久しぶりの文楽劇場

2025年9月19日

9月17日、5年ぶりに文楽劇場に行きました。2020年1月に国立文楽劇場開場三十五周年記念初春文楽公演を観に行って以来です。

今回は大阪・関西万博開催記念の爽秋文楽特別公演ということで、「心中天の網島」、「曾根崎心中」、「恋女房染分手綱・日高川入相花王」の三部立てです。

普通の選択なら「天の網島」なのですが、心中物はちょっとしんどい気分だったし、久しぶりに桐竹勘十郎さんの人形遣い(恋女房染分手綱)を観たいし、日高川で使われる清姫のガブ(首のカラクリで美女から妖怪に変わる)の演出を観てみたい、という二つの理由から、「恋女房染分手綱・日高川入相花王」を選びました。

万博開催記念ということで、文楽開演前に20分ほどの英語による文楽の解説映画がありましたが、劇場に英語ネイティブらしい外国人の姿は見かけませんでしたし、解説は英語(日本語字幕)のみでした。PR不足かな?

「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」は初めて観る演目でした。近松門左衛門の原作だそうです。近畿の大名の姫(12歳)が江戸へ嫁がされる話で、嫌がる姫を道中双六で楽しませて東下りを喜ばせるのですが、その双六を持っていたのが子供(数えで11歳)の馬方です。実はその子供は、姫の乳母である重の井が産んだ与之助でした。

重の井は与之助をあきらめて、馬子に戻らせ、自分は姫の東下りに伴って別れる、という、まあ、現代では考えられない筋書きです。それに、人形浄瑠璃で大名や貴族を扱うのは無理な世界なので、こういう演目は、たとえ古典とは言え、魅力的とは思えないし、客席も5割程度の入りでした。
ただ、久しぶりに観た桐竹勘十郎さんは落ち着いた人形遣いで、申し分なしでした。

「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」は道成寺伝説の浄瑠璃版で、「道成寺現在蛇鱗(どうじょうじげんざいうろこ)」との相違点なども興味深いのですが、「渡し場の段」のみなので、清姫のガブがうまく使われていると感心しているのみでした。

この清姫のガブ(カラクリのガブ)の仕掛けは昔(1960年代)、「ひょっこりひょうたん島」で魔女ルナに使われたのを覚えています。テレビで初めて見た時はびっくり仰天でした。文楽人形にルーツがあったと知ったのはずっと後でした。

今回の演目は、やはり「心中天の網島」を観ておきたいなと思わせる内容でしたが、夏バテで、あらためて世話物を観に行く元気はなく、5年ぶりの文楽劇場をそれなりに楽しめたという感想でした。加えて、今後、現代にも通用する人形浄瑠璃作品の新作を望みたい気持ちが強くなりました。

仮名手本忠臣蔵

2019年4月30日

4月25日、4月文楽公演で仮名手本忠臣蔵の大序~四段目までを観てきました。

今年は文楽劇場35周年ということで、4月公演では四段目まで、夏休み特別公演では五段目から七段目まで、11月公演で八段目より最終の十一段目までという「通し狂言」となっています。一日で最終段までおこなう本来の通しではなく、変則で、公演の仕方として嬉しいとは思えませんし、忠臣蔵はあまり興味を持っていないし、どうしようかな、と思っていました。でも、文楽の勉強のつもりで観に行きましたら、それはやはり、とても勉強になりました。

4月6日が公演開始で、前日の5日にプレイベントがあり、桂南光の「蔵丁稚」と、南光の司会で、吉田和生、吉田玉男、豊竹咲太夫、鶴澤燕三のトークがありました。特に、四段目・塩谷判官切腹を担当する咲太夫と燕三の話題で、大名の切腹なので語りはなく、三味線も開放弦を時たま鳴らすだけがむずかしいというのが格好良さそうでした。

パンフレットとミニ床本です。

パンフレットの表紙には塩冶判官高定(えんやはんがんたかさだ)(浅野内匠頭)の紋(違い鷹の羽)、裏表紙は高武蔵守師直(こうのむさしのかみもろのう)(吉良上野介)の紋(五三桐)があしらわれています。

周知のあらすじは端折ります。大序(だいじょ=はじまり)では人形が並んでいますが、主遣いも黒頭巾の黒衣姿です。この演目では二段目まで黒衣姿で人形が遣われます。このような流れは初めてで、とても興味を持ちました。

人形遣いは元々は黒衣姿だったようで、主遣いが出遣い(顔を見せる)になってきたのは、観客が主遣いに興味を持ち、贔屓ないしは谷町が出てきたからだそうですね。魅力的な主遣いの顔を見たくなるのは当然で、最近ではほとんどの演目で出遣いになっています。

しかし、どうして二段目までが黒衣姿なのか、それがよくわかりませんでした。文楽劇場でうかがっても、「そうなっている」という答しか得られませんでした。大序は御簾内での語り・三味線なので、経験の浅い太夫と三味線という意味もあるようですが、今回は主遣いはプログラム上の配役だったそうです。

それほど昔ではない興業で何らかの事情があって、二段目までが黒衣姿になり、それが定着してしまったということなのでしょうか。本来の通し公演であれば長丁場なので、そういうこともありそうかな、と素人考えです。

