月ヶ瀬と海住山寺

2018年3月4日

3月4日、とても暖かく、淀川公園の梅は満開です。

河川敷では寛平マラソンが始まるようです。

そんな陽気なので、今日は昼から京都府唯一の村、相楽郡南山城村の道の駅「お茶の京都 みなみやましろ村」までのドライブを楽しみました。国道163号線をひたすら走ります。

木津川市で少し国道24号線と重複して木津川を渡りますが、それが面白い形のトラス橋でした。後ろに車がいなかったのでスピードを落として写真を撮りました。

あとで調べてみると、1951年に架けられた「泉大橋(いずみおおはし)」で、日本百名橋に選ばれています。その上流にはJR奈良線の区切りのないトラス橋が見えました。

木津川沿いの163号線に戻ってからも、雰囲気のあるトラス橋が続きました。

笠置町で見つけた関西本線木津川橋りょうは明治時代のもので、土木学会の選奨土木遺産になっていました。

このあたりはトラス橋ファンには有名な地域なのでしょうね。

快適なドライブが続き、1時間15分くらいで目的地の南山城村に到着しました。道の駅の駐車場は日曜ということで、ほぼ満車でした。横の予備駐車場に駐めました。さすが、茶の産地だけあって、前には茶畑があります。

ランチに特製カレーを食べて、いつも通り、道の駅での買い物を楽しみました。ここはあまり農産品を置いていないようですね。

近くに月ヶ瀬梅林があるのですが、日曜なので超満員かもしれないと思いつつ、行ってみることにしました。途中に一車線分しかない箇所もあり、なかなかの山道ドライブです。水を眺める場所の駐車場が空いていたので、ちょっと見物です。

現代的な下路アーチ橋がかかっています。梅はと言うと、手前の小さな木は咲いていましたが、他に梅の花らしき色はありません。

上の写真の赤い橋のところ(月ヶ瀬梅渓)まで降りていくと、「奈良市月ケ瀬梅の資料館」があり、前の駐車場はガラ空きです。休憩がてら、中に入りました。係の人にうかがうと、今年は例年になく開花が遅れている、とのことでした。駐車場がすべてガラ空きだった理由ですね。いただいたパンフレットには「梅まつり」が2月18日から3月一杯までとあります。

資料館では、月ヶ瀬で有名な烏梅(うばい)と、それを使う奈良晒(ならざらし)の説明展示がありました。梅の実を燻製して烏梅を作り、紅花などで麻を染める時の媒染剤(酸性液)として使う方法だそうです。烏梅って黒っぽい染料にするのかと思っていましたが、紅花の色を引き立てるためなのですね。

この資料館の周りも2本ほどが三分咲き程度ですが、他はすべて蕾のままです。

この蕾の雰囲気だと開花までしばらく待つ必要がありそうです。

梅林の散策もせず、これで戻ります。南山城村に戻る途中で、ナビが違う道を選んだので、それに従うと、名張川の「高山ダム」に行き着きました。月ヶ瀬梅渓を作っているダムです。

広い駐車場があったので、眺めてみました。

それほど迫力はありませんが、ダムの上を自動車がこちらに走ってきていました。ひょっとしたら、このダムは道路になっているのか、と思いつつ、クルマに戻って先に進むと、確かにダムの上を走ることになりました。ダムの手前に「対向車が来ていないか確かめて」とありましたが、その瞬間にダムの上になり、一車線しかない通路の両側は壁になっていて、先は見えません。

この写真は渡りきる直前です。左右の景色を眺めることができないようになっています。

さて、往路で木津川市のはずれくらいに見つけた海住山寺(かいじゅうせんじ)の「国宝・五重塔」という看板が気になっていました。大阪に戻ってからは「国宝」という言葉にとても魅力を感じます。帰路なので、寄ることにしました。

月ヶ瀬梅渓の往復よりも細い急勾配の参道を登りました。以前に野崎観音に登ったような道が山の中で続きました。対向車が来たらどうしようと考えつつ、登り切りました。

このあたりの平地は恭仁(くに)宮跡で、海住山寺も8世紀に良弁による創建と言われています。本堂(右)と国宝の五重塔(左)です。

本堂の中には重文の十一面観音立像があるそうですが、閉門直前なので遠慮しました。

五重塔は鎌倉期(1214年)建立だそうで、高さは17.7m、とても華奢な感じを受けました。下に裳階(もこし)が付いているからでしょうか。もう夕陽だったので、裏から撮りました。

本堂の横にある文殊堂も重文だそうです。

今日は近畿の山道ドライブを楽しんだ気分ですが、帰りの木津川市あたりから「けいはんな学研都市」を過ぎるまでは渋滞が続いて、ちょっと疲れました。でも、国道163号線は興味深い道です。

