11月18日、文楽劇場で玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)を観てきました。文楽を観に行ったのは正月の冥途の飛脚以来です。
人形浄瑠璃は学生時代に朝日座で数回観ただけでしたが、世話物(近松の心中物)が好きで、大阪に戻ってから、曽根崎心中、心中天網島、冥途の飛脚と続けて観ることができて喜んでいます。時代物はあまり食指が動かず、ほとんど観ていませんでしたが、今回の玉藻前曦袂はぜひとも観たかった演目でした。曦袂(旭袂)というのは詳しくは知りませんが、竹田出雲作の大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)をもじっているのでしょうか。
![DSC00861](http://chapt.net/blog/wp-content/uploads/DSC00861-300x244.jpg)
玉藻前伝説は妖怪好きにとって定番の物語です。ただ、狐好きにとっては、齢を重ねて、双尾や九尾になった狐は悪の世界を象徴していて、残念な気持ちでもあります。ごん狐くらいのイタズラであればともかく、百年とか千年を生きた狐は尾裂(おさき)になり、美女に変身して男(帝)をたぶらかすわけです。
でも、さすがに葛の葉(くずのは)あるいは信太妻(しのだづま)伝説の狐は安倍晴明を産んだとされるだけあって、若い雌狐だった説が多いようですね。異類婚姻譚にもさまざまあるようです。
学生時代から安倍晴明がらみの陰陽道は好みの話題でした。下の写真は高校時代によく訪れた信太森葛葉稲荷(しのだのもりくずのはいなり)神社(大阪府和泉市)です。10年ほど前に、札幌からの出張の帰りに、関空に向かう途中で久しぶりに訪ねてみました。今は住宅地の中になっていますが、私の記憶にある神社は田圃に囲まれていて、横に小さな集落があっただけでした。
![IMGP1511](http://chapt.net/blog/wp-content/uploads/IMGP1511-300x200.jpg)
JR北信太駅の近くです。この近所では和泉五社の一つである式内社・聖(ひじり)神社(信太大明神)が葛の葉伝説の本地?として知られていると思います。まあ、昔はこのあたり全体が信太の森の地域だったのでしょう。
JR北信太駅も昔は葛葉稲荷停留場と呼ばれていたそうです。また、住吉大社のそばで生まれ育った私の母は、南海電鉄の高石町(現・高石)駅が葛葉駅だったと聞いたことがあると言っていました。
神木の大きな楠の前にいる狐です。葛の葉と名乗った狐はこの楠から生まれたという説もあります。昔は楠に葛が巻き付いていたのでしょうか。葛の葉が我が子(安倍晴明)に書き残したとされる有名な歌「こひしくばたずねきてみよ和泉なる・・・」については、折口信夫が「信太妻の話」で「なんだかテニヲハのあはぬ、よく世間にある狐の筆跡とひとつで、如何にも狐らしい歌である」と書いていますね。
![IMGP1512](http://chapt.net/blog/wp-content/uploads/IMGP1512-300x200.jpg)
本題に戻ります。
京都大学電子図書館がネットで公開している玉藻前の絵巻のディジタル画像は閲覧したことがあります(あらすじ・解説はこちら)が、文楽劇場での公演中、展示室に実物がお披露目されていました。ネット上のディジタル画像よりも鮮やかで、とてもきれいな状態に見えました。江戸期の写本のようです。
この絵巻では、狐は九尾ではなく、双尾です。中国では昔から九尾だったようですが、日本で九尾になったのは江戸期以降だそうですね。中国からの伝わり方も興味深いところがあります。
玉藻前の狐では、「玉藻前草子(常在院本:室町期)」(妖怪絵巻:毎日新聞社 1978所収)の絵が一番好みで、ディスプレイのデスクトップ背景画像(兼スクリーンセーバー)コレクションの一枚です。双尾の先にあるカラー・リングがとてもオシャレです。この場面は討ち取られる寸前で、矢と槍が迫っています。
![DSC01069](http://chapt.net/blog/wp-content/uploads/DSC01069-300x203.jpg)
さて、観劇後の感想は、こういう文楽もあるんだ、という、とても楽しいものでした。それは最後の化粧殺生石(けわいせっしょうせき)での七変化で、宝塚のレビュー(数度しか観たことはありませんが)のフィナーレのような華やかさがありました。音曲に合わせた桐竹勘十郎による人形遣いのメリハリの良さと言うべきでしょうか。
実は開演するまで、この演目自体の事前の知識はありませんでした。歌舞伎も知りません。開演前に買った解説書には筋書きが書かれていたし、ミニ床本も付いていて、カミさんは読んでから観ていました。
![DSC00862](http://chapt.net/blog/wp-content/uploads/DSC00862-300x173.jpg)
いつもはそれなりに予習するのですが、今回は時間がなくて、浄瑠璃の筋書きを知らずに、でも玉藻前伝説は知っているという、生半可な知識のままで舞台が始まりました。これが推理小説を読んでいるような観劇経験になりました。以下はあらすじに沿った感想メモです。