全員が黒衣姿ということについて調べてみましたら、今回の二段目までという文脈ではありませんが、そもそも主遣いも黒衣姿が望ましいという意見があることを知りました。それは人形が主体となって動くためには人形遣いの顔が邪魔になるという理由のようです。

確かに、全員が黒衣姿の二段目までは人形だけを注視し、そして人形が大きく見えて、仕草を細かく見ながら、人形の動きに納得していました。黒衣姿という発明はとても効果的に人形を浮き上がらせます。

一方で、その後の三段目からは、自分自身が人形遣い(出遣い)の顔をかなり見ていることに気がつきました。特に高師直の主遣いである勘十郎がいかにも憎たらしい顔をしながら塩冶判官(吉田和生)に罵詈雑言を浴びせる姿は人形以上に迫力がありました。さらに、四段目から顔世(かほよ=塩谷判官の妻)を遣った吉田蓑助の無表情さと人形の細やかな動きは感動的と言えるものでした。とても出遣いをやめてほしいとは思えません。

ただ、本公演での出遣いは人間国宝を含む相当のベテランになるわけで、三人遣いの左手と足の担当はずっと黒衣姿です。そのことから、若手は常に黒衣姿だし、プログラムには担当者名は出ませんし、一人遣いも「大ぜい」とあるだけです。プログラムの後ろに紹介として顔写真と氏名は出ていますが、主遣いになるまでの10年(もっと)以上は配役に名前が入らないようです。

このあたりの事情も考慮して、全員が黒衣姿で演じてから、最後に顔見せで舞台挨拶をするという方法を提案する人もいるようです。若手の人形遣いも張り合いが出るような気がします。

そういえば、映画「最後の忠臣蔵」の中で江戸時代の設定で「曽根崎心中」が挿入されていましたが、お初(主遣いは、たぶん桐竹勘十郎)と徳兵衛の三人遣いはすべて黒衣になっていました。太夫(豊竹咲太夫)と三味線(竹澤宗助)のいい声と音色が響いていました。

忠臣蔵はそれほど食指が動かなかったのですが、いろいろと考えるきっかけとして勉強になりました。しかし、通しはやはり一日でやってほしいのですけど。

新春文楽公演 2019

1月3日、初春文楽公演の初日に、第2部の「冥途の飛脚(めいどのひきゃく)」と「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」を楽しんできました。第1部は「二人禿(ににんかむろ)」、「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」。「壺坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)」です。

正月の文楽劇場です。

正面玄関の飾り物。今日はさすがに満員御礼が出ていました。

黒門市場から今朝届いたらしい「にらみ鯛」です。

初春文楽公演の芝居絵です。

資料展示室には傾城の頭と壇浦兜軍記の大正時代の画集が置かれていました。

正月恒例の鯛の飾りが付けられた舞台で、観客もいっぱい、新春公演初日の雰囲気がありました。

冥途の飛脚を観たのは3回目くらいでしょうか。遊女・梅川に入れ込んだ飛脚屋・亀屋忠兵衛の封印切り話で、心中ではなく、捕まって処刑されたという、いかにも三面記事的な世話物です。近松は前年あたりに起こった事件を元にしたそうで、解説書「文楽」(伝統芸能シリーズ 3 山田庄一 ぎょうせい 1990)を読んでいると、忠兵衛だけが処刑されて、梅川はふたたび勤めに出たとありました。

語り・三味線と人形遣いのリズムがなめらかに流れるようで、素晴らしい作品ですが、私としては、筋書きのパンチライン(≒説得力)に欠けるような思いました。でもそれは浄瑠璃世話物の一つのパターンで、真面目な男が恥をかかされたと思い込んで逆上し、死罪間違いなしの、武家の金の封印を切って身請けに使うのは、比喩として心すべきことではあります。

冥途の飛脚と浦兜軍記の幕間に、7日まで「手ぬぐいまき」があります。

うまく一つを受け取ることができました。ラッキー!

実は、手ぬぐいを受け取るのは無理だろうと思っていて、開演前に売店で売っていたので、一枚買っていました。広げてみると、色違いでした。左が買ったものです。これもラッキー!

さて、今回の期待は初めて観る壇浦兜軍記でした。昨年の朝日新聞連載小説の「国宝」(吉田修一)を読んでいて、興味津々でした。頼朝を狙う景清の愛妾である遊女・阿古屋の芸が身を助けるという「阿古屋琴責の段」です。壇浦兜軍記は元来は能の「景清」、近松の「出世景清」で、面白く改作されていますね。

今は浄瑠璃でも歌舞伎でも、この段のみが上演されるようで、琴・三味線・胡弓を演奏させて、乱れのない演奏ができるかを尋問とするという、優雅で楽しい場面です。

歌舞伎では役者が演奏しますが、さすがに人形で演奏するわけにはいかず、床の三味線の横に琴・胡弓の担当者が並んで、その演奏に合わせて人形が動きます。主遣いは桐竹勘十郎で、他の二人も顔を見せる出遣いとなっています。

歌舞伎では阿古屋を演ずるのは女形の頂点と言われるくらいで、今は板東玉三郎だけだそうですね。人形も劣らずむずかしそうで、以前は蓑助、今は勘十郎だけのようです。解説を読んでいると、人形の手を蓑助から借りているとのことで、手も特別仕様のようです。