今日のお土産です。

後ろの梅の枝は、月ケ瀬梅の資料館で「お持ちください」と置かれていたので、いただいてきました。

背割堤と石清水八幡宮

2月20日、春らしい陽気に感じたので、昼過ぎから歩く場所を求めて、淀川の三川合流地点となっている背割堤(せわりてい)までドライブしました。京都府八幡市(やわたし)です。桜の季節にはクルマでは無理な場所です。

昼食をどこかで、と思いながら、沿道で入りたいような店のないまま、45分ほどで目的地である木津川の御幸橋(ごこうばし)に到着してしまいました。ここは京街道です。

去年の春にできた「さくらであい館」という観光施設がありましたが、食事の提供はありません。横に展望タワーがありました。

無料でタワーに上がることができます。歩いて上がってもよかったのですが、目の前にエレベーターがあったので、乗ってしまいました。高さは25mだそうで、展望室の上のほうは網で、風が吹き抜けて寒く感じましたが、いい眺めです。

タワーから眺めた下流の三川合流地点への方向です。中央が背割堤の桜並木で、左が木津川、右が宇治川です。25mの高さでも、灌木があるためか、右端の桂川の水面は見えないようです。

背割堤は男山と天王山に挟まれた山崎地峡に合流する三川を治水のために区分した仕切り堤防です。このあたりはいろいろと治水・水利の歴史があったようで、大昔は宇治川が巨椋池(おぐらいけ)を作っていて、秀吉が宇治川を伏見に回して後、淀城付近で三川が合流していたようです。明治に入って木津川も流路変更されましたが、明治末の淀川大改修で合流地点を下流に移動して背割堤ができました。その後も洪水が多いようで、淀川治水の重要ポイントなのでしょうね。

宇治川と木津川を仕切った背割堤は広く、元々は松並木とされたそうですが、松枯れしてから桜に植え替えられ、現在の桜の季節はとても賑わうようになりました。

普通のイメージは、この三川合流地点から下流が淀川ですね。グーグル地図でも川の名前はそのようになっています。でも、河川法による淀川は琵琶湖、瀬田川、宇治川も含むそうで、宇治川にかかる御幸橋も淀川となっています。三十石舟は伏見からですから、昔は伏見あたりから下流を淀川と呼んでいたのでしょうね。

宇治川と桂川(見えない)の向こう、京都市街地方向です。左の遠くに愛宕山、右端に比叡山が見えています。

木津川上流方向です。ちょうど京阪電車が橋を渡っていました。

背割堤を先まで歩くつもりでしたが、先ずは食事をと、クルマを置いて、京阪八幡市駅まで歩きました。10分ほどで京阪の踏切にやって来ました。男山の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)がすぐそこです。

駅前です。

鯖の棒寿司でもと思ったら改装工事中、せめて走井餅でもと思ったら今日は閉店でした。仕方がないので、近くの喫茶店ランチになりました。「はちまんさんのお参りですか?」と聞かれましたが、そういう呼び方は「すみよしさん」と同じですね。食事中に、今から背割堤に戻るより、ここも初めてなので、石清水八幡宮を見物することに決めました。

ケーブルカーもありましたが、大した高さではない(120mくらい)ので、表参道を歩いて登ります。参道のイラストマップです。

一ノ鳥居です。

しばらく歩くと、左手に木の太鼓橋が見えました。面白そうですが、これは帰りに寄ることにしました。

二ノ鳥居です。ここまではほぼ平坦でした。

二ノ鳥居を過ぎると登りが続きます。

だんだんきつくなってきて、汗ばみ出して、やっと、あそこを右に曲がれば、たぶん、平坦になるだろうという場所に到着です。

曲がると、三ノ鳥居になりました。

一ノ鳥居から三ノ鳥居まで、ちょうど20分でした。ここからは石灯籠が続きます。

入口となる南総門の手前左に降りる道があって、広い場所に茶店とモニュメントがあります。ここはケーブルカーの男山山上駅からのルートのようです。

その奥にエジソン記念碑がありました。このあたりの竹を使って電球のフィラメントを作ったという、小学校で習った話題ですね。

記念碑敷地の端っこに猫がいました。右耳の先を切った地域猫のようですが、山の中なので、茶店あたりの人が餌をやっているのでしょうか。

元に戻って、南総門です。奥に本殿が見えています。

国宝の本殿楼門です。平等院鳳凰堂を連想しました。

本殿側から見た南総門です。

国宝の本殿を取り囲んで、多くの建物が重要文化財になっているようで、人が少なかったこともあり、落ち着いた雰囲気でした。

本殿をぐるっと回って、帰り道は裏参道を選びました。途中にケーブルカーの駅に別れる道がありましたが、もちろん、歩いて降ります。

裏参道沿いには多くの史跡があります。石清水という名前から、どこかに清水が湧き出している場所があるのだろうな、と思っていたら、ありました。本殿よりかなり下ですが、石清水社です。