いつもの抑えの利いた口上の東西声と拍子木で気分が高まります。清水寺の段が始まりました。最初から玉藻前伝説にはない、鳥羽天皇の兄・薄雲の皇子が謀反の企てを持っている話が出てきて、どういう絡みになっていくのか予想がつきません。次いで、皇子からの誘いを断っている藤原道春の娘・桂姫があらわれます。桂姫は陰陽師・安倍泰成(晴明の子孫でしょう)の弟・采女之助に恋慕していますが、采女之助はつれないようです。桂姫が玉藻になるのであれば、地位の低い若い男に恋しているというのは少し違うような気がします。
次の道春館(みちはるやかた)の段では、桂姫の妹・初花姫がいます。そこに、皇子の命を受けた鷲塚金藤次がやってきて、獅子王の剣か桂姫の首を渡せと問い詰めます。その中で、亡き道春の奥方・萩の方から、実は桂姫は捨て子であったことが明かされます。捨て子の話は玉藻前伝説にあるわけで、やはり、桂姫が玉藻になるのだと考えるしかありません。
剣はすでに皇子の手に渡っていて、二人の姫が双六遊びの勝負で討ち取られる役を決めてよいことになります。初花姫が桂姫のために負けることができた途端に、金藤次は桂姫の首を切ってしまいました。ありゃりゃ、です。頭が混乱してきました。
隠れていた采女之助に金藤次は討たれ、息を引き取る前に、首を切った桂姫が自分の娘であることを明かします。まあこれは、浄瑠璃でよくある、忠義で話をややこしくさせる手管だと思うのですが、それじゃ、道春の実子の初花姫が玉藻になるしかないではありませんか。桂姫は恋が成就せず、父親に首を切られるだけの出番となってしまいました。しかも、父親・金藤次を討ったのが恋慕する采女之助です。究極の悲劇のヒロインと言えそうです。
桂姫が首を切られた直後に、初花姫が歌合わせで詠んだ歌を帝が褒めたことから、玉藻前として入内することになりました。これは玉藻前伝説の一つですが、突然の展開でした。次は、初花姫が九尾の狐とどのように結びつくのかです。ただ、この段で妙に気になったのは、右大臣・道春の家中のみなさんが町人のような言葉遣いだったことです。世話物を観ている気持ちになりましたが、平安期の公卿の家中での会話がどのような言葉遣いだったのか知りませんので、よくわかりません。まあ、これが文楽らしさ、というものでしょう。
神泉苑の段で、九尾の狐はいずこからか宮中に入ってきて、初花姫あらため玉藻前を襲い、玉藻前になりすましました。ちょっと唐突ですが、そうならざるを得ないでしょうね。玉藻前は薄雲の皇子と魔界を作る密約をむすびます。続く、廊下の段では、玉藻前のモデルと言われる皇后・美福門院も出てきて、玉藻前の暗殺を首謀しますが、玉藻前の得意技、光り輝く姿にあっさり負けてしまいます。
玉藻前によって帝は病が重くなりますが、訴訟の段では、なぜか皇子の愛人で、江口の遊女・亀菊が出てきて、皇子の命令によって訴訟を取り仕切ります。こんなんでいいんですかねえ、という組み合わせです。続く祈りの段はややこしく、亀菊が陰陽師・安倍泰成の願いで玉藻前を裁き、玉藻前の弁解を受け入れるものの、泰成の希望で祈祷の幣取りは許します。亀菊は皇子の旧臣の娘だそうで、皇子の謀反を諫めますが、皇子に殺されます。このあたり、別の物語が絡んでいるのだろうな、と感じましたが、話についていくのが精一杯でした。
その後は、安倍泰成の仕事(祈祷や幣取りではなく、獅子王の剣を使うのがポイントでした)で九尾の狐は退散し、那須野に逃げて殺生石になるという、普通の筋書きになりました。那須野へは桐竹勘十郎と狐が宙を飛んでいきました。外連(けれん)の面白さです。
最後に置かれた化粧殺生石は景事(けいごと)と呼ぶそうですが、これも外連で、狐が殺生石の周辺で七変化していく舞台は、語り・三味線・人形・囃子が楽しく、九尾の狐が人をたぶらかすのではなく、無邪気にさまざまな男女に化けながら、一人遊びを楽しんでいるように見えました。観客も拍手の連続で、「守らせ給ふぞめでたけれ」で終わり、玉藻前のストーリーが大団円で終幕した印象になりました。こういう趣向はとても好みです。能会で最後にある附祝言のような感じです。
推理小説を楽しむ気分で観つつ、腑に落ちない箇所はありましたが、最後に気持ちは晴れやかになりました。このような解放感は心中物の観劇後の気分とは違うものでした。
後で調べると、やはり二つの話を結びつけて脚色している作品だそうですね。ただ、最初の数段(中国と天竺での話)と「十作住家(じっさくすみか)の段」などが省略されていたそうで、省略がなかったら、違った印象になったのかもしれません。次回は省略なしの全段ぶっとおしを期待しています。
玉藻前伝説を知らず、観劇前に解説書を読んでいたカミさんは、最初から終わりまですべてが楽しかった文楽は初めてだと喜んでおりました。次は新春の国性爺合戦です。これも観るのは初めてですが、近松は自炊本があるので予習します。
長くなったついでの話ですが、下の狐の面は、文楽劇場の売店に置いてあって、じゃりン子チエでテツがかぶっていたのとそっくりな気がして、安いのでつい買いました。後で比べたら、ちょっと絵が違いました。型押し加工した紙に和紙を一枚貼って絵付けしただけの簡易な造りです。鍛金練習のモデルにするかどうかは未定ですが、作るなら、アルミでしょうか。でも、白面金毛九尾の狐だったら、銅に錫張りか真鍮かも。
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