琴から三味線、そして胡弓へと、なかなかの人形遣いを楽しみました。勘十郎が時々こちらの方(演奏方)を見ながらタイミングを取っているのがよくわかりました。それにつけても、拷問を主張して様子を眺めていた悪役・岩永が阿古屋の演奏に乗ってしまって、胡弓に合わせて火箸で弾く真似をしてしまうのはとても楽しい演出でした。

今回は予約の都合で座席が2列目の右端という、太夫のすぐ下、舞台には首を左に回さないといけない場所で、首が痛くなりました。舞台を見づらかったものの、太夫の語りと三味線を満喫できました。

 

蘆屋道満大内鑑

11月6日、11月文楽公演の第1部(午前の部)蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)と桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)を観てきました。

1回ロビーに掲げられた看板です。右側2つが午前の部、左側2つが午後の部です。

午後の部の「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」も興味はありましたが、少ししんどい気分だったので、今回はパスしました。

いつもの鑑賞セットです。

2階のロビーに、三味線・鶴澤寛治逝去の案内が置かれていました。訃報は新聞で読んでいました。前回の公演「新版歌祭文」で聴いたのが最後になりました。

蘆屋道満大内鑑は観たかった演目で、玉藻前曦袂の記事で書いていた信太森が舞台になります。古浄瑠璃の「信太妻」を元に、竹田出雲が作り直したそうで、全5段(あるいは4段)で、陰陽師たちのヘゲモニー争いの話になっていますが、安倍晴明と対抗する蘆屋道満が大内鑑(内裏でのお手本)となっている筋書きに変わっているようです。

近年では浄瑠璃も歌舞伎も、父の安部保名(やすな)と母の信太狐から生まれた晴明の幼少時の段だけが演じられるそうで、蘆屋道満は出てこず、外題とは関係なくなり、歌舞伎では単に「葛の葉」と称されているそうですね。

以前に古浄瑠璃(説経節)の信太妻を読んでいて、最初から最後まで、安部保名と石川悪右衛門たちの血を見る斬り合いばかりの感がありました。それでも、蘆屋道満(石川悪右衛門の兄)が安倍晴明に呪術で負けるまでのストーリーはわかりやすく、一条戻橋で斬殺された保名を復元蘇生させるなど、晴明の伝説を作り上げた陰陽師たちの宣伝が説経節によって人口に膾炙したことがよくわかります。

葛の葉子別れの段は、古浄瑠璃では子供(童子丸=晴明)に狐の姿を見られて去って行くことになっていますが、竹田出雲の脚色では、実の「葛の葉」が両親と一緒に現れて、それを知った狐の葛の葉が子供と別れて和泉に戻るという設定になっています。話をふくらませたようですが、何年も音沙汰なしで離れていた実の葛の葉が葛藤の感もなく、童子丸を抱いたら、乳がないと言われて乳母を探そうとするのはちょっと短絡的な印象でした。

信田森二人奴(やっこ)の段も竹田出雲の追加演出で、与勘平(よかんべい:保名の家来)と野干平(やかんべい:狐が化けた与勘平)という奴が出てきます。この奴が最初の三人遣いだったと言われているようですが、異論もあるようですね。現代では三人遣いが当たり前の姿で、その昔の遣い方がイメージできませんが、小さな人形の一人遣いと同じような動きだったのでしょうね。違いを見せてもらう鑑賞教室もあったようです。

この場面は背景が舞台一杯の巨大な神社になっています。この背景を見ると、この話の舞台が信田丘陵の裾野にある葛葉稲荷神社ではなくて、丘の上にある聖神社(信田大明神神社)であることがわかります。

後日、台風21号による被害が残っている聖神社を訪ねました。本殿が囲われているのは去年から始まった屋根修理だそうです。森が残る周囲は台風被害がよくわかりました。

葛葉稲荷神社は聖神社の分社で始まったそうで、江戸期に信太妻の舞台とされるまでにはいろいろな状況があったようです。異類婚姻談には、折口信夫を初めとする文献を読むとなかなか深くて複雑な世界が広がっているようですね。

この有名な演目を観たのは、いつものように初めてですが、ほんの一部であり、どうも古浄瑠璃「信太妻」の筋書きが頭にあって、気持ちはあいまいなままで続きました。こういう場合はいつも全段省略なしで観る機会があれば嬉しいと思うのですが、むずかしいのでしょうね。

桂川連理柵はそれほど興味を持てずに鑑賞していましたが、勘十郎の遣う「お半」はきれいでした。

新版歌祭文・日本振袖始

8月1日、先週の第2部に続いて、夏休み文楽特別公演の第3部サマーレイトショーの「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)」と「日本振袖始(にほんふりそではじめ)」を観てきました。暑さは先週と同じくらいで、地下鉄は強冷房でしたが、文楽劇場は冷房を少し弱めていたようです。

玄関ロビーに掛けられていた芝居絵です。

場内に入ったところでトップスター達が集合して、西日本豪雨災害への募金をしていました。ちょっとだけですが寄付して、カメラを向けたら、どうぞどうぞと言ってもらいました。和生さんの遣う人形と握手をしてもらった人もいました。

「新版歌祭文」は去年の新春公演で観た「染模様妹背門松」や、観ていませんが、紀海音の「お染久松袂の白しぼり」の後に近松半二が1780年に作ったそうで、お染久松の浄瑠璃としては集大成と言える作品だそうですね。