説明には、この社では現在も水が湧き出ているそうで、水が溜められていました。

明治初期まで石清水八幡宮(護国寺)は神仏混淆の地だったわけですから、多くの仏塔や宿坊があったものの、廃仏毀釈によって、それらがほとんど消されています。今は少し平坦な土地のみになっている坊跡が多いですね。

そのうち、特に有名な松花堂の庵跡がありました。この泉坊の奥にあったようです。

松花堂弁当は昭和になってからの創作だそうですが、八幡市立松花堂庭園・美術館が少し南のほうにあるようです。

少し下で表参道と合流して、下に小さな社があったので、ここから参道を離れて、下に降りました。

この社(三條小鍛治相槌神社)は東高野街道に面しているのですね。歴史は古いらしく、名前のように、刀剣鍛造の神様のようです。関係があるのかどうかわかりませんが、三條小鍛治は奈良にも京都にも関係があるようですね。

ここから先は旧街道らしい家並みです。

奈良街道の案内がありました。

そして、往き道で見つけた木橋に到着です。安居橋(あんごばし)という名前で、典型的な撮影スポットの雰囲気です。

橋を渡ったところに川原に降りる階段があり、遊歩道が続いているので、降りてみました。そこで見つけた光景です。

なんと、木橋と思えた安居橋の裏は鉄骨で、コンクリートの橋脚に乗っていました。これはこれで悪くないアイディアだとは思いますが、どれくらいの人が裏を知っているのかに興味を持ちました。

もう4時を過ぎていて、クルマを置いてきた「さくらであい館」は5時で閉館なので、トットトットと戻りました。木津川にかかる御幸橋から眺めた京阪電車は夕陽の中を走っています。

クルマに戻ったら4時半で、係員が展望塔の入口を施錠していました。

クルマに乗り込んでから、男山から三川合流地点を見なかったことに気がつきました。ケーブルカーの山上駅のほうに男山展望台があったそうで、少し残念でした。帰路は眩しい夕陽に向かい、枚方市駅近くがいつもの混雑で、1時間以上かかりました。

 

狭山池

2018年2月12日

2月11日、今日も午後からドライブで、大阪狭山市にある狭山池を訪ねてみました。一般道で1時間ちょっとです。昔は狭山遊園がありましたね。

太陽は出ていましたが、土手に上がると風が強く、とても寒く感じました。金剛山、葛城山、PLタワーがよく見えています。写真の左側に狭山池博物館があります。

次の写真は博物館近くの土手から南、西除川(にしよけがわ)上流方向の眺望です。狭山池は日本最古のダム式ため池で、大和川水系の西除川(天野川)を堰き止めています。このあたりは羽曳野丘陵と陶器山丘陵に挟まれていて、ダムの場所として適当だったのですね。陶器山丘陵と呼ばれるだけあって、須恵器が多く出土しているそうです。

現在の土手の周囲は2,850mあるそうです。休日なので、ジョギングを楽しんでいる人はけっこういましたが、この日の土手は殺風景な雰囲気でした。でも、桜並木になっていますので、4月頃は華やかになるのでしょう。

1982年に狭山池下流で豪雨災害があったことから、洪水調節機能を持ったダム化を計画して、1988年から平成の大改修が始まり、工事終了に合わせた2001年に大阪府立狭山池博物館が安藤忠雄の設計で建てられました。博物館の方角(北)が狭山池による灌漑(ならびに治水)の対象地域になっています。

ここが博物館の入口ですが、安藤忠雄の設計らしく、受付のある内部までは、エレベーターに乗って降りて、階段かスロープを上がってと、かなりあります。入館は無料でした。

入口の横には、昔の樋が置かれていました。

奥に進む途中には水が多く配置されていました。隅っこに小さく二上山が見えています。

受付ロビーの背後に、土手を切り取った断面(樹脂で固めて剥がしたのでしょうね)が目を引きます。飛鳥時代の造築以来、天平から平成までの改修工事の跡が地層になっています。これが最初の展示物です。

