大阪城 豊臣石垣館 完成

2025年3月19日

発見された豊臣時代の石垣を公開するための施設建設工事見学会に行ったのは4年前(大坂城の豊臣石垣見学)でした。その施設が完成したそうで、今日、内覧会に行ってきました。

今日はとても寒く、ときどき小雨が降っていました。寒さ対策の服装で地下鉄「谷町四丁目」から大阪管区気象台横を歩いて行きます。「大阪の気象」を観測するアメダス施設です。

大阪歴史博物館と法円坂遺跡を通り過ぎます。

寒い平日ですが、4年ぶりの大阪城はインバウンドの観光客でとても賑わっていました。さまざまな言語が聞こえてきます。

完成した「大阪城 豊臣石垣館」です。一般公開は4月1日からです。

隣の「金蔵」との間を置き石で飾る仕上げ作業でしょうか。

施設の内部は、入口ホールがガラスで囲まれていて、内部に入ると何もない広いカーペット部屋(ガイダンスルーム)の壁が巨大スクリーンで、豊臣期の石垣発見ストーリーが映写されていました。この部屋は撮影禁止でした。

フロアマップです。

ガイダンスルームから階段で(エレベーターもあるようです)地下に降りると、石垣が目の前に現れました。

この石垣部分は4年前の工事中にチェックしていて、見覚えがありました。

この右手に階段があって、その上(地上レベル)からも眺めることができます。
4年前に撮った工事中の写真(左)と階段上からの写真(右)を並べてみました。細かなところでちょっと異なっているような個所もあるような気がするのですが・・・?

公開されてる石垣はこの部分だけです。もう少し広く見せてもいいような気もしますが、400年も土中にあったので、石の状態維持保存なども考えているようでした。見えている石垣にはいくつかのセンサーが取り付けられていました。

1階に上がると、玄関部分とは別の大きな部屋(シアタールーム)があり、ここも壁一面のスクリーンに大坂城の歴史が流されていました。この部屋も撮影禁止でした。

出口は東側で、玄関とは分かれていました。そのあたりからの写真です。背景に現在の天守閣が見えています。

訪問した感想は、すっきりした展示館で、ちょっと石垣展示部分が小さいとは言え、そもそも豊臣期の野面積(のづらづみ)の石垣が発掘されたことが「大発見」だったわけですから、目的に合っているように思いました。

徳川家康が攻めあぐねた豊臣期の大坂城、奪取後は完璧に破壊され埋められた大坂城、そして威信をかけて巨大な石を集めた徳川期の大坂城、これらの変遷がよくわかった気分です。

帰る前に、記念に天守閣に登っておくことにしました。現在の天守閣は1931年(昭和6年)建築の鉄骨鉄筋コンクリートで、外見だけのモニュメント(博物館)です。小学生の頃に登った記憶があるくらいで、今回が最後の登城になるでしょう。

というのも、こういう予定(城内の看板)になっているからです。

現在は天守閣入館料が600円ですが、看板の下のほうに小さく書いてあるように、4月から豊臣石垣館の入場をセットにして、1,200円になるのです。豊臣石垣館だけの料金は無いようです。

冷たい霧雨の中、20分ほど並んで、入場できました。

多くの人が並んで待っていたエレベーターもありますが、階段で、窓のない各階の展示を観ながら、8階の最上階まで登ると、やっと外が見える回廊になっています。

天守閣から見える豊臣石垣館(白い屋根)です。豊臣石垣館の出口あたりから撮影した写真の逆方向になっています。少し太陽が出てきていました。

前回の工事見学の時と同様に北側の極楽橋を渡って帰ります。

「天満橋」から地下鉄で帰宅しました。

大坂城の豊臣石垣見学

2021年2月22日

徳川が豊臣時代の痕跡を残さないようにすべてを埋めて作った大阪城の本丸から豊臣時代の石垣が発見されたのは昭和34年(1959)だったそうです。昭和59年(1984)には別の浅い場所(金蔵の横)からも発見されました。調査後に埋め戻されたようですが、石垣を公開するプロジェクトのためにあらためて金蔵横を大きく発掘しています。この話題は40年ぶりに大阪に戻ってきてから、大坂城豊臣石垣公開プロジェクトという寄付集めで知りました。

2月19日から発掘現場の特別公開があるということで、一般枠で申し込みましたが落選、少し寄付をしていたので、寄付者枠で当選し、見学してきました。

午後3時からの見学ですが、少し早め、2時頃に行きました。久しぶりに電車に乗り、京阪・天満橋から大手門まで歩きました。2月とは思えない暖かさで汗をかきました。
このあたりは何十年ぶりかわからない久しぶりです。

大手門を抜けると、横の塀に狭間が並んでいます。

狭間から歩いた道を覗いてみました。よく見えるものですね。

城内にはイルミネーションがいくつか置かれていました。

梅の見頃なので、本丸への楼門を横目に通り過ぎて、先ずは東側の梅林に向かいました。梅は満開のようで、それなりの人出です。下には降りませんでした。

楼門に戻って、本丸に入ります。

天守閣の手前、旧第四師団司令部が2017年に改装されて、複合施設「ミライザ大阪城」になっています。

この建物は昭和初期の優雅さがありますね。ずっと大阪市立博物館として使われていました。

中に入ったら、新婚さん二人だけの前撮りでしょうか、数人だけで撮影していました。店舗は半分くらいが閉まっています。

奥に「大坂城跡」という展示室がありました。

こういう説明がずらっと並んでいて、瓦が2枚展示されているだけでした。

ミライザ大阪城の横のベンチでしばらく休憩してから、すぐ横の発掘現場を訪れました。この写真の中央が重要文化財の金蔵で、発掘現場は右側です。

受付をしてもらって、5人ほどが集まって柵の中に入りました。発掘現場です。

小さなビルの建設現場みたいです。地下に鉄骨が張り巡らされています。これが見学施設になる骨組なのでしょう。下に降りて見ることができるのかと期待していましたが、それはできず、上から眺めるだけでした。

逆光の時間だったので下が暗く、どこに石垣があるのかすぐにはわかりませんが、覗き込んだら見えました。

近くでズームアップしました。底面にいくつか穴があります。柱跡でしょうか。

徳川が作った立派な石垣とは比べものになりませんが、古い野面積(のづらづみ)と聞いて予想していたよりは大きな石が使われているように思いました。この場所は豊臣時代の本丸の上にあった「詰ノ丸」の角だそうです。残念ながら、天守閣の石垣ではありません。10分だけの見学で短いなと思っていましたが、まあそれくらいで十分でした。

実際に見せてもらって感動は湧きませんが、歴史的事実を確認した気分にはなりました。徳川が攻めあぐねた大坂城の全容を感じるほどの想像力が働かないので仕方ありません。いずれ、寄付による公開用施設が完成したら、上からではなく、正面から眺めてみたいという気持ちで去りました。寄付はまだまだ受け付ける必要があるようです。

帰りは北側の極楽橋を渡って、京橋口から天満橋まで歩きました。こちらのほうが少し近いようですね。