夏休み文楽特別公演は3部すべて2時間ほどなので、新版歌祭文は野崎村の段だけです。久松(人形:吉田文昇)の育ての親・久作(桐竹勘壽)は久松と娘・おみつ(豊松清十郎)を夫婦にしようとしていて、おみつは喜んでいますが、すでに久松はお染と心中する覚悟の仲になっています。お染が久松を訪ねてきて、それを知ったおみつは尼になってしまいます。

この段の終わり頃に、お染の母親・お勝(吉田蓑助)が野崎村に現れて、二人を連れ戻します。蓑助はちょっと出るだけの役でしたが、舞台に緊張感が出ました。お染は舟で、久松は駕籠で帰る段切り(段の最後)の場面は、駕籠舁(かごかき)や船頭の面白い仕草(チャリ場)があり、有名な曲が流れます。

遠い昔、大阪で落語を楽しんでいた頃から聞き慣れた桂春団治(三代目)の出囃子です。それが野崎というのは知っていましたが、オリジナルの文楽の三味線で聴くのは初めてでした。

竹本三輪太夫の語りで、三味線の竹澤團七に段切りだけ鶴澤清公が加わって、聞き慣れたメロディーが弾かれます。ツレ(連れ)弾きと言うそうで、メインの三味線がシンと呼ばれています。シンとツレという呼び名は能のシテ(仕手)とツレから来ているのでしょうか。

聴き慣れていたメロディーですが、実際はとても複雑な拍子と音階変化になっていて、シンとツレの微妙なズレが効果的で、落語の出囃子とは印象がまったく違いますね。とても楽しくて、人形の面白い動きはほとんど観ることができず、三味線ばかりに集中してしまいました。

次の演目・日本振袖始は近松門左衛門による五段構成ですが、大蛇退治(おろちたいじ)の段のみです。いわゆる中世神話の世界で、振袖が素戔嗚尊(すさのおのみこと)の時代に始まった(稲田姫が剣を袖に隠すため)というのも、なかなかの奇想天外さですが、桐竹勘十郎の岩長姫(八岐大蛇の化身)の人形遣いを楽しむことができましたし、素盞嗚尊を遣った吉田玉助もなかなか迫力がありました。

先週も今回も7列目で、人形をよく観るには少し遠く、でも太夫と三味線の距離はちょうどの感じでした。もっとお客さんが入ってもよさそうな演目でしたが、後方は空席が目立ちました。今年は暑すぎるのでしょうね。

卅三間堂棟由来・大塔宮曦鎧

7月25日、夏休み文楽特別公演です。ちょうど天神祭の本宮の日で、大阪の予想最高気温は38度でした。外気温が高いだけに、地下鉄も文楽劇場も冷房がとても豪勢で、長袖のシャツを持って行くべきでした。

第1部は「親子劇場」で午前11時開演、第2部は「名作劇場」で午後2時開演、第3部は「サマーレイトショー」で午後6時15分開演です。

今回は第2部の卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)と大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)を観ました。来週は第3部を予約しています。

名作劇場と名付けられているように、いずれも派手さはありませんが、愛する人を失うことに至るストーリーです。卅三間堂棟由来は信田狐(芦屋道満大内鑑)と同様の異類婚姻譚の破局、大塔宮曦鎧は菅原伝授手習鑑や玉藻前曦袂などと同様の身替わりの我が子(今回は孫)殺しで、状況は異なりますが、いろいろと考えが広がる作品でした。

卅三間堂棟由来は熊野の山中で連理の枝を交わしていた二本の木、(なぎ)と柳が夫婦(平太郎とお柳)となった話です。この連理の枝が修行の妨げになるという理由で切った蓮華王坊は白河法皇(後白河上皇のことでしょうね)に生まれ変わり、白河法皇が頭痛を持ったのは蓮華王坊の髑髏が柳に留まっているから、ということで、柳の古木は切り倒されることになります。

平太郎(へいたろう=吉田玉男)は梛の生まれ変わり、その平太郎を柳の精であるお柳(りゅう=吉田和生)が慕って夫婦となって子供をもうけたものの、柳が伐採されたために、お柳は消えていくことになり、その柳の古木は卅三間堂の棟木になります。

前世が樹木、あるいは樹木の精という話は世界的にあるようで、枝が癒着した連理の木は中国・日本で古くから夫婦の象徴とみなされていたそうですね。梛は熊野信仰の神木ですが、柳というのはよくわかりません。柔らかいので、棟木・梁には向かない気がします。

それはともかく、「平太郎住家(へいたろうすみか)より木遣り音頭(きやりおんど)」という段のみでしたが、元来は「祇園女御九重錦(ぎおんにょうごここのえにしき)」の一部で、平太郎住家だけを卅三間堂棟由来という外題で上演するようになったそうです。妻であり母である「お柳」が消える場面での人形の変更があったくらいで、派手な演出はありません。

最後に、伐採された柳の幹が大人の曳き手でも動かなくなったとき、平太郎が歌う木遣り音頭で子供の緑丸(5歳)が曳くと動き出します。緑丸は大木が母だと知ることになり、父子で母を見送ることになります。

今回の上演は「和田四郎」という悪者が出てくる版で、原作だそうです。鑑賞ガイドには「これにより物語はさらに複雑になりますが、時代物らしい量感が出ることでしょう。」とあります。和田四郎は平太郎の母を殺すのですが、でも、それが意味のあるストーリーの幅になったかについては疑問に思いました。上演ではカットすることが多いようだと聞いたので、そうだろうな、という気分です。まあ、この段を観ただけの印象なので、祇園女御九重錦の全段を観ると違うのかもしれません。