狭山池博物館では、狭山池は推古天皇時代(7世紀)に作られたとされていますが、これは1988年からの改修工事で出てきた東樋の木材の年代測定で616年の伐採とされたからのようですね。ネットで見つけた1984年の論文(湯川清光 「創設時の狭山池」 農業土木学会誌 Vol.52 )を読むと、4世紀頃に作られたのではないかと書かれていました。いずれにせよ、この地域では重要な施設だったようで、何度も大きな改修工事が行われてきています。

江戸時代の木製の東樋です。

その先の端には飛鳥時代の東樋が置かれています。

手前は石製の樋です。

土手の木製の補強骨組みです。

大正から昭和にかけての改修で設けられた取水塔が室内装飾になっていました。中に入ることはできません。

一番楽しかったのは、先週の竹内街道歴史資料館と同様に、点灯式のジオラマでした。巨大な寝室に置かれたベッドみたいです。

このジオラマには3つの時代のボタンがあって、狭山池からの灌漑範囲が点灯していきます。画面の一番手前が狭山池で、北のほうに流れて行き、各地のため池を潤して、当時はなかった大和川(1704年流路変更)の位置を越えていっています。

大仙陵古墳の水もここから入っているのですね。

このジオラマには、大和川の付け替え部分も作られていました。次の写真で、左下から上に行く川が付け替えられた大和川(左から入っているのは石川)、右側に水の無い川の形が旧大和川です。ちょうど、先週撮影した柏原市役所の前あたりです。

西側の無料駐車場の下に小さな池(副池)があります。大正・昭和の改修で作られたそうです。狭山池の東西にある余水吐(よすいばき)の一つ、西除川が出て行くところですね。このあたり昔は決壊が多かったそうですが、今は雰囲気のいい、池の公園になっています。

大阪に戻ってから、主にドライブ散歩で大阪周辺を巡っていますが、今回の散歩で、古代大阪の全体的なイメージが見えてきたような気がします。難波宮から堺、近つ飛鳥、狭山池、平城宮という範囲、そして淀川の歴史など、古事記や日本書紀に出てくる土地を眺めていると、河内湖(草香江)が淀川と大和川の流入で淡水化した周辺には古代の生活と文化が多くあったのですね。子どもの頃から淀川・大和川の下流を見慣れた風景として眺めていましたが、数百年前までは、そこには淀川・大和川はなかったのだと知ることはとても新鮮な気分です。

竹内街道、ちょっとだけ

2018年2月4日

2月3日節分です。最近はクルマに乗る回数が少なく、寒い時期は自然放電によるバッテリー消耗が気になるので、近場のドライブで竹内街道(たけのうちかいどう)を眺めてくることにしました。

前回は奈良町と平城宮跡を訪ねましたが、それより古い飛鳥時代です。竹内街道は堺から飛鳥をむすぶ、もっとも古い官道(大道)とほぼ同じところだそうです。春になったら、河内の歴史に詳しい友人の案内で二上山を歩く予定なので、ちょっとだけ、予習のつもりです。

いつものように、昼食後の出発で、予報とは違って雨が降りそうな曇り空です。一般道をゆっくり走り、柏原市を通って、山道を太子町に向かいます。途中、柏原市役所が大和川に面しているあたりで撮った写真です。

左端が柏原市役所で、大和川の流路変更地点あたりです。昔の大和川はこのあたりから北(左)に流れ、淀川と一緒に河内湖(草香江)を作ったそうですね。水害が多かったようで、1704年に付け替え工事があって、ここから堺に向かい、大阪湾に直行することになりました。大和川の歴史も興味深いものがあります。二上山が近くに見えています。

古くて小さな道の駅「近つ飛鳥の里・太子」が今日のゴールです。1時間半ほどで到着しました。入口に二上山のモニュメントがありました。ポツポツと雨が降り出しています。

「近つ飛鳥」は古事記に記載があるそうですね。難波津からの位置づけで、現在の羽曳野市飛鳥あたり、「遠つ飛鳥」は奈良の明日香村飛鳥あたりを指すそうで、竹内街道のルートです。

道の駅で買い物をして、クルマにお土産を入れて、裏に向かいました。モダンな橋の先に、竹内街道歴史資料館があります。

舗装は現代的ですが、昔からの竹内街道です。雨が降り出したので、滑らなくて快適です。

太子町では下水のマンホールに十七条憲法の初めが入っています。

竹内街道歴史資料館に到着しました。

入場料は大人200円でした。小さな2つの展示室があって、古墳時代以前からの資料が展示されていました。年表です。

このあたりは硬いサヌカイト(讃岐岩)の産地で、太古から石器のために採集されていたようです。

この地域周辺の立体地理模型(ジオラマ)があり、地名などのボタンを押すとランプが点灯して、とてもわかりやすいものでした。古墳のボタンを押すと、この模型全体にランプが散らばりました。この写真は竹内街道のランプが点いているところです。

