲太夫と燕三の話題で、大名の切腹なので語りはなく、三味線も開放弦を時たま鳴らすだけがむずかしいというのが格好良さそうでした。

パンフレットとミニ床本です。

パンフレットの表紙には塩冶判官高定(えんやはんがんたかさだ)(浅野内匠頭)の紋(違い鷹の羽)、裏表紙は高武蔵守師直(こうのむさしのかみもろのう)(吉良上野介)の紋(五三桐)があしらわれています。

周知のあらすじは端折ります。大序(だいじょ=はじまり)では人形が並んでいますが、主遣いも黒頭巾の黒衣姿です。この演目では二段目まで黒衣姿で人形が遣われます。このような流れは初めてで、とても興味を持ちました。

人形遣いは元々は黒衣姿だったようで、主遣いが出遣い(顔を見せる)になってきたのは、観客が主遣いに興味を持ち、贔屓ないしは谷町が出てきたからだそうですね。魅力的な主遣いの顔を見たくなるのは当然で、最近ではほとんどの演目で出遣いになっています。

しかし、どうして二段目までが黒衣姿なのか、それがよくわかりませんでした。文楽劇場でうかがっても、「そうなっている」という答しか得られませんでした。大序は御簾内での語り・三味線なので、経験の浅い太夫と三味線という意味もあるようですが、今回は主遣いはプログラム上の配役だったそうです。

それほど昔ではない興業で何らかの事情があって、二段目までが黒衣姿になり、それが定着してしまったということなのでしょうか。本来の通し公演であれば長丁場なので、そういうこともありそうかな、と素人考えです。

全員が黒衣姿ということについて調べてみましたら、今回の二段目までという文脈ではありませんが、そもそも主遣いも黒衣姿が望ましいという意見があることを知りました。それは人形が主体となって動くためには人形遣いの顔が邪魔になるという理由のようです。

確かに、全員が黒衣姿の二段目までは人形だけを注視し、そして人形が大きく見えて、仕草を細かく見ながら、人形の動きに納得していました。黒衣姿という発明はとても効果的に人形を浮き上がらせます。

一方で、その後の三段目からは、自分自身が人形遣い(出遣い)の顔をかなり見ていることに気がつきました。特に高師直の主遣いである勘十郎がいかにも憎たらしい顔をしながら塩冶判官(吉田和生)に罵詈雑言を浴びせる姿は人形以上に迫力がありました。さらに、四段目から顔世(かほよ=塩谷判官の妻)を遣った吉田蓑助の無表情さと人形の細やかな動きは感動的と言えるものでした。とても出遣いをやめてほしいとは思えません。

ただ、本公演での出遣いは人間国宝を含む相当のベテランになるわけで、三人遣いの左手と足の担当はずっと黒衣姿です。そのことから、若手は常に黒衣姿だし、プログラムには担当者名は出ませんし、一人遣いも「大ぜい」とあるだけです。プログラムの後ろに紹介として顔写真と氏名は出ていますが、主遣いになるまでの10年(もっと)以上は配役に名前が入らないようです。

このあたりの事情も考慮して、全員が黒衣姿で演じてから、最後に顔見せで舞台挨拶をするという方法を提案する人もいるようです。若手の人形遣いも張り合いが出るような気がします。

そういえば、映画「最後の忠臣蔵」の中で江戸時代の設定で「曽根崎心中」が挿入されていましたが、お初(主遣いは、たぶん桐竹勘十郎)と徳兵衛の三人遣いはすべて黒衣になっていました。太夫(豊竹咲太夫)と三味線(竹澤宗助)のいい声と音色が響いていました。

忠臣蔵はそれほど食指が動かなかったのですが、いろいろと考えるきっかけとして勉強になりました。しかし、通しはやはり一日でやってほしいのですけど。