二つめの大塔宮曦鎧は竹田出雲の初作、松田和吉らとの合作で晩年の近松門左衛門が添削したそうです。近松や紀海音が晩年になってからは多くが合作になったようですね。この演目は明治25年以来上演されておらず、全五段のうち、今回上演された「六波羅館の段」と「身替り音頭の段」が三味線の野澤錦糸によって平成22年に復曲、平成25年に復活上演されたそうです。舞台写真も録音も残っていない演目を復曲・復活するのは大変そうですね。

観るのはこれも初めてなので、「六波羅館の段」に至るまでの筋だけを事前に調べておきました。太平記に出てくる話題を脚色したそうで、とても複雑で長いストーリーです。

六波羅館の段では、隠岐に流された後醍醐天皇の皇子・大塔宮は行方知れず、その若宮と母である三位の局は六波羅方の永井右馬頭宣明に監禁されています。そして、三位の局は六波羅の守護職・常磐駿河守範貞の横恋慕を受けていて、切籠灯籠を贈答歌のように送ってごまかしています。

永井右馬頭の妻・花園は三位の局が送ってきた切籠灯籠を色よい返事と解釈しますが、そこに無骨な侍、斎藤太郎左衛門が呼ばれ、灯籠が示す真意は逆であると看破したため、常磐駿河守範貞の怒りで若宮の命が太郎左衛門に委ねられます。

身替り音頭の段では、永井右馬頭の屋敷で若宮を慰めるための盆踊りが毎晩行われていて、そこに太郎左衛門が若宮の首を打ちに来ます。右馬頭と花園は自分たちの息子・鶴千代を身替りにしようとしますが、太郎左衛門が打ったのは自分の孫・力若丸だったのです。

その理由は観劇後の現在でも理解できないでいます。六波羅館の段の前で、太郎左衛門の娘と婿が大塔宮に与していて、太郎左衛門も大塔宮に与するように説得しますが、太郎左衛門は拒否して婿は自害、娘は六波羅方に討たれていました。そのことから、太郎左衛門は力若丸の首を若宮として差し出せば、それは力若丸の手柄であり、両親の無念を晴らすことになるというのです。この発想の筋道は江戸期の人には理解できたのでしょうが、私にはわかりませんでした。

また、この段では六波羅方の侍たちがすべて大塔宮の味方となってしまったようで、とても混乱しました。このあたりを含めて、日本芸術文化振興会のHPにある「国立劇場あぜくら会」の平成24年のイベントレポート『竹本文字久大夫さん、野澤錦糸さんを迎えて、「復曲素浄瑠璃を聞く会」を開催いたしました。』がとても興味深く、参考になりました。

この演目で気に入ったのは、身替り音頭の段での子供たちの踊りでした。子供たちが花笠をかぶって阿波踊りを連想させるような手振りで出てきたとき、人形とは思えない動きでびっくりしました。8人ほどの輪の中に三人遣いの人形が三人(若宮、鶴千代、力若)、他は黒衣の一人遣いです。少し照明が落とされた中ですばらしい動きの人形たちでした。

来週も楽しみです。暑さが普通の真夏になるようですし。

 

本朝廿四孝・義経千本桜

4月24日、4月文楽公演の第一部(午前11時開演)、本朝廿四孝と義経千本桜を観てきました。

文楽劇場へはいつも地下鉄堺筋線に乗り換えて、日本橋駅から歩くのですが、今日は谷町線のままで谷町九丁目駅から歩いてみました。乗り換える手間はありませんが、歩く距離が長くなり、所要時間はほぼ同じでした。でも、途中にコンビニがいくつかあって、ランチ用にサンドイッチなどを買うことができました。

パンフレットとミニ床本です。

今日の本朝廿四孝は三段目(桔梗ヶ原、景勝下駄、勘助住家)のみで、吉田幸助改め五代目吉田玉助の襲名披露のための演目のようです。

ロビーにはお祝いが飾られていました。

その先に、2月に50歳で亡くなった豊竹始太夫の訃報が記されていました。

さて、本朝廿四考は長い演目で、八重垣姫がメインになる後段の十種香や、姫が狐憑きになって狐火で諏訪湖を渡る奥庭狐火は好みなのですが、三段目だけを観ていると、少々眠けを催すところがありました。

それでも、勘助住家(かんすけすみか)の段の最後に、勘助の母を桐竹勘十郎に代わって吉田蓑助が遣って登場したときは、場面の大道具が徐々に手前に向かってくる演出が面白く、お種の吉田和生、慈悲蔵の吉田玉男が居並ぶ「静」の人形との対比で、五代目吉田玉助による横蔵(後の山本勘助)の「動」は見事なものでした。このあたりが襲名披露の演目らしさなのでしょうね。その前にあった口上でも、先輩たちが玉助の背の高さ、脚の長さを取り上げていました。大柄なので荒事は得意なのですね。

襲名披露の演目よりも短かかったのですが、義経千本桜(道行初音旅)はとても楽しめました。昨年に眺めた吉野の桜いっぱいの舞台で、狐(忠信)を遣う桐竹勘十郎の世界と言えるものでした。勘十郎は何を遣っても雰囲気がありますね。