この近辺の観光図ですが、雨が降っていたので、資料として眺めるだけになりました。

太子町にある九流谷古墳(五世紀)から出土した鶏の埴輪(複製)です。造形がなかなかのものです。

聖徳太子の墳墓構造が展示されていました。

かなり前に知人から教えてもらった「〈聖徳太子〉の誕生」(大山誠一 吉川弘文館 1999)を読んで、「聖徳太子は実在したか?」という疑問が提起されていました。厩戸皇子は実在としても、聖徳太子は虚構であろうという話題です。でも、歴史資料の軽重を何も知らないからでしょうが、その本で展開されていた論証のスタイルにはあまり納得できませんでした。聖徳太子については昔からいろいろと議論されているそうですね。

帰りは高速を乗り継いだら、45分で帰宅できました。奈良と同じくらいでした。
今日のお土産です。

右2本は飛鳥ワイン(羽曳野市飛鳥)のメルローとデラウェアです。100%自社農園産となっているので買ってみました。でも、ここのワインには収穫年が入っていないのですね。さっそく、「早摘みデラウェア」を飲んでみました。デラウェアのワインは初めてでしたが、アルコール度数は低く(9%)、爽やかな香りと、早摘みなのにねっとりとした糖度の高さが特徴です。果汁で糖度を調整(ジュース・リザーブ)しているのでしょうか。デザートワインとしてはいいように思えました。その後にメルローを飲みましたが、こちらはちょっと・・・。

クルマのバッテリーは帰宅までアイドリング・ストップ機能が働かず、充電は少し不足気味です。また近いうちにドライブが必要です。

奈良町と平城宮跡

1月29日、風はあっても寒さが落ち着いたので、久しぶりのドライブです。昼過ぎに出発して、奈良町(ならまち)にある、知り合いのカレー&コーヒー・ショップに初めて行きました。

第二阪奈有料道路を使いました。これから生駒山の下を通り抜ける阪奈トンネルに入るところです。

45分のドライブで奈良ホテル横の駐車場に到着しました。到着手前で猿沢池の横を通りましたが、柳が枯れて苗木を植え直しているそうで、風情復活はいつになるかわからないようです。駐車場にクルマを置いて、十輪院畑町まで歩きました。初めての奈良町散策です。

途中に石標がありました。新しいもののようですが、古い雰囲気を出しています。鬼瓦を模した飾りを貼り付けているようです。

石標に彫られた元興寺(がんごうじ)の前を通りました。

このあたり一帯には古くて整備された家が多く残っています。

そこから先は狭い路地を左右に進むと、目的地「香炉里 (こるり)」に到着です。

昨年のシルクスクリーン展「SILX’17」リーダーの和田氏の小品展で、今日が最終日です。

これまでの作品を小さくして、モノトーンで統一しています。知っている作品、知らない作品がありました。新しい和田ワールドですね。

店の片隅にはオーナーのI氏が作ったジオラマが置かれています。I氏とは昨年のSILX’17でお会いして、鉄道模型の話題で盛り上がっていました。

I氏のメイン・ターゲットはバスだそうで、バスが走る風景のジオラマを作って、写真を撮ったら、ジオラマを片付けて、次のジオラマを考える、という思い切ったスタンスです。ジオラマは基本的に一晩の命だそうで、ここに置かれているのは、参考のために残しているものだそうです。

ジオラマの写真は「こるり通信」という小冊子の表紙になっています。これまで発行されたものをいただきました。

おいしいカレーとコーヒーをいただいてから、奈良町を散歩しました。すぐ近くの酒造「春鹿」のショップを見学していて、先ほどのカレーのトッピングで選んだ豚肉の粕漬けに使ったという酒粕を見つけました。香ばしくてなかなか味わい深いものでした。

春鹿の前の道を進んで、「奈良にピラミッドがある」とI氏に教えてもらった「頭塔(ずとう)」を眺めに行きました。ピラミッドのように立体的なインド風の仏塔だそうですが、パンフレットに掲載された上からの写真を見ると、これは曼荼羅の元来の姿なのでしょうね。

ホテルの横から眺めただけですが、次の辻を曲がると別の入口がありました。

雰囲気はわかったので、奈良町の中心に戻りました。月曜日ということで、いろんな施設は閉まっていましたが、町屋を改造した店も多く、魅力的な街ですね。和菓子の店で豆大福と桜餅を買いました。まだ3時過ぎなので、来る途中で眺めた平城宮跡を見に行くことに決めて、駐車場に戻る途中で、奈良地方気象台の和風装飾の建物を見つけました。

2017年3月に移転してきたそうですが、奈良町の中に置くことに気を遣っているのでしょうね。建物の側面は普通の白いビルです。なかなかの好感度でした。

平城宮跡に出発する段階で、グーグル検索で出てきた「朱雀門」の電話番号をナビに入れて目的地を設定したら、来る途中で眺めた朱雀門とはかなり離れた北のほうに走ることになりました。下調べをしていなかったので、一体どこに到着したのかよくわかりませんでした。あらためて、ネット検索をしてみると、朱雀門あたりの駐車場は2年前から工事で閉鎖されているそうです。

到着したのは平城宮跡の東北にある平城宮跡遺構展示館という場所でした。無料駐車場があり、入口のブースの人に聞くと、今日は休館日でした。5時までは駐車場やトイレが使えるとのことで、まだ4時前なので、少し奥に入った宇奈多理坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)近くの駐車場にクルマを置いて、復元された建部門のあたりを歩いたら、遠く近鉄の向こうに朱雀門が見えました。

歩いて行くことにしました。遠いようでしたが、10分そこそこでした。
朱雀門です。

確かに、駐車場だったような広い場所は自動車乗り入れ禁止になっています。
1998年に復元されて、何度か近鉄の車内から眺めた記憶はありますが、現地に来たのは初めてです。

すばらしい建物ですが、周りには短い塀しかないのはさみしいですね。これからも工事が続いていくのでしょう、と思いながら、北のほうを眺めると、近鉄の向こうに別の建物が見えています。

大極殿の復元というのを聞いたことを思い出しました。第一次大極殿の復元は2010年の完成です。ここまで歩いたので、あそこまで行くしかない、と歩きました。

到着しました。

これはまた大きく立派な建物です。朱雀門と南北に対峙しています。

横に四天王の大きな飾り物が置かれていました。

作業をしている人にうかがうと、昨日まで(1月26日~28日)「奈良大立山まつり」が行われていて、解体作業をしているとのことでした。帰宅してから、去年の動画を観ると、なかなか楽しそうな催しのようです。ここからは、とっとと歩いて、クルマまで戻り、駐車場を出たのは4時50分でした。

平城宮跡は現時点では数カ所の復元工事が終わった段階で、敷地はまだまだ広大な野原です。朱雀門(左端)から大極殿(右端)までをパノラマにしてみました。

延べ6時間足らずのドライブ散歩で、初めての場所ばかりを歩くことができました。平城宮跡はこれから何年もかけて平城宮跡歴史公園として整備されるそうで、いずこもまた歩いてみたいところでした。

 

淀川:ヌートリア?

1月25日、寒波襲来で、今朝9時の気温は0~1度ですが、快晴です。
淀川堤防手前の公園の梅が咲き始めています。寒くても春は近い雰囲気です。

遠景がよく見えます。

川岸にあるワンドの釣り場に行くと、周辺は薄く氷が張っています。
本流から何かが泳いで入ってきました。

水鳥ではなく、小さなカメラで精一杯のズームをすると、カピバラのように見えますが、ヌートリアでしょうね。

氷が張ったあたりで止まって、その後は引き返していきました。

寒くても野生動物はしっかり生活していますね。
パスカルも寒いほうが元気よく、いつものジャンプです。

途中に落ちていたフリスビーが気に入ったようですが、慣れていないので、投げてやっても、落ちてくるまで気がつきません。落ちてから飛びかかっていました。2回ほど遊ばせてもらいました。

帰宅して、玄関横でパスカルの足を洗っていたら、水を入れたままの如雨露に氷が張っていました。2cm近くの厚さでした。

冬の午前中の日課、日向ぼっこです。

気温は1度ですが、太陽の力はすごいもので、すぐに眠くなったようです。

 

淀川:2018 正月

2018年になりました。今年も元旦は快晴です。

下流から上流までの眺望をパノラマ風に合成してみましたが、3枚では無理がありますね。

今年もパスカルは元気に走って

ジャンプを楽しんでいます。

帰宅して、2階のベランダで日向ぼっこです。

トコは丸くなって寝ています。

 

1月2日、今日も快晴です。
今日のパノラマ写真は5枚で構成してみました。

パスカルも快調で、昨日とほとんど変わりません。

 

1月3日、雨が振りそうで、空は雲だらけでした。

それでもパスカルは快調です。

そろそろ帰ろうかと思った頃には青空が拡がってきました。

今年の三が日の淀川は人が少なく、凧揚げも見ず、正月らしい風景はありませんでした。でも、とても穏やかでした。

 