それはそうと、舞台に近い席で観ていると、人形のみならず、人形遣いの顔もよく見えます。人形の動きを引き立てる人形遣いの表情、特に目つきというのはむずかしそうですね。単なる無表情ではなく、人形遣いの表情が人形と調和した動きになると、観客は人形への感情移入ができるような気がします。

一方で、劇場の音響についてちょっと不満に感じたことがありました。義経千本桜・道行初音旅は豪勢に9人の太夫と9人の三味線が舞台に並んでいたにもかかわらず、少し奥まっていたためか、前から6列目の席で、語りも三味線も遠くに感じました。

文楽劇場は舞台の後ろに音が吸収されてしまうようで、音楽ホールでは舞台の後ろに音響反射板を置きますが、芝居では使いませんね。でも、文楽は音曲が重要なので、どうなんだろうか、と考えていました。まあ、太夫も三味線も前に向かっているのですけど。

普段は右横の床に太夫と三味線が出ていて、いつもその近くで聴いていますので、直接の生音(なまおと)だけが耳に入ってきて、音響反射は感じません。文楽公演で731席という大きなコンクリートの建物(設計は黒川紀章)ですから、音響効果設計はどういう仕様になっているのかが気になりました。とは言え、江戸時代の竹本座などでは詰めると千人くらい入ったと聞きましたから、人形浄瑠璃は音楽ホールとは違う音響の世界なのでしょうね。

帰りは雨だったので、歩く距離の短い堺筋線の日本橋駅から乗りました。大阪市営地下鉄は4月から民営化し、「大阪メトロ(大阪市高速電気軌道株式会社)」に変わりました。新聞には「3月31日の深夜には大阪メトロのシール貼りに大わらわ」とありましたが、まだまだ市営地下鉄の社標のままのほうが多いようです。左は堺筋線で乗った車両、右はホームの向かいに着いた車両です。

大阪メトロの社標はブルーですが、各路線の車両デザインに合わせたカラーリングをしたほうが良さそうですね。やはり、子供時分から眺めている市営地下鉄のほうが好みですが、古い感じがするとも言えますねえ。

新春文楽公演 2018

1月17日、午前11時開始の第一部を観てきました。大阪に戻って以来、この4年ほど、新春文楽公演を観て正月が終わるという定例の新年行事になりました。

第一部のポスターです。

文楽劇場の天井は正月らしい飾り付けになっています。

パンフレットも正月らしいデザインです。

今回は予約段階で早くから座席が埋まっていたこともあって、いつもの6列目あたりは予約できませんでした。一度、前の方にも座ってみようと思って、前から2列目の席にしました。舞台上の右側の鯛の尻尾あたりの下です。座席から天井の写真を撮ると、天井が壁のような感じになりました。

演目の最初は、花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)で、万才(春)と鷺娘(冬)です。人形浄瑠璃の鷺娘は初めて観ました(ほとんどの演目が初めてです)が、歌舞伎と趣の違う、とてもきれいな鷺でした。

続いて、平家女護島(へいけにょごのしま)「鬼界が島の段」は吉田玉男の俊寛が凄みがあって、いい雰囲気でした。それに、前回途中交代した吉田簑助が千鳥をすんなり遣っていました。回復の様子です。

休憩を挟んで、豊竹咲太夫による八代目竹本綱太夫(咲太夫の父)五十回忌追善の口上と、同じく咲太夫による、豊竹咲甫太夫改め六代目竹本織太夫襲名披露がありました。文楽の口上は堅苦しくなくて楽しいですね。

席でゆっくり昼食の後、追善・襲名披露狂言として、摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)の「合邦住家の段」のみが演じられました。「切」は咲太夫と鶴澤清治で盛り上げ、「後」の六代目竹本織太夫は、これだけの語りを毎日続けて喉を壊さないかと思うほど、いつも以上の大熱演でした。

ただ、摂州合邦辻の観劇中に少し違和感がありました。玉手御前が義理の息子を二人ともに助けるために、身を挺して考えたトリックは特筆すべきものですが、癩病を使うことが気になったのです。

能の「弱法師(よろぼし)」を観ている限り、俊徳丸が失明した原因は云々されませんが、説教節や、江戸期に入ってからの浄瑠璃への移植では、失明に至る原因と経緯が詳細に述べられ、そのことが物語のキーになっています。

俊徳丸と兄の次郎丸の義母となった玉手御前(合邦の娘・辻)が、兄弟の抗争を避けるために俊徳丸に毒を盛るわけですが、その毒が癩病を引き起こすというものです。しかし、その病を本復させるために、いずれ抗争が落ち着いたら、自分自身の生き肝の血を飲ませることを心に決めています。

このあたりは当時、癩病が業、遺伝、あるいは毒素から発症し、毒素の場合は寅年寅月寅日寅刻生まれの(女の)生き肝の血を飲めば本復するという奇想天外な民間伝承に由来しているようです。玉手御前は寅年寅月寅日寅刻生まれです。このような民間伝承が摂州合邦辻という浄瑠璃に使われるようになった歴史は厚生労働省の「ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書 2005」の中(文学史料の分析:p.26 – 43)に詳述されています。

まあ、観劇後に考えてみたら、病因が明確になって治癒する治療法が確立している現代では、こういう古典劇の中でハンセン病が使われたとしても、それはあくまでも当時の発想であって、その枠で眺めることができればいいのでしょうね。

能は短く抽象化されているため、古典劇として眺められるのですが、文楽の場合は具体性が高いため、なかなかむずかしいところです。一方で、平家女護島は能の「俊寛」にはない、葛藤する人間らしさが強く表現されていて、それはそれで十分に納得できるものでした。今回の2つの演目は能と文楽の違いが自分なりによくわかったような気がしました。

それはともかく、今回は2列目で観劇しましたが、確かに人形の表情はよく見えるものの、太夫と三味線が右後ろになってしまい、あまり落ち着きませんでした。やはり、5,6列目あたりが良さそうです。

心中宵庚申

11月6日、11月文楽公演の第2部、近松門左衛門の「心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)」を観てきました。実際に起こった事件だそうですが、夫婦の心中事件を題材にしています。

チラシは2枚あって、1枚は第1部の鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)でしたが、こちらのチラシは心中宵庚申の女房・お千代です。

いつものプログラムとミニ床本です。

プログラムにはいつも太夫、三味線、人形遣いの人たちの顔写真が掲載されていますが、今回、人形遣いの写真ページには、7月に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された吉田和生が吉田簑助の隣、最上段に二人並んで掲載されていました。

今回の楽しみは、半兵衛(人形=吉田玉男)と女房・お千代(桐竹勘十郎)、お千代の父・平右衛門(吉田和生)、お千代の姉・おかる(吉田簑助)の4人が同時共演する「上田村の段」です。

ストーリー(文化デジタルライブラリーにあります)は省略しますが、上田村の段で、勘十郎の遣うお千代が実家に戻ってから、簑助のおかる、和生の平右衛門らといろいろあって、みんなが舞台から消えたところに玉男の半兵衛がやって来ます。そこで奥から出てきた「おかる」が吉田簑二郎に遣われていたので、びっくりしました。

最初は誰が出てきたのかわからず、人形遣いの担当を眺め直しました。でも、おかる以外にはあり得ないので、先ほどまでの簑助に何か事故でもあったのかと思い、この段が終わった休憩時に案内の人に確認しました。「簑助さん、途中で簑二郎さんに交代しましたけど、何かあったんですか?」「実は足を怪我されていまして、今日は大事を取って途中交代となりました」ということでした。明日からは足の状態を眺めてから決めるとのことでした。

ということで、4人の人気人形遣いの同時共演は実現しない日となりました。吉田簑助は20年ほど前に脳出血で倒れてからのリハビリで復帰して、今は84歳ですから、わりあい短い登場時間の人形を担当しているように思います。早く回復してもらって、次の機会を楽しみに待つこととしました。

心中宵庚申の結末は、元武士だった半兵衛が身重のお千代を刺し殺し、自害するのですが、まあ、現代から眺めていると納得はできないため、共感の涙は出ません。心中物(世話物)は道ならぬ恋と罪の精算が多いのですが、この二人、お千代の実家に戻ることはできなかったのかと考えてしまいます。そういう現代風の眺め方をしてしまうのが、いいのか、悪いのか、古典劇の鑑賞態度の問題ですね。

この演目だけでは時間不足なのか、気分替えのためなのか、30分の休憩(席で食事します)の後、短い演目「紅葉狩」が追加されていました。能の紅葉狩は好きな演目ですが、文楽は初めてです。能から歌舞伎に移植されて、さらにそれを文楽に移植したという感じが濃厚で、なかなか派手な演出になっています。

紅葉狩で気がついたことは、太夫5人が並んだ末席に、今年1月に文楽研修生修了発表会に出ていた太夫の卵が裃姿で出演していたことです。もう舞台でがんばっている、というのを眺めて喜んでいました。人形遣いの新人2人は出演していても黒衣だし、名前は出ないので、わかりませんでした。

夏祭浪花鑑

7月24日、第三部のサマーレイトショー「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」を観てきました。

舞台となっているのは高津宮の夏祭ですが、今日はちょうど天神祭の宵宮で、時節はぴったりです。

天神橋筋六丁目で乗り換えた地下鉄堺筋線で、ドアがヒョウ柄になっているのに気がつきました。「大阪名物」のデザインかと思いましたが、天王寺動物園のPR列車だそうですね。

いつものプログラムとミニ床本です。

夏祭浪花鑑は、大坂歌舞伎の「宿無団七」を元に、並木千柳、三好松洛、竹田小出雲の合作で、1745年に竹本座での初演です。当時実際に起こった殺人事件を取り上げて作られたとされていて、大阪(語りでは大坂:おおざか)の暑い夏を描いています。

元来は全九段という長編のようですが、今回のように、「住吉鳥居前の段」、「釣船三婦内(つりふねさぶうち)の段」、「長町裏の段」の三段だけが上演されるのが普通だそうです。解説を読むと、かなり複雑な人間関係なので、1/3だけで理解できるかな、と思っていましたが、まあ、語りだけでそれなりにわかりました。でも、文脈がわからないまま、山場だけを観るのは、面白いものの、気分はすっきりしません。結局、観劇後に文脈を調べることになります。