京都・梅染展

2017年12月20日

知恩院の和順会館で冬の梅染(うめぞめ)展が12月20日まで開かれていました。10年ほど前から始まって、これまで時々寄っています。梅を使った友禅染め作家の山本 晃さんの作品展で、山本さんに弟子入りした?友人も出品していて、会場で説明してもらえるので、19日に同窓の友人と3人で鑑賞してきました。

久しぶりの阪急京都線から眺めた淀川です。いつもと逆向きの淀川風景です。

河原町から四条通を歩き、八坂神社を通り抜けましたが、ずっと人波が続き、ほとんどが外国人観光客のようでした。知恩院あたりは静かでした。知恩院には宮崎友禅を記念した友禅苑があります。

山本さんはブログをなさっていますし、梅染展の紹介は和順会館のブログにありますので、紹介は省略しますが、梅、特に紅梅を使って染めた、ほのかで上品な色合いが魅力的です。山本さんに話をうかがうと、梅の枝から出る樹液で梅色を出すだけではなく、藍や鉄による染めのコーティングにも梅を使っているそうです。

自然素材なので、樹液を取る梅の木によって、また時期によって色は変わり、同じ出来上がりを再生産するのはむずかしく、一点ものにならざるを得ないそうです。それでも、データを収集整理して、誰でも同じような作品を制作できる環境を作っていきたいとおっしゃっていました。

その背景には、静岡県伊東市にある児童福祉・障害福祉事業所が昨年から始めた「梅染工房ひかり」による「梅染プロジェクト」があります。山本さんの指導で梅染作品を制作販売していて、「梅染工房ひかり」の作品も展示されていました。

さて、友人の作品の素材は和紙布か絹で、梅を含めた草木染めです。素材製作はすべて仲間との協同作業のようです。なかなかエレガントな雰囲気です。

次は藍染した糸の手編みレースを襟に使っています。

次の写真で、上に掛けてある藍染の帽子が気に入りましたが、彼が作ったものではありません。

シャツやブラウスは和紙布の草木染めのようです。

これは梅染めと合わせていたものだったかな?

ゆっくり眺めて、山本さんにじっくり話をうかがった後は、4人で鴨川近くまでぶらっと歩いて、観光客はあまり知らない、混み合った居酒屋に入って乾杯となりました。

2024年4月4日追記
山本晃氏は2024年1月に逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。

淀川:淀川市民マラソン2017

11月4日、第21回淀川市民マラソン前日の朝です。昨日は淡路島にいたので、淀川散歩をしなかったのですが、昨日のうちに会場準備がほぼ終わっていました。

搬入が続いているようです。

スタート/ゴールの設営がほぼ終わるところです。

芝生には店舗のテントが並んでいます。今日はイベントがあるようで、スポーツ衣料品などを並べる作業が続いていました。

軽食提供の店舗も準備されていました。

運動は十分できました。

11月5日、第21回淀川市民マラソン当日の朝8時半です。
昨年まではマラソンが終わってからの散歩にしていましたが、今年はスタート前に散歩に来てみました。堤防に着く前から人が多く歩いていました。堤防に上がると、河川敷は人がいっぱいです。

堤防斜面しか散歩できない状態です。

参加枠はフルマラソン、ハーフマラソンともに7千人だそうで、スタート直前なので、河川敷には1万人以上が集まっているのでしょう。普段は数人くらいが多いので、時々賑やかになるのは大歓迎です。天気もいいし、気温もいいし、風もないし、マラソンにはぴったりなのでしょうね。

犬の散歩としては、堤防斜面を歩きながら、人が比較的少ない上流を目指しました。少し離れたところで、パスカルも走ることができました。

いつものロー・ジャンプの場所へ向かってみましたが、人が多くなって、途中で引き返しました。テニス・コートは手荷物預かりとなっているようです。

最後に、スタート地点を眺めておきました。9時がハーフのスタート、9時40分がフルのスタートだそうです。

帰宅して、パスカルの足を洗っていたら、スタートの合図でしょうか、花火の音が聞こえてきました。

翌11月6日の朝、9時過ぎです。片付けが進められていました。

テントなどが片付けられつつあります。

誰かの靴が片方だけ忘れられています。

スタート/ゴール地点の計時装置がまだ動いています。

ハーフマラソンのスタートから24:34:03、フルマラソンのスタートから23:54:03となっていました。

 

句会 渦潮 人形座

大阪に戻って以来、俳句をやっている友人からメールでよく俳句が送られてきて、感心しながら、時々自分勝手な駄句を送り返していたら、11月2日(十三夜の翌日)、淡路島の福良で一泊の吟行・句会を開くから来ないかという誘いがあり、句会ってどんなものかを知りたくて参加させてもらいました。