開幕で、太夫、三味線、人形遣いは夏らしい薄青の着物姿です。
住吉鳥居前の段は、よく知っている住吉大社が舞台で、今は阪堺電車の住吉鳥居前停留所のある道路あたりです。舞台上手に反橋(そりばし)が描かれ、中央に髪結床があります。髪結床の両側に立て札が1本ずつ立っています。夏の御田植と大祓の案内です。その横には「曾根崎心中」と書かれた札(浄瑠璃公演のCM?)が置かれています。こういう細かな設定が楽しいですね。

この段で、多くの情報が与えられ、記憶するのが大変でした。
妻のお梶と子供、親しい老侠客・釣船三婦(つりふねさぶ)がやって来て、主人公・団七九郎兵衛(だんしちくろべえ)が牢から釈放される日であることがわかります。団七が恩を受けた武家がいて、その放蕩息子・磯之丞が駕籠に乗ってきて降ろされ、駕籠かきにいたぶられますが、三婦に救われ、お梶らが休憩している昆布屋へ会いに行きます。

団七が縛られたまま連れてこられて、鳥居前で縄を解かれます。三婦から着物をもらって髪結床に入ると、磯之丞が入れ揚げている遊女・琴浦がやって来ます。横恋慕している大鳥佐賀右衛門に連れ去られそうになったところに、団七が有名な柿色の格子「団七縞」の姿で現れて、琴浦を助けます。

その後、佐賀右衛門の指図で、三婦にやっつけられた駕籠かきの助っ人として現れた一寸徳兵衛(いっすんとくべえ)と団七は、どちらも例の立て札を引き抜いて実力伯仲の取っ組み合いをしますが、お梶が曾根崎心中の札を取って、仲裁に入ります。お梶の説明で事情が分かった徳兵衛は団七と義兄弟になります。

釣船三婦内の段で面白かったのは、三婦の女房が夏祭の食事を準備しているのですが、それが焼き魚だということでした。鱧(はも)かと思っていましたが、そうではなく、あじの焼きものが大阪の夏祭料理のメインだと知りました。

最後の長町裏の段が有名ですね。
長町というのは、堺筋(紀州街道)の日本橋から南側の旧地名で、日本橋も高津宮も現在の文楽劇場のすぐ近くです。団七の義父(お梶の父)義平次が大鳥佐賀右衛門のために、団七に頼まれたと嘘をついて、三婦の家から琴浦を駕籠で連れ出し、それを追いかけた団七が最後に長町裏で義平次を殺し、逃げていくというストーリーです。

以前から、「団七走る」というキャッチコピー?は聞いていましたが、なぜ走るのかは知りませんでした。この段の最後の語りが「八丁目(さして)」で、団七が走って逃げて下手に消えますが、ここが「団七走る」のようですね。しかし、八丁目がよくわかりませんでした。なぜか、地獄の八丁目か(そんなところがあるのか?)と思ってしまいましたが、省略された次の段「田島町団七内の段」を調べると、上本町あたり(の昔の地名)に団七の家があったんですね。

観終わった感想は、団七の動きは人形とは思えない迫力で、桐竹勘十郎の実力を堪能したという気分です。歌舞伎役者の所作との相互作用が大きいと感じました。長町裏の段は特に、太夫が二人で掛け合い、囃子方による祭の鉦・太鼓の洗練された背景音がとても効果的で、すばらしい演出でした。

このストーリーは、庶民の生活情景の中での悲劇ではなく、いわゆる渡世人・侠客の事件物語です。最初の二段が省略されているために、団七が牢から釈放される日から始まります。やくざ映画の雰囲気で、三婦は「江戸を知らぬ者と牢へ入らぬ者とは男の中の男ぢゃないと言ふ」と言っています。

団七が殺した義父の義平次は強欲で、敵味方関係なく単純な儲け話に乗ってしまうようですが、長町裏の段で、団七が義平次に琴浦を戻してほしいと懇願する場面では、浮浪児だった団七の若い頃から、義平次がいかに団七を世話したかを伝えながらなじります。

このなじった内容はすべて事実のようで、団七は「サアそれは皆、お前様のお世話」、「段々の仰せ、一つとして返す詞もござりませぬ」と認めています。でも、どうしても恩義ある人の放蕩息子の女を取り戻したいため、「ここに三十両ござりますれば」と嘘をついて、琴浦を三婦の家に帰させます。

この嘘がばれて、義平次は団七を打擲し、団七は額を割られたことに逆上し、それから後は「はずみ」で義平次を斬ってしまいますが、最後には「ム、コリヤモウ是非に及ばぬ。毒食はゞ皿」と言いつつ、とどめを刺します。

粋な着物で喧嘩して、仲間内の男だて・女だてを大事にし、男が立つかどうかで是非を判断するので、一見、「カッコええなあ」と言いそうです。釣船三婦内の段で、徳兵衛の女房・辰が磯之丞を預かるという場面で、三婦が辰に色気を感じるので問題が起こるのではと言うと、辰は顔に火鉢の焼き金を当てて、火傷で色気を無くし、それで三婦は安心して磯之丞を預けるのが象徴的です。

でも、挙げ句の果て、団七は義父を殺めてしまい、その後、(省略された段では)団七は仲間たちにかばわれるというストーリーになっています。

三婦、徳兵衛、それぞれの女房たちの強さに対して、団七だけは強がりと裏腹な弱さを見せているように感じます。あまりすんなりとわからない渡世人の世界でしたが、舞台は圧倒される迫力でした。