三宮でみなさん(総勢7人)と待ち合わせて、福良行きのバスに乗りました。去年の12月に渦潮を観に行ったのと同じコースを通りました。

明石海峡大橋を渡る直前にバス停がありました。

去年と違ってとっても天気が良く、陽射しが強い中、正午には福良に到着しました。福良の港は50年ぶりです。当時の風景の記憶はありませんが、きれいな観光港になっていて、バス・ターミナルの横に淡路人形座の面白いデザインの建物ができています。

港に接して「道の駅」がありますが、この建物だけが少々古い風情で、食堂での昼食はさみしい感じでした。でも、屋上は写真を撮るのに一番の場所でした。食後に、去年も寄った人気の道の駅「うずしお」への無料シャトルバスが出ていることに気がついて、ちょっと残念でした。

福良港からは大型の渦潮観光船が出ています。去年、大鳴門橋から眺めた船でした。咸臨丸と日本丸という帆船を模した観光船です。咸臨丸が戻ってきました。

港の風景を眺めていて、迎えの車が来たので、早々に宿に入りました。宿は50年前に泊まったことのある休暇村です。夕食まで時間があったので、なつかしい裏山歩きで思い切り汗をかき、宿の露天風呂から大鳴門橋を眺めるのは爽快でした。

句会は明日、朝食後と決まり、各自5句を提出するようにと指示がありました。さて、どうすりゃ作ることができるか、まあ、思いつくまま言葉を並べるしかありません。

宿からは夕陽・夕焼けと十三夜(本当は十四夜)がよく見えました。大鳴門橋方面に日が沈み、夕焼けの中、飛行機雲がきれいに延び上がってきました。

夜は酔っ払いながらも、十三夜という季語について、いろいろと教えてもらい、スマホに句を書き入れて明日に備えつつ、テレビで日本シリーズを観ていました。

さて、朝食後の句会はなかなか興味深いものでした。
用意した5句を短冊に書き込み、それを集めて7人にランダムに配り、手元に届いた(自分の句も入る可能性があります)句を大きく紙に清書「清記(せいき)と呼ぶそうです」して、これをみなさんに回します。清記が回ってきたら、自分のメモ用紙にすべてを書き留めていきます。久しぶりの筆記で疲れました。

そのメモに書いたすべての句のうち、自分が面白いと思った句を選びます。選句だそうで、今回は各自5句を選ぶことになりました。それを順番にみなさんに披露するわけですが、披露した段階で、選ばれた句の作者が名乗りを上げることになります。

自分の句が選ばれるとは思っていなかったのですが、数人から3つほど選んでいただいて光栄でした。どうも叙情的な句しかできないのは未熟さの現れなのでしょう。さすがに友人はすべての句が複数の人に選ばれていたようです。先生がやさしく解説してくださったので、楽しく朝の時間が過ぎていきました。

10時半には宿を出て、福良港に戻ってきました。そのままバスに乗るか、どうしましょうか、渦潮を観に行くか、人形座に行くか、という話から、両方行きましょう、ということになりました。

先ずは、咸臨丸に乗って渦潮を眺めました。昨年は橋の上から眺めた渦潮ですが、今回は橋を見上げながら渦潮見物です。この日は満月で特に流れが強いようです。

橋から見下ろしているとわからなかったのですが、瀬戸内海(右側)の海水面が高く、段差が見えて、水が流れ落ちている様子がよく見えました。しかし、なぜあんなところに海水の段差ができるんでしょうね。

渦の近くに来て、動画を撮りました。音が出ます。

帰路の風景です。

姉妹船の日本丸とすれ違いました。去年、大鳴門橋から眺めた船です。

福良港の小さな食堂で海産物のてんぷらなどで昼食となりました。食後、30分ほど足湯に入り、13:30開始の淡路人形座に入りました。

建物の2階は奥行きのない、横に広い劇場になっています。後方に人形などの展示がありました。

今月の演目は近松半二の有名な「傾城阿波の鳴門」の「巡礼歌の段」のみです。一ヵ月間、同じ演目で一日4回の公演が繰り返されているようです。上演前に人形の操り方の説明がありました。人形遣いは全員黒衣です。

室町期からの歴史があるという淡路島の人形座ですが、この劇場での普段の観客はほとんどが観光客のようですから、こういう興業の仕方になるでしょうね。面白かったのは、終演後に、この時期の特別公開で、淡路人形座で有名な襖絵が次々と開かれていく、奥行きを見せる舞台装置でした。

ということで、初めての句会も終わりました。吟行と言うより、物見遊山会になって、楽しいものでした。普段の句会にも参加するように誘われましたが、さて、どうしようかな。